2011年7月28日

解体作業進まず…


連日30℃を越える暑さのせいで、解体作業は一向に進まない。
作業服が蒸し暑い、解体作業が暑い、ゴミ運搬で大汗をかく。


今回指定清掃工場へ運び込んだのは、グラスウールと石膏ボードで170Kg。続けて残りのグラスウールを運び込んで70Kg。合計240Kgを運び込んだ時点で相当体力を消耗した。

軽トラは至って快調なのだが、それを運転する私の体力が追い付かない。

まぁ、あせっても仕方が無いのでスローペースながらも気長に続けよう…。
旅立ち


38日間、我が家で共に暮らしたペモペモが旅立ちました。

巨大鳥小屋の止まり木でポーズ
片道40Kmの2拠点間をトラックやレーシングカーの騒音や振動にもめげず一緒に通ったペモペモであったが、野性に目覚めたのか2階の窓の隙間から外の世界へ旅立って行きました。

こうやって見ると、結構成長している

雛の頃とは違って喙の黄色も無くなり、いつの間にか立派な成鳥になっていたようだ。



敷地の西端の木々の辺りへ飛んで行ったようで、かすかに声が聞こえていました。

我が家で暮らした事は忘れて、一日も早く野性を取り戻して立派な野鳥になってね!

2011年7月21日

天井解体


難問山積の天井解体に覚悟を決めて着手した。天井の裏には大量のグラスウールが敷かれており、これの撤去を考えると果してそれだけの作業に見合うものがあるのかどうかが疑問であった。
  1. グラスウールが古いタイプの物なので健康被害が心配
  2. 天井裏、屋根裏に破損や腐れがあると再生に多額の費用がかかる。そうなれば改築より新築の方が割が良い
  3. 天井裏の構造が、私の期待しているものでなければ手が出せない
  4. 天井を撤去した時点で後戻りができなくなる
普通の家であれば事前に天井裏を覗けば大体の構造や状態が分かるのだが、北海道仕様の古い家屋なのでグラスウールが全てを覆っていて何も見えないのである。柱と梁の関係に至ってはその存在すら見えなかった。

このまま手を拱いていても仕方が無いので、意を決して解体作業を始めたのであった。

左からドギュー、軍手、バール大、ハンマー、ヘルメット、防塵マスク
道具はいつものドギューを中心にした原始的な道具だけである。


作業服の上に不織布製の使い捨てツナギ(298円)を着て、グラスウールのシャワーから身を守る。これにヘルメットと防塵マスクを装着するともう誰だか分からなくなる。加えて、安全靴に防塵手袋という恰好で2階にいるペモペモに会いに行くと必死に逃げ回る。どうやら私を認識出来ていないようだ。

まぁ、普通の人間でも恐がる恰好かも知れない。不意の訪問者が来ませんようにと祈りながら作業開始!


天井の化粧板を剥すとスノコ状の板張りが出現。床と逆の構造だ。真中はシャンデリアを吊す飾り天井の造作。


この板がなかなか外れない。軽いドギューは小さ過ぎて役に立たないので大きいバールを使う。上を向いての作業である上、バールが重いので手がだるくて仕方が無い。頻繁に休憩しながらも地道に一枚づつ剥していった。




30年近く天井裏に張り付いていたグラスウールはカビ等で黒ずんでいる。室内の湿気が天井裏に上がりそこで結露していた証拠だな…。グラスウールの大きさは1m×2m×100mm厚。これが2層に敷かれているのでものすごい量である。



一列のグラスウールだけで、200リットル入りのビニール袋がパンパンである。体重をかけて押し込むが、これがなかなか大変だ。TVショッピングの布団圧縮袋か?というくらい頑張って押し込めた。





2層のグラスウールを剥すと、やっと天井裏の構造が見え始めた。梁は思ったより太くて35cmの太さだ。また、天井裏(小屋組か?)の材木には全く破損や汚れ、湿気による黒ずみなども無く一安心。




これで天井断熱から屋根断熱への変更ができそうだ。天井が無くなったので、これまでより50cmほど頭上が高くなった。大変開放的でよろしい。





翌日は、玄関上の天井を解体した。こちらも状態は悪く無く、ホッとした。

2011年7月13日

解体一段落のはずだったが…


1階の各部屋の壁を全て解体し、家の中が見渡せるようになった。

ここまでは夢中で解体作業をしていたような気がする。ここまでに使用した器具は、解体の殆どをドギュウのバール1本とそれを叩くための中型金槌、それで間に合わない場合の大型バール、間柱(補助の柱)を切るためのレシプロソー(電気ノコギリだが丸ノコでは無い)だけである。全作業の85%はドギューだけで行った気がする。

リビングから玄関が見通せるようになった

玄関横の壁には大量の断熱材が埋め込まれており、その撤去が大変であった。

奥の部屋からも玄関が見える


ここで解体作業も順調に進み、一段落したので床および基礎、土台に着手することにした。

和室の床を解体

和室は畳を剥すと杉板の床(防湿用の隙間のある板張り)が現れ、その下に根太と大引、その間に大量の断熱材と防湿シート、さらには大引の下に断熱材を受けるための層があった。とても丁寧な仕事ぶりであり、気密性も高く30年前の工事とは思えないような丁寧さだ。もちろん昨今の工法とは異なるので断熱性能では比べ物にならないが、全く手を加えていないにもかかわらず結露等による土台の損傷やカビなどは皆無であった。

床下
基礎はやはり当時としては珍しく鉄筋入りの布基礎である。この家が出来た頃には布基礎への鉄筋の使用が義務付けられておらず、多くの基礎が鉄筋無しであったことを考えると大したものである。基礎部分には湿気はあるものの、通気も良く変色も無い。ちなみにこの基礎の隣は深さ142cmの室(むろ)があるので、基礎の深さは150cm以上あるということだ。そこはさすがに結露しており、床材が黒ずんでいた。さらに隣の室は同じ深さだが結露が無かったので、深さでは無く単なる通気の問題かも知れない。

ここに暖房装置の補強と断熱材、フローリングを張れば一段落だ。

と、ふと上を見上げると天井というものがあるじゃないか。当り前だ。

しまった、天井部分をどうするか何も決めていないじゃないか…。天井裏をみると、壁や床の比では無いくらいの大量の断熱材がある。実測で厚み25cmである。これが一面敷き詰められているので、気が遠くなるような量だ。おまけに天井部分の構造が予想よりはるかに複雑で解体作業の進め方が分からないぞ。さらに屋根裏に妙な空間があるし。この時点で解体作業の80%は完了したと思っていたが、実は20%も済んでいないのではないかと思い始めて来た。このペースじゃ壁を塗る頃には氷点下の季節になるじゃないか…。

ここに来て途方に暮れている場合じゃないけど、どうしよう?

2011年7月8日

驚愕の事実


ペモペモが我が家に来てから20日になろうとしている。雛の成長は早いもので、当初の写真と見比べてもかなり成鳥に近い姿になった。早く一人前のスズメになれよ、と思っていた。

このブログを読んでいる方から「ペモペモは何の種類の鳥?」と聞かれ、当然スズメだと疑っていなかった私は「スズメです」と返事を書こうとしたが、翌日近所の人にスズメではないよと言われ慌てて調べてみたのであった。

その結果、どうやらスズメでは無くアオジ(シマアオジ)という鳥のようだ。あまり自信無いが、スズメの特徴はあまり無く、アオジの特徴をいくつか持っているのでシマアオジもしくはその近種ではないかと思う。

まさか、出世魚のようにこれからも時々名前が変わる種類では無いよな…。

 
これはペモペモ
シマアオジの幼鳥
スズメの幼鳥


北海道ではどこにでもいる鳥という認識だが、2006年絶滅危惧IA類(CR) 指定されたそうだ。

オンライン野鳥図鑑(http://www.yachoo.org/Book/Show/616/simaaoji/)

2011年7月6日

壁の処分


築29年の家屋は、壁の大半が石膏ボードと呼ばれるものだった。

これはかなり脆いので、解体途中に割れたり粉々になったりし、とても始末に終えない代物である。これを軽トラに積んで処理場へ搬入した。軽トラ一杯だと200Kg程度か?と思いながら計量装置に乗ったら丁度300Kgであった。処分費用は3900円。通常ゴミとしては回収されないし、埋め立てる訳にも行かず、自力で処分出来ないものであるのでこの処分費用は安いと言えるかも知れない。

300Kgの石膏ボードを積載

この作業の間、ペモペモは暑さのためか2階の8畳間を占有してその押し入れの中で行水に励んでいた。

小屋の端材で作った餌台と水台

ミミズを引き千切る/穀物の殻を喙で割るなどの餌の啄み方も覚えたし、行水も出来るようになった。
立派な羽も生えて来たので、そろそろリリースを考えなきゃならないな。