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2018年9月8日

停電

9月6日、ふと夜中に目が覚めた。時計を見ると午前3時5分であった。

普段はベッドに入るとほぼ瞬時に入眠し、余程のことが無い限り目が覚めることもなく朝まで熟睡するのだが、この日は何故か目が覚めたのである。(まあ、今考えてみれば前震か何かで目覚めたのだろう…)

ものの数分ほどすると、いきなりカタカタと音がしたかと思ったらそのあとやや大きな地震を感じたのであった。通常の地震よりは大きいものの、大規模な地震では無いと直感的に思ったのであった。本棚や食器棚は全く変化なし、振動検知器(ブランコともいうが…)もほとんど揺れてなかった。

とりあえずテレビを見てみると、かなり大きな地震が発生している模様であった。と同時に、私の直感は全然あてにならないことも判明した。10分ほど放送が続き、「アナウンサー部の仮眠室で寝ておりましたところ大きな揺れを感じ……」と言いながら、ローカル放送局の見慣れたアナウンサーが見るからに寝起きの様相で画面に現れたのである。寝てたんかい?

その直後に停電が起こり、テレビをはじめ全ての照明が消えたのであった。真っ暗だな……。

とりあえず様子を見るために外へ出てみると、澄み切った空に満天の星々とともに、三日月ではあるものの明るい月が天頂で輝いていた。ライトが無くても足元が見える程度の明るさであり、なんとなくホッとしたのであった。

標高が高く見晴らしの良い我が家は庭から下界がよく見えるのだが、街の方角は真っ暗である。いつも夜景が見える帯広市内も真っ暗なのである。日高山脈の端や太平洋岸の手前の方まで人工の光の存在が無いところを見ると、少なくとも十勝地方全域で停電が発生しているようだった。気温は18℃で寒くはなかったので、人工光の無い夜空、天の川と流れ星を30分間ほど見ていた。綺麗だったな。

家の中に入って常備しているフラッシュライトを取り出し、とりあえず様子をみることにした。

どうやら携帯電話網は無事、ネットワーク接続も問題無し。このまま停電が続けば、次第に中継局のバックアップ電源も落ちて通信は途絶えるだろうが、この辺は過疎地なのでざっと12時間程度は期待出来ると思う。

水道もちゃんと綺麗な水が通常圧力で出ている。食料は10日分ほどストックがあるし、プロパンガスは20ヶ月分あるので当分困ることは無いであろう。

連続10時間程度使えるフラッシュライトも3つとも満充電状態であり、LEDランタンもOK,ロウソクも1箱ある。さらにラジオも無事、ワンセグテレビも満充電状態である。さらにさらに、巨大バッテリー付きUSB電源も、まったく偶然だけど先週満充電にしたばかりである。その他、エネループをはじめ乾電池も、とある理由でそれなりの数の備蓄があった。

これでスマホは最低10回以上は充電可能だし、テレビも最長30時間は視聴可能、夜間の照明も40時間分はあるので4〜5日は持ちそうだ。水道はこのまま給水されるのか、それとも途中で止まってしまうのか判断できないので、40リットルほど備蓄しておいた。

幸いなことに、冷凍庫は先週肉類を中心に整理したばかりなので停電が長引いても被害は少なくて済みそうである。冷蔵庫はワインとチーズがたっぷりで、腐りそうなものはあまり無い。

確認が済んで、その後しばらく寝ていたが、6時を過ぎた頃から本州の友人達からメールが届き始めたので目が覚めた。

テレビを見ると、停電は全道規模らしく長期化の可能性も否定できない様子であった。ネットニュースも流れているし、とりあえず情報収集に問題は無さそうだったので一安心であった。

さて、普段ならここで何もしないのだが、今回は思うところがあって町役場で情報収集を行ったのである。緊急時で忙しいだろうと思って電話じゃなく直接行ったのだが、職員以外にはほとんど人がおらず丁寧な対応をしてもらえた(混み合っていればそのまま帰るつもりだった)。

確認したのは、
  • 役場としてどこまでこの災害を把握しているのか?
  • 停電が解消するまで役場は24時間対応をするのか?
  • 役場の非常電源の運用可能時間
  • 停電が長引いた時の通信手段の確保(専用回線の確認)
  • 長期化した場合の役場が孤立する可能性
  • 水道設備の可用性(非常電源)
  • 通信手段が断たれたときの住民への連絡方法
  • 水道と電気が無くても使える水洗では無い公共トイレの所在
  • 携帯電話網の移動基地局手配の可能性
  • 避難場所の開設状況
24時間程度の停電であれば、支援が必要な人以外は生活に不便さを来すだけで済むが、停電が長期化すれば予想を超える二次災害が発生する可能性が高くなる。一番怖いのは町役場が道庁や政府からの情報が遮断され孤立することである。

結局、上記の質問にはそれぞれの部署の担当者が出てきて全て正確に答えてもらえた。なかなかしっかりした自治体のようで、ちょっと安心しました。

特に非常用の通信専用回線をちゃんと運用していることと(まあ、専用回線とは言え、物理的な中継ノードが無事かどうかは分からないけど…)、全ての水源地(取水設備)に非常用発電機が備えられていて、この時点で全て正常稼働していることが確認済みであったことである。非常用の発電機はいざという時に起動しないとか燃料が切れているなどのトラブルが付き物だが、ここは迅速に全ての稼働を確認して状況を把握しているというのは大したものだと思う。ただ、私が恐れていたのは、送水ポンプの稼働状況よりも、消毒設備が機能しているかどうかである。だって未消毒の水が知らずに流れていたら嫌だもんね。
動物標識の道路を通り
水源施設まで行った
それでも、確認するに越したことは無いと思い、動物標識がある山道を延々走り取水場所まで行って施設の稼働状況を確認に行く私であった。まあ確認というよりは暇つぶしだけどね。

ちゃんと入り口までタイヤの跡があったし、中からディーゼル発電機が回っている音が聞こえていたよ(外の電力計が止まったままだったので、発電機の音に間違いない)。

ニュースでホームセンターやコンビニで品不足になっていると聞いていたので、情報収集を兼ねて家から予備の電池、充電ケーブルなどを持参して町の中で人が集まる場所に行って来た。確かに電池やカセットコンロなどが売り切れていたが、特に困っている人はいなかった模様。


懐かしいワンセグ付きガラケー(キズだらけ)
ちなみにワンセグテレビとは、実は解約したガラケーにワンセグテレビがついていたので、非常時用のテレビとして捨てずにとっておいたものである。もちろん定期的に充電はしていたけど、まさか本当に使うとは思わなかった。このガラケーはクレドール付きでUSBケーブルを挿しっぱなしで充電しながら使え、さらにWalkman携帯と銘打っているだけあってクレドール側に高音質ステレオスピーカーが内蔵されているので、かなり明瞭な音質で聴くことが出来た。

さらにものはついでなので、このテレビの消費電力を計測してみた。平均5.12V、420mAで連続動作していた。ワンセグとは言え、消費電力が2ワット少々でカラー画面、ステレオ音声で十分使えることが判明した。もっとも古い携帯なので耐久性はとても不安だけど…。

はじめはこのテレビアプリの起動方法が分からず、一生懸命画面をスワイプしていたのは内緒。ガラケーって全てボタン操作なのね…、すっかり忘れてたよ。

結局、私の住むこの場所は7日の午前2時半頃に復旧し、トータルで23時間程度の停電で済みました。

2018年3月2日

不思議な温室

先日、とある農家の…(以下、省略)

この施設は、個人で維持管理されている温室、いわゆるビニールハウスである。ここの持ち主からこの温室の話を聞いて以来、チャンスがあれば是非拝見したいと心待ちにしていたのである。それがとうとう現実のものとなり、ご厚意で見せて頂く機会に恵まれたのである。もうテンション上がりまくりであった。

外観はごく普通の温室
 個人宅の片隅にそれはあった。特に変わった構造でも無く、普通の大きさ・形のビニールハウスである。

中も普通の畑に見える
 中はごく普通の畑(良く知らないけど)のようで、特に変わった所は無い。

屋根もビニール一枚だけ
 寒冷地にあるようなビニールが二重になっていたり、断熱層を持っていたりする訳でも無く、これも普通の温室に見えるのである。入り口もブルーシート外側を覆っているだけで普通のビニールドアであった。

ところがである、この温室はこの真冬の2月にもネギ、キャベツ、小松菜など葉物野菜がたっぷり成長中なのである。いくら晴天率が高いとは言っても、夜の気温はマイナス20℃程度まで下がる土地柄である。どうやって野菜類を夜間の凍れから守っているのだろうか?

初めてこの話を聞いた時、にわかには信じられなかった。普通のビニールハウスで野菜類を通年栽培しているのである、それも石油や電力、もちろん温泉熱も使わずにである。 私が想像していたのは、何重にも断熱層を重ねた大掛かりな設備で、巨大な蓄熱体を擁するものであった。しかし、現物を見てみると想像とは全く異なる、ごく普通のビニールハウスだったのである。それも、かなり年季が入って所々補修痕があるものだったのである。

詳しく聞いてみたところ、このハウスは30年前に建てたもので一度も建て直していないそうである。実際、支柱などはサビだけでなく、苔まで生していたのである。ビニールくらいは何度か張り替えたのか聞いてみても、所々補修用のビニールを充てがっているだけで30年間使い続けているそうだ。触れさせてもらったけれど、特に厚いものでも無くどちらかと言えば頼りないビニールシートであった。

結局、色々見せてもらいながら詳細に話を聞いていると、このハウスは科学的な根拠に基づき設計されており、また地表温度だけに止まらず、地中の温度分布やpHなどの計測なども怠りなく行われており、その数値がびっしりと書かれた記録ノートも見せてもらった。そして、それら養分・熱量・水分そして土壌が極めて微妙なバランスの上に成り立っている、他に類を見ないハウスであることが分かり、感心を通り越して感動してしまいました。すごいの一言だ…。

この日は朝の10時だったが、畑の表面温度は24℃であった。

表皮は痛んで見えるが、中は綺麗な緑色のキャベツ
土壌改質に余念が無い
 農業に全く興味の無い私は、この作物の出来具合などは分からなかったが、自家消費以外にも一部は出荷しているらしいので、十分な品質を保っているのだろう。彼はこの30年、年間を通して葉物野菜を買ったことが無いそうだ。つまり気候の影響をあまり受けず安定した品質と収量があると言うことだろう。

 さて、私の最大の関心事であるこのハウスのエネルギー循環だが、要約すると以下の通りである。

熱・光エネルギーは専ら太陽光であり、この地の晴天率をはじめとする変動の少ない日照時間があって初めて成り立つエネルギー収支である。昼間の受光量と夜間の熱損失は、地表の比較的浅い礫層に蓄熱層が形成されており、昼間の熱が夜間に抜け切らないようである。また、水分コントロールが絶妙で、地表部分はほぼ乾燥状態にすることによって凍害を回避出来ている。また、火山灰層を養土下に分布させることによって礫への熱伝導を阻害せず、かつ植物の根の到達範囲に充分な水分を供給出来ている。さらに夜間の保温層としても機能するという、素晴らしいアイデアである。


 この地方には土室(つちむろ)という、これと同じような原理の半地下倉庫のようなガラス張りの室があるが、それより手間がかからず熱効率や熱利用状況も優れているようであった。

その後、土壌改良に関する話が続いたが、農業知識全般が見事に欠落している私にはさっぱり分からなかった、残念…。

2018年2月28日

エネルギー循環施設(2)

さて、ウンコで発電機を回して得た熱でマンゴーが安定して収穫できるようになったが、実はまだエネルギーが少し余っているのである。

余っているとは言っても有り余っている訳では無く、残りを他の事業に効率良く回そうという目論見である。そのひとつが、薩摩芋の貯蔵である。北海道で薩摩芋が出来ること自体驚きだが、実際に根強い需要はあるらしい。事実、薩摩芋が栽培出来なかった90年前に薩摩芋が全く使われていない「サツマイモの味がするお菓子」が開発されて、それは今でも販売されていることからもうかがえるのである。ガンモドキと同じような発想なのか?

この薩摩芋の貯蔵だが、もともとが熱帯性の植物のせいだからか、貯蔵温度が12℃を下回ると寒害(初めて聞く言葉だ…)により腐敗してしまうらしい。かと言って16℃以上だと芽が出てしまうらしい。さらに湿度も重要で適切な温湿度管理が要求されるという、非常に面倒くさいイモである。北海道のような寒冷地で冬の期間に貯蔵しようと思うと、貯蔵庫に費やす熱エネルギーが膨大な量になりコストがかさむことになってしまう。なので、ここの施設のように安定した熱源があればコスト的に有利になる(はず)。

さて、私の嫌いな薩摩芋の話はどうでも良い。この他の熱利用が面白いのである。それは、キャビア製造機である。まあ一般にはチョウザメとも呼ばれているが…。

チョウザメの飼育槽
 
キャビアの元がうじゃうじゃ

浮遊するキャビアの容器
 この水槽群にそれぞれ年齢別にキャビアの元が泳いでいた。ここでは水温と成長の関係、産卵に適した水温管理などが研究されておりなかなか興味深かったのである。

キャビアと言えば、20年ほど前に黒海、カスピ海周辺からユーラシア大陸奥地までキャビア三昧の旅行をしたことを思い出した。あの頃はソ連崩壊後の混乱経済からまだ抜け出せていない国々が多く、恐ろしいほどのインフレが万延していたのである。

インフレとキャビア、一見何の関係も無さそうであるが、現地の人々には申し訳ないが旅行者にはとても嬉しい状態だったのである。それは、超格安でキャビアが食べられたからである。それも日本に輸入されているような塩分の濃い缶詰キャビアでは無く、生キャビアや瓶詰めの塩の薄いものなどが食べ放題状態だったのである。もちろん混乱経済下では物流も機能不全に陥っていたが、「ある所にはある」という状況であった。

市場やレストランに行っては「キャビアはある?」と聞きながら、観光そっちのけでキャビアを探しながらウロウロしていたなぁ…。漁師に直接聞きに行ったこともあった。国立博物館に行った時も、折角専門員が説明してくれていたのに、私はキャビアのことばかり聞いていた気がする。もうキャビア一色であった。

ある日、市場で生キャビアに出会った時は狂喜乱舞しながら600gも買い込んだことがあった。旅行者なので冷蔵庫に保管することも出来ず、生キャビアなのでそんなに日持ちはしないし、まさかレストランへキャビア持参で行く訳にもいかず途方に暮れたこともあった。結局、後先のことを考えずに買い込んでしまった大量のキャビアと途中で買ったパンとワインを手にホテルへ戻り、黙々と食べ続けたのである。

最初の100gはたいへん美味しい。次の100gもやはり美味しい。その次の100gも美味しいけれど、やや胃がもたれてくる。さらに100gを食べると、ちょっと休憩をはさまないと食べられなくなる。さて、残りの200gをどうしようか?と悩んだのだが、ここで食べておかないと一生後悔するような気がして、頑張って全部食べたのである。もはや最後の方は味がさっぱり分からないばかりか、胃から逆流の気配が…。いじましい私は必死でその胃の反乱に耐え、そのままベッドに倒れ込むように入って寝たのであった。

翌朝は意外とすっきり目が覚めた私は、あろうことかまたキャビアを探しながら街をウロウロしていた。数日後、再びキャビアを発見したので買い込みさらにイクラまで買ったのである。 あの都市にはビザ申請の関係で長く滞在していたが、ひたすらツブツブを食べていたようで、他の記憶がほとんど無い始末である。それにしても、うまかったなぁ。

と、そんなことを思い出しながらこの施設を見学していた。ここでキャビアの大量生産が可能になれば気軽に食べられるようになるのだろうか? 

チョウザメは実は鮫では無く、 硬骨魚類の分類群の一つらしく古代魚とよばれるものの一種らしい、身も鮫のようなアンモニア臭が無く淡白な白身魚である。寿命は驚くことなかれ、30年から50年くらいだそうだ。そう言えば鯉も長寿だよな…。また、現在は絶滅してしまったが北海道でも獲れた時代があるそうだ。アイヌ語にチョウザメを現す「ユベ」があり、チョウザメがいる所という意味の「ユベオツ」が各地の地名に残っている。江別市、網走の湧別、滝川市江部乙など。

ちなみに、キャビアの一番美味しい食べ方は、焼き立てのマフィンにバターをたっぷり塗ってキャビアをこぼれる程乗っけてレモンをちょいと絞ったものが最高だと思う。その次は、やはり「そのまま」スプーンですくって食べることかな、ただし量が少ないと大変虚しい思いをすること間違い無しである。寿司には意外と合わないと思う、イクラは合うのにね。

ということで、牛のウンコを回すと、文字通り回り回ってキャビアになるのであった。

2018年2月27日

エネルギー循環施設(1)

先日、とあるエネルギー循環施設を見学する機会があり、なかなか興味深いものを見せてもらえたのである。

続けざまに「先日、とある…」から始まっているブログだが、いったい「先日」に何が起こったのだ?と思うだろうが、偶然色々な施設を見る機会がまとめてやって来ただけである。いや、それはそれでとても面白かったよ。

さてこの施設だが、 酪農王国の地らしく家畜の糞尿処理と再生エネルギー活用という、ごくありふれたものであった。しかし、その副次エネルギーの活用方法が面白く、また私の今後の計画に大きく役立つものであったのでとても嬉しかったのである。



糞尿槽

研究棟
糞尿処理施設へは近隣農家から専用のダンプカーや糞尿運搬車などで運び入れられる。その糞尿は好気性バクテリアが活動するタンクで数日撹拌され、その後嫌気性バクテリアが活躍する密閉タンクへ送られる。ここでは38℃程度の恒温槽(って言うのかな?)で20日前後撹拌されるのである。

牛のお尻からお別れしたウンコは、ここで1ヶ月近くもグルグルぐるぐる回りっ放しである。もうドロドロのぐっちゃぐっちゃである。さらに発酵しているものだからガスもブクぶくブクぶくと出っ放しである。ぐるぐるぐちゃぐちゃぶくぶく。

今後、乳製品や牛肉料理を食べるときは、このシーンが頭に浮かんでしまうんだろうな…😱。

さて、ここで絞り出されたガスはメタンガスが主であり、これを脱硫(硫黄成分を除去すること)したのち、ガスタービンもしくはガスエンジンに送られ、今度はウンコじゃ無く発電機を回すのである。

この時、大量の廃熱がエンジンと発電機から放出されるが、これを熱交換器を通して隣接する農業施設へ送るのである。


温室と農作物
ここは温室なので晴れている日中はそれだけで十分暖かいのだが、夜間などは先程の回収した廃熱を用いて温室内の温度を一定に保つのである。その温度とは、

なんと37℃であった。

ここまではどこの処理施設にもあるようなありふれた光景なのだが、この施設のすごい所は、冬の暖房だけでなく夏の冷房にも同じ熱交換器を使っているのである。つまり、冬は温室内を真夏の温度に保ち、夏は真冬の温度に保つのである。

その結果、北半球と真逆の気候が人工的に作り出せるということである。それも廃熱という通常ならその名のとおり廃棄される熱を使ってである。ちなみに冷房は、この寒冷地の特徴を生かして冬の間に貯蔵した雪と氷を用いるのである。冷房、暖房その両方を廃用エネルギーを使って農作物を栽培している。

なぜ夏冬を逆転させているかと言えば、それは「オフシーズンに最盛期を迎える作物は高値で売れるから」である。

では、ここでは何を作っているのかというと、それはマンゴーである。そしてその売値は高いものでひとつ3万円だそうである。すっげー!

ちなみに、冷静な目でここの発熱量、熱交換器の効率(型番からメーカー公表値が得られる)、温室の熱損失などを計算してみると、エネルギー収支は微妙にマイナスな結果になる。私の計算が間違っているのかも知れないけど、大きくは外れていないと思う。

さて、この施設を見学して得られたものは、これも私の今後に大いに役立つものであったが、言うまでも無く、私は農業には全く興味が無いので、これと同じようなものを作ろうとしている訳では無い。うむ。

2018年2月26日

福祉施設

先日、とある福祉施設の中を拝見する機会があり、そこでなかなか興味深いものを見つけたのである。

それは、フローリング張りの大きなホールの隅に設置されていたキッチンの流し台であった。それ自体はごくありふれた普通の流し台であったのだが、その構造が面白かったのである。

なんと可動式のキッチンだったのである。

キッチン流し台
 この流し台の底を覗いてみると、

底に何かが見える…
 さらに近付いて見ると

配管類が見える
床からGネジの配管とボールバルブでフレキシブルパイプを接続しているのである。これが何を意味するかと言えば、バルブは手で簡単に締まる。さらにGネジなのでパッキンを挿んでいる構造だから、再接続時にシール作業が不要である。つまり緩めて締めるだけである。排水管がはっきり見えなかったが、差し込み式なので、こちらも素人作業で抜き差し可能である。

最初、これが可動式だと聞いたときは、きっとボールジョイントなどの専用接続具を使っているのだと思っていたが、普通に入手可能な水道工事器具だけで実現しているとは思いもしなかった。これだと移設時に業者に依頼すること無く、一般職員の手で作業可能だ、すごい!

そもそもこの福祉施設を訪れた目的は…、えっと何だっけ?

私はこの施設を訪れる一行に成り行きで同行しただけで、ここが何処で誰が何の目的で見学したのか、全然理解していませんでした、ははは。

邪魔はしなかったと思うけど、自信は無い…。

それにしても、このアイデアは今後のために大変役立ちました。

2018年2月20日

農業研修施設

先日、ひょんなことから農業研修施設へ行く事になり中をじっくり拝見させてもらった。もちろん言うまでも無く私は農業に興味がある訳では無いし、その関係で訪れた訳では無い。

訪れる前の印象とは随分異なり、なんだかおしゃれな雰囲気がたっぷりであった。最近のこの手の施設って色々趣向が施してあるんだなと感心していると、この建物の設計者が居合わせたので聞いてみたところ、築15年の施設だということであった。意外と古いな…。

その時代背景を考えてみると、バブルに踊らされて作ってしまった訳でも無さそうである。それに良く見ると各所にコストを意識した設計になっている。基本的なコンセプトは良く分からなかったが、なかなか地に足が着いた地道な設計施工のようだ。


建物の中から見た中庭


建物自体は中庭を擁する外周部分に研修室、宿泊施設、ホールなどが配置され、レストランも併設されている2階建てである。構造自体がおしゃれなんだ。部分的に鉄骨が剥き出しになっている所もあるが、周囲の木目と色調を合わせて塗装されており、ここにも地道なコストダウンがはかられていた(本当に安いかどうかは知らん)。


謎の外向き長テーブルと椅子群
ホールの端に20mくらいの長いテーブルが外に向いて設けられており、個々にある目の前の窓から外の綺麗な景色が見える。その目的を聞いて少し笑ってしまったのは内緒。


ホール

世の中には未発表・未公表の建造物が少なく無いが、中には興味をそそられるものもある。今回の建物もその一種だったように思う。今後のためにこの施設を見学したのだが、とても役に立った気がする。


今後?それはまたいずれ。

2012年5月31日

デビュー

昨日デビューしました。ええ、「社交界」では無く「重機の世界」へ。
巨大トラクター
近所の農家にトラクターの運転を教わりました。お蔭でこんな大きなトラクターも運転出来るようになりました。私にとっては巨大な機械も、この辺りでは小さな農機具扱いです。後ろのゲンヤー号も小さく見えます(って、本当に小さいんだけど…)

前進12段、後退4段


このままゲンヤー号を持ち上げて運べそう。普通の自動車だと、マニュアルで前進5速、後退1速だが、この機械はそれぞれ12段と4段もある。きめ細かい操作が必要な農作業では必須の機能だと思って納得していたが、実際に操作してみるとどれも同じようなスピードとトルクであった。ミッションにシンクロメッシュが入っていないのかどうか分からないが、急激な変速にはダブルクラッチが必要であった。あんたはロータスかフェラーリか?

前からパワーをもらって後方へ成果物を…、
この大型機械は先月から格闘していた謎の機械を動かすために連れて来たのである。この謎の機械はただの器具であって動力部を持たない。先頭にユニバーサルジョイントがあって、これをトラクターのPTOへ接続すれば動力を受け取って動くという構造である。トラクターのお尻にグルグル回る棒が出ていて、これにこの謎の機械の駆動軸を取り付けると、あたかも12年前からの知合いのようにピッタリ寸分の違いも無く接続出来る。

トラクターの「PTO On/Off」というレバーをONにすると、トラクターのエンジン出力はその構造を使って後方の機械へ回転運動を伝える。伝えられてしまったからには頑張ろうかと(思ったかどうかは知ら無いけれど)、この機械はその回転をトラップの回転へ伝えると同時にコンプレッサーの往復運動へも伝える。後は、色々な部分が協調しながら連綿とベルトコンベアーのように一連の加工工程を行う、…はずであった。

次々と四角い成果物が後方から出て来るはずのものが、上記の写真のように「次々」では無く「切れ目無く連続して」成果物が出て来たのである。

手前から藁を入れ、トラクターのエネルギーを使って後方へ押し出す。その前後で形や圧縮度合が変化し、有用な大きさと形になるはずであった。しかし、こいつは手前で入れた藁のまま若干密度を変えただけで後方へ同じものを排出したのである。ただのパイプのような働きである。何のために動かしているのかさえ分からなくなる動作であった。

お前はシャノンの最終機械か…。

緑の線がほぼ身長と同じ高さ。巨大なワラの塊
6トンの藁の塊を人力でほぐす。徒手空拳。背の高さ以上もある巨大な塊をフォーク1本で崩して行く。背伸びしながら、時にはジャンプしながら果敢に突き刺すのである。ワラと言えども、これだけ圧縮されたものは多少の事ではビクともしない。突き刺さらないことさえあるという固さである。

上に乗ったり、横から引っ張ってみたりと、無駄と思えるような努力を重ねながらも徐々に崩して行った。おおよそ5倍位の圧縮度のようで、写真の上の圧縮ワラを一掴みで下の藁の山になると言った具合だ。

下に溜った藁の山が十分高くなった所で、ロールの上からダイブしてみた。

おおおおおお、言葉ではとても言い表せないような気持の良さ!

本来このロールは、酪農家が牛の敷きワラにするのに使うらしい。北海道の酪農は100頭は当り前、規模の大きな農場になるとその何倍もの牛を飼っている。その牛のベッドに使う藁の量も半端では無い。そして、それぞれの牛の寝床に藁を撒いて行くだけでも大変な労力である。

このロールをどうやって分解するんだろうと思って聞いてみると、ロールはトラクターで運搬して、ほぐすのはそれ専用の機械があるらしい。私が藁ロール(麦稈ロールが正式名)を人力でほぐすと言うと、近所の酪農家の人がこの機械を貸してあげようと言ってくれた。しかし、その機械はロールを一気にほぐしてしまうため、私の用途には合致しないのである。折角の厚意を無駄にしつつ、私は人力でフォークを使ってほぐして行くのである。6トンも…。

家を人力で解体し、44トンもの土砂を人力でふるい分けようとしたりしてもうコリゴリだと思っていたが、やはりここでも人力で6トンをほぐす羽目になってしまった…。

まあそれ以上に、この謎の機械がちゃんと動いてくれなくては何も始まらないのである…。


2012年5月29日

修理の修理が終了

謎の大型機械を修理している最中に、頑張りすぎて部品を破壊してしまうという新たな故障を招いて途方に暮れていたが、本日やっと修理の修理が終了した。これで本来の修理作業に入ることが出来る。
思えば4月下旬、錆びついて固着してしまったある可動部分を修理していた。軸を中心に回転するはずの部品がびくともしなかったのである。そこへ錆び取り潤滑スプレーを大量に吹き付け、ハンマーで叩きながら作業していたのだが力余って破壊してしまったのである。
錆びついてドロドロの可動部分
それを叩き割ってしまった

その後、回転さえしなかった部品を分解して外すというさらに難度が高い作業を強いられ、この1ヵ月の間頑張って作業していたのである。
折れる前の状態。錆びだらけ
この部分を分解する羽目に…
毎日、この部分に潤滑剤を振りかけて叩いたり捻ったりしていた。日に日に綺麗になって行く部品であったが、ある日やっと動くようになった。部品が折れていなければこれで修理は完了なのだが、今はこの部品を外す作業をしなければならない。

この軸の端には、ストッパーとしての割りピンが付いていたが、これを抜こうとして根元近くで折ってしまうという新たな災難を呼び込みながら作業は続けられた。もう涙目である。ピンが非常に中途半端な長さで残ってしまい、このままだと例えボルトが緩んでもピンがつかえて穴から出て来ないという状況である。

仕方が無いので、ピンをヤスリで削り取ることにした。写真では分かり辛いが、ボルトの直径は1cm程度、割りピンはバネと下板に挟まれているのでヤスリを動かせる範囲は7mmである。往復7mmの距離を気が遠くなるような回数動かしてやっとピンが削り取れた。

チマチマ削る
ふざけた名前だが役に立つ奴

こんな地道な作業を繰り返しながら3週間が過ぎ、半ば諦め状態であった。原野の師匠と前回の修理のプロが異口同音にアドバイスしてくれたのは、このボルト部分をガスバーナーで焼いて固着を解消するというものであった。確かに理に適っている。

しかし、周りにはワラの塊が6トン、可燃性の潤滑剤、難燃性ではあるがたっぷりのグリス、それに加えて面倒な災難を呼び込む癖のある私が作業するのである。ガスバーナーを買ってから数日間は恐くて実行に移せなかった。

後日、意を決してバーナーで件の箇所を熱してみた。もうびびりまくりである。そんな及び腰では当然うまく行くはずも無く、ボルトが熱くなっただけでびくともしなかった。当然写真も撮れていない。

さらに数日が経過し、本日バーナーで思いっきり炙ってみた。バネを加熱しすぎると弾性が失われてバネでは無くなってしまうので注意しながらピンポイントでボルトと軸受けを加熱した。潤滑油やグリスが焦げ煙がモウモウと立ってかなり恐かったが、十分熱した直後にハンマーで叩くといつもと異なる手応えがあった。

前回のその手応えは部品の破壊される感触であったが、今回は奇跡的に固着部分だけが外れた感触であった。

期待を込めて引っ張る
う、動くぞ!
抜けた
抜けた跡

3週間格闘した固着ボルトであったが、ついに外すことが出来た。

ボルトと軸受けの関係
最初は、この軸受けとボルトが固着しており、爪が動かなかったのである。爪が折れる程叩いても動かなかった固着具合であった。

ボルトと爪の関係
さらに強力に固着していたのが、このボルトと爪の部分であった。これを解消しないとボルトを抜くことは出来ない。軸受けの固着と比較にならないくらいハードルの高い作業であった。

これに加えて、作業姿勢も苦戦を強いられていたのである。この部品がある場所は、手が届き難く足場が非常に悪い。
部品の位置と足場の関係
ここに乗って作業する

滑べりやすい、力が入らない、姿勢が苦しい
強力ガスバーナー
闘ってくれた道具達
こうして長い間闘っていたが、ついに抜けたのである。あまりにも嬉しかったので、そのまま外した部品を持って真っ先に修理のプロの工場へ飛んで行ったのであった。事務所でお茶を頂きながら、プロは機械の説明やらこの部品の説明を丁寧にしてくれた。そしてお茶を飲んでいる間に、そこの従業員が折れた爪を溶接してくれ、割りピンの穴を回復し、叩きすぎて歪んでしまったボルトを削って修正までしてくれた。仕事が早過ぎである。

新品の割りピンを付けてもらい、赤色で塗装までしてくれた。そして彼は私に部品を手渡す時に「まだ熱いですから気を付けて下さい」と言うのである。ピザやタコ焼きを買った時以外で言われたことの無いセリフだな…。


きれいに元通りになった
組み付け
こうして折れた爪が元通りになり、これで修理を再開できると言うものだ。そっか、ここからがスタートなのか…。ちょっと気が遠くなりそうだ。


2012年5月12日

来るもの、去るもの

合計200Kgの針葉樹の板を運び込んだかと思えば、ゴミを捨てたり、長尺物の限界に挑戦したり、ガラスを運んだりと、今日もゲンヤー号は大活躍である。
「去るもの」を積み込み中
「去るもの」満載
「去るもの」の計量票
計240Kgのゴミを廃棄物処分場へ運ぶ。

去るものがある一方で来るものもある。先日、近所の業者さんに梯子をもらった。「沢山あるから好きなものを持って行っていいよ」と言われたので、舌切り雀の寓話から何も学んでいない私は大きなツヅラを持って帰ったおばあさんと同じ選択をし、一番長いハシゴを持ってかえったのであった。

「来るもの」は過積載(?)
「来るもの」は道路交通法違反(?)
一般家庭にあるハシゴとは異なり、業者さんの使う梯子はジュラルミン製の5.5mもある2段式の長尺&重量級であった。積むのも大変だったが運搬はもっと大変であった。

自動車免許取得時に、積載に関する法律を学習した気がするが、当時スポーツカーにしか興味の無かった私には無縁の知識だと思い、試験の終了と共に記憶も消失した。何とか思い出そうとしたが、捨て去った記憶と言うものは戻ってくるはずも無く諦めざるを得ない。

こんなことを繰り返しながら、来るものと去るものが行き交う5月の連休であった。

久しぶりの帰郷

昨年、原野の師匠に確保してもらったお宝を頂きに、この連休を利用してゲンヤ〜号の故郷へ行くことになった。ゲンヤ〜号にとって久しぶりの帰郷となるので、せっかくだから洗車をしたのであった。
天気も良く、春らしい暖かさになってきたので気持良く庭先で洗っていた。雪と泥でかなり汚れていたゲンヤ〜号も、たっぷりの水で洗われてすっかり綺麗になった。実は、ここの水道は北海道100名水に選ばれた水である。おまけにその水源地から一番近い水道管が我が家へ継っているのである。もちろん洗車には何の関係もないが、某所のように薬臭い水道水で洗うより何だか気持が良い。
 
いくら暖かくなって来たとは言え、つい先日まで雪に覆われ地面が凍結していた所である。そう、気温の上昇で地中の水分が融けて空間が出来てしまい、 スポンジのようなフカフカになっていた。そこへ車を乗り入れ、あまつさえ大量の水をかけるという愚行により、結果として車はタイヤの半径ほど沈んでしまって身動きが取れなくなってしまった。まるで田んぼの中に車を投げ込んだに等しいことをしてしまったのである。

タイヤのめりこんだ跡(翌日撮影)
30分以上奮闘したがどうにもならず、涙目で歩いて1Km離れた隣家へ車を借りに行った。

隣家の4WD車

引き上げられたゲンヤ〜号と蛍光色の牽引ロープ

お蔭様で無事に引き上げられたゲンヤ〜号であるが、泥沼からの脱出で泥まみれになってしまった。洗車の意味が全く無い。

翌日、気を取り直して雪がちらほら残る阿寒横断道路を越え、原野に向かって快調に飛ばすゲンヤ〜号であった。

途中の雌阿寒岳と阿寒富士

お宝、お宝!
師匠達とランチを食べて、今回も色々な事を教えてもらい、すっかり家作りに自信を取り戻した私はゲンヤ〜号にお宝を満載して帰路に着くのであった。

お宝を満載!

こんな大荷物を積んだまま帰宅できないので、途中で現場に寄る。結局、夜中に到着してしまい、暗闇の中を怪しい部材を解体中の家の中に運び込むと言う大変怪しい挙動の私達であった。近所の人が見ていなければいいんだが…。