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2019年1月14日

羊宿

我が家を中心として、ざっと円を描くように線路が走っている。つまり、どの駅までもあまり距離が変わらないのである。

都心でこのような状況だと「なかなか交通の便の良いところに住んでいるね」などと会話が弾むかも知れないが、ここではその距離が問題なのである。そう、どの駅までも40Km以上離れているからである。

その中の一つの駅の近隣に瀟洒なホテルがあり、北海道に住む前にその存在を知りちょっと気になっていたのだが何故か縁が無かったようで利用したことが無かったのである。

昨秋、そこへ宿泊するチャンスが訪れ、嬉々としてお泊りに行ったのである。

羊ホテル

蔦の絡まる壁面
周囲を羊の放牧場に囲まれている
二階の部屋から見える景色は、緑、緑、羊、緑、山、緑であった。まあ自宅から見る景色と根本的には違いが無いのだが、やはり外泊すると旅行気分満点でいつもと違う景色に見える。

レストランの食事も大変美味しくとても満足度の高いホテルであった。夕食は羊のグリルと羊のシチューなどをシェアして味い、宿泊客が少なかったせいもあるが、暖炉のあるそのレストランはとても雰囲気が良かった。

翌朝はホテルの人の案内で、長靴に履き替えて羊牧場の中を散策できた。川沿いの広大な牧場には100頭ほどの大小の羊が戯れており、「ああ、昨夜食べたお肉もちょっと前までここで優雅に暮らしていたんだな」と思いながら羊を眺めていたのである。

「食べる対象を間近で見てそれを食する」、なんとも贅沢な響きがあるのだが果たしてそうなのだろうか?

玄界灘を一望できるホテルの最上階で食べた舟盛りは美味しかった。佐渡ヶ島の海辺で荒波を眺めながら食べた甘エビや魚介は絶品であった。土佐湾を望むレストランで太平洋を見ながら食べた皿鉢料理はたっぷり堪能できた。エメラルドグリーンに輝くカスピ海沿いや黒海の帆船レストランで食べたキャビアは心底うまかった。

居酒屋や寿司屋でも生け簀や水槽のある店に行って、泳ぐ魚を見ながら食べる刺し身や寿司は格別な味がするような気がする。

しかしである、魚介類はまさしくそのとおりなのだが、これが哺乳類となると様子が異なる。

毎年恒例の地場産の霜降り肉を使った焼肉大会は、会場前が和牛の農場であり、ジュージュー肉を焼いて食べる私の目に飛び込んでくるのは、ウンコをブリブリしながら口をもぐもぐさせて「モー、モー」と鳴く肉牛である。枝肉番号からも今食べている肉が間違いなくまさに目の前の牧場から来たものだと分かるのだが、特に感動も無く、ましてや贅沢だとは到底思えないのである。

 どろ豚牧場で食べたポークステーキも、ホエー豚農場で食べた自家製ソーセージも、やはりブーブー鳴く豚を見ながら料理を食べても、特段感想は無い。

家禽類はどうなのかと言えば、中国奥地へ行ったとき鳥の唐揚げ屋さんの横で生きた鶏も同時に売られていたが、これも牛や豚のときと同じ感想であった。

さて、羊はどうかと言うと、遠くから眺める限り魚介類と同じ感想であり、近づけば近づくほど哺乳類のそれにに近くなるのであった。

別のチーズ工房にいた羊

綺麗なホテルだったよ
 また機会があれば泊まってみたいホテルであった。

2012年8月10日

木彫りの熊

北海道と言えば、一昔前は木彫りの熊が有名であった。どこの家にももれなくあるということは決してないが、見れば「ああ、北海道のお土産だな」と認識できる程度の知名度はある。

大きな木を
彫っていくと
あと一息で
木彫りの熊が…、出来る訳では無いが家の柱を切り取ることが出来た。

柱によっては、家の重要部分を支えている可能性があり、下手に撤去すると家が倒壊するというスリルを味わえる。もちろん、さほど重要では無い柱を撤去すると、広い空間を得ることが出来る。どちらになるかは、それは切ってからのお楽しみである。(そうなのか?)

この柱は、結構微妙な位置に立っており、何かを支えていると言えば支えているようであり、何も荷重がかかっていないと思えばそう見える、という非常にギャンブル度の高い柱であった。

叩いてみると、低い音程の振動がある。低ければ低い程、上からの荷重を支えている可能性が高い。しかし、この柱はやはり判断に迷うような、中程度の音程であった。中途半端過ぎるというものだ。

意を決して切り取り作業を開始してみた。もう後戻りは出来ない。電動鋸の歯が食い込む。

最後の数ミリ
上下分離
 見事に、柱の上と下が分離され、なおかつ家が倒壊しなかった。う〜む、やってみるもんだな…。

と書けば、最初からうまく行ったように聞こえるが、実は…。


柱を
切っている最中に
 柱を切っている最中に、上からの荷重で切口が下がって来て、ノコギリの歯がはさまって抜けなくなってしまったのである。押しても引いてもビクともしない。まるで家に踏まれたかのような重さであった。

この失敗を生かして、2本目は「熊の木彫り作戦」で行くことにしたのであった。

みんなも柱を切るときは、樹木を切るときのようにクサビ形に切り込みを入れて切るといいよ。

しばらく登場していない藁の塊であるが、ちゃんと整列して倉庫で待っていてくれる。しかし、その周りは「夏撒き小麦」状態であった。このまま育つと、どうなるんだろう????

夏撒き小麦と藁塊

2012年5月23日

家を捨てる

地味で体力を消耗する解体作業を昨年よりずっと続けていた。壁を壊し、天井を取り去り、床をめくり、柱を切り倒す。発生した残骸をゲンヤー号に乗せて200Kg〜300Kgづつ廃棄物処理場へ運び入れていた。
最初の頃は単にゴミを処分場へ持って行っているだけだと思っていたが、途中から家を細切れにして運んでいるような気になって来た。何回にも分けて家を捨てに8Km離れた場所までせっせと運んでいたのかも知れない。そっか、私は一生懸命に家を捨てていたのか…。

最初に壁に穴を開けたのは2010年の秋だった。突然思い立ってリフォームをすることにしたのだが、解体方法を知っている訳でも無く途方に暮れただけだった。床や天井に至っては、どこからどうやって手をつければ良いのかさえ分からず、家の中の数枚の壁に穴を開けただけで終った2010年であった。解体(と呼べるかどうか…)にかけた時間は全部で1時間程度か?

翌年は解体方法を調べることから始め、小屋を建てて家の構造を勉強した。お蔭で、どうやって家が建っているのかが理解出来たため、解体作業をちゃんと始めることが出来た。ただ、体力の問題もあるが、丁寧な大工仕事による建造物を解体するのは至難の技であった。隠し釘という表面から見えない釘で固定された部分は、解体というより破壊という手法を使わなければ太刀打ち出来ず、組木のように順序良く組み込まれた木材は、その順番を知る術も無い私はこれもまた力任せに破壊するしか無かったのである。結局、6月から始めた解体も9月には諦めてしまった。

いくら解体しても、後から後から出て来る家の部材には閉口してしまった。小屋とは全然違う複雑さであった。断熱、通気、耐久性などを考慮してプロが作ったものであるので、当然と言えば当然なんだけど、先の見えない無限に続く作業のような気がして途方に暮れたのであった。セルフビルドの家造りをしているつもりでも、毎日行っている作業はただの解体作業である。つくるどころか壊す作業である。その創造性の無さといい、ビルドとは逆の方向へ進んで行く毎日は精神的に辛かったのであろう、秋には気力が無くなりそのまま冬を迎えてしまった。解体にかけた時間は、のべ4週間程度しかなかったと思う。

今年は何かふっ切れたような感じで、昨年までのことはすっかり忘れて残りの解体作業を始めた。なんだかんだと言いながら、昨年で大半の解体が終っていたので残された作業は大した量では無かった。妙に入り組んでいて解体を諦めていた部分や、複雑過ぎて構造が分からず手が出せなかった部分も、今年は何故かすんなり作業が進んだ。ひょっとして解体作業の腕が上がったのか?

最後の運搬
本日、2回の運搬を行い合計520Kgを処分場へ運び込み、家を捨てる作業は第一段階を終了した。全部で5トン程の量であった。こうして春の冷涼な季節の内に一応解体作業は終了した。わ〜い!

解体作業も大変だったが、3年越しの苦行になっている草刈りの大変さは続いている。苅っても苅っても生えてくるたくましい生命力としつこさには閉口してしまう。

一週間前に刈ったが

あっと言う間に復活、増殖、開花
一週間も放置すれば、何事もなかったかのように復活している。これが秋まで続くのである。
最初の年は、砂利を購入して庭に撒いたがその砂利の間からも雑草はたくましく生えて来て、最後には残りの砂利の山そのものにすら生えて来たのである。どんな生命力なんだ…。

アスパラ
行者ニンニク
チューリップ
桜?
 雑草も凄いが、有用な植物もたくましいのである。水も肥料もやらず、耕したり雑草取りもしない完全放置状態なんだが、毎年ちゃんと開花し収穫出来るのである。先日、めちゃくちゃにしてしまった庭木も何事もなかったかのようにちゃんと開花していた。

さらに敷地の奥にある、隣の畑と接してい20m四方の雑草エリアであるが、隣の農家のご厚意で耕してもらえた。
境界の地杭と隣家の畑、隣家がはるか向こうに見える
あのしつこい雑草も大型機械の前では全く無力であり、あっと言う間に後片も無く消え去ったのである。このパワーを見ていると、敷地内全てを耕して欲しいと思う程である。

20m四方の土地って400平方メートル、坪数で言えば100坪を越えている。この広さの土地が都会にあれば結構な大きさだな…。ただ、こちらでは周りの土地が極端に広いので、100坪程度は全く大きく見えない。もっとも、こちらでは土地の大きさは「」や「平方メートル」ではなく「ヘクタール」か「町歩」で表す。隣の家も、上記の写真のようにはるか向こうにしか見えないのである。

400平方メートルもの広大な面積を耕してもらうのは申し訳無いと思っていたが、上記のような広大な畑を耕している農家から見れば、たったの400平方メートルを耕すのは小さすぎてとても面倒な作業のようである。そもそもスケールが違うのである。

さて、雑草が生えて来る前に何かを植えよう!

2012年5月13日

7.5cm

料理をする人ならわかると思うが、肉の下味をつけるために調味料を振った肉にフォークで刺して味を染み込ませる手法がある。生肉に刺さるフォークやピックの感覚は一種独特であり、刺し始めは固いがある程度刺さるとあとは一気に中まで突き通る。
肉の中にスパイスが入り込み、特にオーブン料理などであればこの下ごしらえの差が分かりやすい。やはり手間暇をかけた料理は美味しいし、酒も進む。

肉を刺す時は、一気に刺した方が刺し易いし中まで一直線に通るので、躊躇せずに思い切って刺すのが良い。チキンの皮付きモモ肉の時は特にそうすべきである。尖ったフォークの先端が皮で一瞬止まり、そのまま力を加え続けると一気に肉の内部まで突き刺さる。ズブズブっと…。

そんな事が脳裏をかすめながら私は119番に電話していた。

痛かった。とても痛かった。誰もいないへんぴな所なので、もしこのまま動けなくなれば命にかかわるかも知れないと思った。現場での作業中は、面倒でも必ず手の届く所に携帯電話を置くか身に着けるように心がけているが、お蔭で電話だけはすることが出来た。

解体作業中に外した板や木材、特に釘の付いたままの木は必ず一旦作業の手を止めて安全な場所へ移動させていた。最初の頃は釘をいちいち抜いていたがあまりにも時間がかかってしまい、文字通り年が明けてしまったので昨年から一か所に集めて定期的に処分するようにしていた。

この日も、抜いた釘付きの端板を外した後、面倒だったが安全第一なので脚立から降りて片付け始めた。ところが板が2枚落ちたはずなのに、何度探しても1つしか見付からなかった。背の高さから落ちた板がそんなに遠くまで行くはずは無いと思いつつも、半径2m程度までくまなく探したがやはり見付からない。ヘルメット、安全靴、防護マスク、ゴーグルなどの安全装備は万端だったので油断もあったのだろう、そのまま作業を続行した。

作業が終って脚立から降りた瞬間、先程の釘付き板が見付かったのである。そう、脚立の足元に落ちていたのである。そして、その尖った先端を上に向けた釘の真上をめがけて私の左足が着地したのであった。

ズブズブ…、っと。

踏み抜いた瞬間に状況が完全に把握出来た。まるでスローモーションを見るかのように、釘が靴に刺さった瞬間に何かを踏んだ事がわかり、釘が突き進んでいる瞬間にこれが先程探していた釘であることが理解でき、靴底を通り抜けて足の裏に釘の先端が到達した瞬間に危険を感じ、かかとに入れていた力を抜くように爪先側に体重を移動しようとし足に力を入れ始めた瞬間に釘の大部分が足の中を突き進んで行くのが感じられ、体の重心が爪先側に移動する前に完全に釘は足の中へ入っていったのがはっきり分かった。

チ、チキンのモモ肉を突き刺す時と全く同じ感覚だ…。

生まれて初めて「ギャー」という叫び声を上げたような気がする。文字通り「ギャー」としか表現出来ない叫び声であった。

数秒間呻いていたが、このままじっとしている訳にも行かないので、状況を把握するために腰を下ろして靴を見た。ものの見事に刺さっている。足の裏が熱い。直観的に出血を伴わないと判断出来たので、足から釘を抜いて穿孔部を観察した。出血は小さじ1杯程度。傷の大きさは直径2mm程度。釘は壁から抜いた時に長さが分かっていたが、それが足から抜け出てくると長さは何倍にも感じられたのである。ど、どこまで刺さっているんじゃー!って。

 釘先が骨に到達していないかを調べるために踵を軽く揉んでみたが、良く分からないながらも大丈夫なようだ。神経を傷つけていないかどうか膝や大腿部に痺れのある場所を探してみたり、他に怪我はしていないかどうか全身を見てみたり、両手を伸ばした状態で左右の手の人指し指の先端同士を向かい合わせにひっつけることが出来るかどうか確認したり(これは脳を強打した時の確認で、意味はなかったな…)しながらとりあえず写真を取った。

靴を脱いだ直後(左足のかかと部分)
グロいので小さな写真
傷自体は思ったより小さい。穿孔傷なので表面は小さくて当り前だが…。


脱いだ靴に刺さったままの釘
ピンぼけだが、こんな感じで刺さってた
痛かったが、それなりに冷静に写真を取っていた。何かあった時の用心のためだが、結果的に何も心配することはなかった。
固くて抜きにくい
結局、119番には症状と居場所を伝えただけで救急車は断った。代わりにここから一番近くて現在受け入れ準備が可能な病院を教えてもらい、その病院へ連絡した。

これらは、今は大丈夫だと判断してもこの後何かが起こって事態が急変した場合を考えてのことだった。救急への電話記録が残っているので私の素性、居場所も把握されており、病院側にも居場所と症状、病院への到着予定時刻も伝えてあるので、たとえこのまま意識を失ってもいつか見付けてもらえると判断したからである。まぁ、助かるかどうかは別問題だけどね。

この釘の刺さったままの安全靴を持って病院へ行った。クラッチの操作が大変だったが、信号がある訳でも無く、交通量は殆どゼロなので7Kmの道のりをゆっくり走って無事に病院へ到着。玄関には看護師さんが出迎えてくれていた。

骨に到達していないかどうか調べるためにレントゲンを取ったが、あと2mm程左へずれていたら骨を直撃したであろう位置に骨と傷跡が写っていた。ちょっと危なかったかも。釘の刺さったままの靴を見て医師は笑っていたが、釘の先端の状況(汚れ具合、錆び具合)によって化膿のしやすい状況かどうか判断出来たらしいので無駄では無かった。


板から付き出た部分が6cm程度
釘全体の長さは7.5cm
釘の大半は靴の中だった
結局、安全靴のかかとの厚みがかなりあり、7.5cmの釘は板を1.5cm、靴底を4.0cm付き抜けた後だったので、足には約2cm程刺さっただけだった。

化膿止めと鎮痛剤など
安全靴を履いていたにもかかわらず釘が足に刺さった事にかなり腹が立っていたが、こうやって見ると普通の靴だともっと大きな事故になっていたのは確実なので、安全靴という名のデザインセンスのかけらも無い、妙に高価な靴であったが役に立ったということである。

木曜日に怪我をして、この週末は酒が一滴も飲めなかったのが辛かった。でも、傷もすっかり良くなり普通に歩けるまで回復したので、ブログに書くことにしたのである。

さて、今夜は冷たいビールを飲んでワインを飲んで…。

2012年5月12日

来るもの、去るもの

合計200Kgの針葉樹の板を運び込んだかと思えば、ゴミを捨てたり、長尺物の限界に挑戦したり、ガラスを運んだりと、今日もゲンヤー号は大活躍である。
「去るもの」を積み込み中
「去るもの」満載
「去るもの」の計量票
計240Kgのゴミを廃棄物処分場へ運ぶ。

去るものがある一方で来るものもある。先日、近所の業者さんに梯子をもらった。「沢山あるから好きなものを持って行っていいよ」と言われたので、舌切り雀の寓話から何も学んでいない私は大きなツヅラを持って帰ったおばあさんと同じ選択をし、一番長いハシゴを持ってかえったのであった。

「来るもの」は過積載(?)
「来るもの」は道路交通法違反(?)
一般家庭にあるハシゴとは異なり、業者さんの使う梯子はジュラルミン製の5.5mもある2段式の長尺&重量級であった。積むのも大変だったが運搬はもっと大変であった。

自動車免許取得時に、積載に関する法律を学習した気がするが、当時スポーツカーにしか興味の無かった私には無縁の知識だと思い、試験の終了と共に記憶も消失した。何とか思い出そうとしたが、捨て去った記憶と言うものは戻ってくるはずも無く諦めざるを得ない。

こんなことを繰り返しながら、来るものと去るものが行き交う5月の連休であった。

2012年2月10日

通勤

今住んでいる所から建築現場まで42Km離れている。途中の道路は北海道らしい直線道路が主である。気まぐれにコースを変更しても、どの道も殆ど直線ばかりなので景観の変化に乏しい。
とは言うものの、やはり景色は雄大で美しく飽きることは無い。

お気に入りの風景。中央奥の雪山はウペペサンケ山

どこまでも直線

いつもまでも直線

途中で見える雌阿寒岳(左)と阿寒富士(右)

これは望遠レンズで撮影したもので、実際にはかなり小さく見える


肉眼で見るとこんな感じ。小さい。遠い。



で、さらに直線道路を走ると、そろそろ現場に到着する。




ここから先は、我が家(まだ住んでいないが…)しか無いので、町道ではあるものの事実上の私道である。舗装、標識、電柱、除雪は全て私達のためにだけ存在するというなんとも贅沢な環境である。道路の突き当たりより左側が我が家の敷地であり、その私道を70m入った所にある小さい建造物が昨年建てた小屋であり、さらに50m左へ行った赤い屋根の家が解体中のブツである。


解体中の2階から見た作業小屋。雪で隠れているが牛舎跡に建っている。壁がまだらなのは塗り壁実験中だからであり、崩落中という訳では無い。森の向こうに阿寒富士が見える。

望遠レンズで撮影

こんな感じで、自宅と現場を行ったり来たりしながら解体作業、建設作業に勤しんでいるのであった。

2011年8月3日

解体作業再開


ここ数日、気温と湿度が低くてちょっとばかり秋の気配。周囲の畑では麦の収穫もピークで、家の建築スケジュールが大幅に遅れていることを実感させられる。

まぁ、焦っても先に進む訳でも無いのでコツコツ作業に専念するしかない。

先月より中断していた天井解体を再開することにした。3部屋終えていたので、残る3部屋を一気に片付ける。
36.5cm幅の梁


最後の部屋の天井を取り外すと家の中が端から端まで見渡せるようになった。これで解体作業の第一段階は終了。ここで構造を再確認し、今後の作業と設計を考えることになる。




150リットル入りの袋が19個、200リットルサイズのが1個。さすがの軽トラも一度で運べず2回に分けて処理施設へ搬入する。





気温は23℃だったが、この持ちにくい袋を荷台に乗せるだけで相当汗をかいた。これを搬入先でまた荷台から降ろす作業が待っている。今日はこれを2回行い、体力は全て使い果たした。

2011年7月28日

解体作業進まず…


連日30℃を越える暑さのせいで、解体作業は一向に進まない。
作業服が蒸し暑い、解体作業が暑い、ゴミ運搬で大汗をかく。


今回指定清掃工場へ運び込んだのは、グラスウールと石膏ボードで170Kg。続けて残りのグラスウールを運び込んで70Kg。合計240Kgを運び込んだ時点で相当体力を消耗した。

軽トラは至って快調なのだが、それを運転する私の体力が追い付かない。

まぁ、あせっても仕方が無いのでスローペースながらも気長に続けよう…。

2011年7月21日

天井解体


難問山積の天井解体に覚悟を決めて着手した。天井の裏には大量のグラスウールが敷かれており、これの撤去を考えると果してそれだけの作業に見合うものがあるのかどうかが疑問であった。
  1. グラスウールが古いタイプの物なので健康被害が心配
  2. 天井裏、屋根裏に破損や腐れがあると再生に多額の費用がかかる。そうなれば改築より新築の方が割が良い
  3. 天井裏の構造が、私の期待しているものでなければ手が出せない
  4. 天井を撤去した時点で後戻りができなくなる
普通の家であれば事前に天井裏を覗けば大体の構造や状態が分かるのだが、北海道仕様の古い家屋なのでグラスウールが全てを覆っていて何も見えないのである。柱と梁の関係に至ってはその存在すら見えなかった。

このまま手を拱いていても仕方が無いので、意を決して解体作業を始めたのであった。

左からドギュー、軍手、バール大、ハンマー、ヘルメット、防塵マスク
道具はいつものドギューを中心にした原始的な道具だけである。


作業服の上に不織布製の使い捨てツナギ(298円)を着て、グラスウールのシャワーから身を守る。これにヘルメットと防塵マスクを装着するともう誰だか分からなくなる。加えて、安全靴に防塵手袋という恰好で2階にいるペモペモに会いに行くと必死に逃げ回る。どうやら私を認識出来ていないようだ。

まぁ、普通の人間でも恐がる恰好かも知れない。不意の訪問者が来ませんようにと祈りながら作業開始!


天井の化粧板を剥すとスノコ状の板張りが出現。床と逆の構造だ。真中はシャンデリアを吊す飾り天井の造作。


この板がなかなか外れない。軽いドギューは小さ過ぎて役に立たないので大きいバールを使う。上を向いての作業である上、バールが重いので手がだるくて仕方が無い。頻繁に休憩しながらも地道に一枚づつ剥していった。




30年近く天井裏に張り付いていたグラスウールはカビ等で黒ずんでいる。室内の湿気が天井裏に上がりそこで結露していた証拠だな…。グラスウールの大きさは1m×2m×100mm厚。これが2層に敷かれているのでものすごい量である。



一列のグラスウールだけで、200リットル入りのビニール袋がパンパンである。体重をかけて押し込むが、これがなかなか大変だ。TVショッピングの布団圧縮袋か?というくらい頑張って押し込めた。





2層のグラスウールを剥すと、やっと天井裏の構造が見え始めた。梁は思ったより太くて35cmの太さだ。また、天井裏(小屋組か?)の材木には全く破損や汚れ、湿気による黒ずみなども無く一安心。




これで天井断熱から屋根断熱への変更ができそうだ。天井が無くなったので、これまでより50cmほど頭上が高くなった。大変開放的でよろしい。





翌日は、玄関上の天井を解体した。こちらも状態は悪く無く、ホッとした。