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2025年9月1日

進捗具合

 さて、そろそろ飽きてくるかと思われた黄色スズメバチ君であるが、ちょっと飽きてきたのは事実であるものの、それを超える機能と庭の仕上がりにすっかりはまってしまった私である。

荒れ地もちょっと綺麗に

ちょっと芝生っぽく?

最初の2週間ほどはこんな感じで庭の草刈りをしていた。

このような刈り方だと見た目は綺麗なものの、その後の成長も早いため結構な頻度で刈り取らならければならないのである。しかし、まだ黄色スズメバチ君を走らせることに飽きてはいない私は頑張って草刈りをするのである。まあいつまで続くのかは過去を振り返れば容易に想像が……。

と思ったけれどその後も草刈りを奇跡的に続け、手付かずだった草むらを刈り取り、

さらに

その左横の草むらも刈り取る

もう刈り取る草が無い?

勢い余ってロプノールの小屋の前辺りも綺麗に刈って、遠目には芝生のような感じになったか?

ロプノールの小屋の前  

 

さらに、庭の端っこの隣の畑との境界線があやふやだった所も境界杭に沿って黄色スズメバチ君で一気に刈り取る。

へえ、こんなところが境界線だったんだと新たな発見が……、いや面倒だったので放置していただけど。 

隣の畑との間も一気に刈る

 なんかとてもスッキリ!!

2025年8月26日

氷山の一角

 その後、地面の突起物や石コロに気を付けながら黄色スズメバチ君を使っていた。その設計上の問題点は許容出来ないものの、回転刃に草などの柔らかいもの以外が触れることが無ければとりあえずその問題は表面化しないのは事実なので、敷地内の「障害物」を除去する作戦(作戦なのか?)を地道に行うことにしたのである。

肩掛け式の刈払い機で草刈りをしているときは、多少の突起物や小石などは跳ね飛ばしてしまうことはあってもそれが機器に致命傷を与えることはなかったのあまり気にしていなかったが、今回の黄色スズメバチ君の損傷具合を考えると、突起物は取り除くに越したことはないと思い知らされたのである。

いざ突起物を探してみると、探すまでもなくあちらこちらにあった。

たとえば、

ちょっと出っ張っている石?

 こんな感じで地面から顔をだしているコブシ大の石。

草刈り機には引っかからない程度の出っ張りだけど、何かの拍子に刈り刃に当たってまた修理をするのも不毛なので、頑張って除去することにしたのである。

氷山の一角?

 石の周囲にスコップを入れても何かに当たるような手応えがあり、思ったより大きな石なのかと思いながら少し範囲を広げて掘り始めると、さらにスコップが当たる。さらに広げて……。

結局、このように見えていた部分の十数倍の岩が縦に埋まっていたのである。広角レンズなのであまり大きく写っていないが、実際の大きさはとても人力では持ち上がらない重量であった。

他にも大小様々な石(岩?)が埋まっていて、数日がかりで撤去したのである。 

露出部分はとても小さな石だったんだけど

掘り進めると岩であった

岩の周辺の石は取れたが…

 

掘り起こさなければ良かったな……。

 

 

2025年8月24日

強力ではなかった助っ人 (?)

 その後、機嫌良く草刈りを頑張ってくれた黄色スズメバチ君だったが、その構造に一抹の不安を覚えていたのである。その構造とは、草刈りを行う「刈り刃」がすごい勢いで回転するすぐ横に車輪に駆動力を伝えるベルト駆動構造がある。

通常の設計であれば、破砕力のある回転部分と駆動伝達噛み合い部分とは出来るだけ離す、もしくは隔離するのが当然なのだが、この黄色スズメバチ君はコスト削減を前面に出した潔い設計なのでそのようにはなっていない。ただ、それをある程度想定しているのかその繊細部分を保護するためのカバー部品が付いているのである。そしてその部品というと、「え?これでいいのか?」を10回くらい叫びたくなるような見るからに脆弱なものであった。

当然の帰結ながら、4回目の使用でカバーが破損し走行不能になったのである。予想的中……、という嬉しくない予想と、それが的中したという不運。

さて、困った……。

カバー部品の内側

 補修後の写真しかないけど、この白い部分は完全に欠落しており左右をつなぐ部分は割れて離れてしまっていたのである。色々考えた結果、欠落部分にはメッシュ構造を付加し、その上を接合用のプラスティックを用いて「手動3Dプリンタ」のように何度も何度も繊維状に重ねて構造部分を整形したのである。アラミド繊維もビックリである。

その結果、

接合できた?

気休めのメタルテープ

 上部には耐摩耗力のある板を接合して、さらに防水を兼ねて気休め程度のメタルテープを貼って完成とした。

このあとも、おそらく同じ理由で同じ部分が破損するのは想像に難くないが、まあその時はその時なのでしばらくは騙し騙し使っていこうと思う。

果たしてこれが「強力な助っ人」と呼んで良いのかどうか……。 

2025年8月7日

強力な助っ人 その (3)

 その後、黄色スズメバチ君(と名付けたのか?)の扱いにも慣れてちょっとしたコツを掴めてきた。

敷地の比較的平らなところばかり草刈りをしてきたのだが、ちょっとデコボコしたところに挑戦してみたのである。すると、駆動輪が空回りする場面もありながらもエンジンが止まることもなく見事に刈り取れたのである。

敷地の西側で木々が隣接するこの部分は凍結を繰り返すからなのか、ほとんど平らなところが無く、調子に乗ってゲンヤ〜号で走ってみたら見事にスタックしたのは遠い思い出である。

デコボコが目立たなくなった

 凹み部分の草は殆ど刈れないものの、全体的に草の背丈が同じになったのでスッキリとした平坦地に見えるようになった。歩くとつまずくけどね。

こっちのデコボコはあまりキレイにならなかった

 さらに酷いデコボコ部分を刈ってみると、黄色スズメバチ君が傾いてしまってあまりキレイに刈り取れなかった。でも、刈払機でするよりも全然マシな状態になったので効果はあったと言うべきか?

 昨年まで3週間ほどかかって草刈りをしていたこの部分をたったの1日で終わってビックリである。

というのも、肩掛けの刈払い機だと重いし歩き難いし凹み部分がうまく刈り取れないので途中で諦めてしまうから時間がかかって仕方がないのである。しかし、黄色スズメバチ君は自走式なので、勝手に進んで行ってくれるので途中で諦めるスキを与えてくれないのである。

どちらかと言えば、黄色スズメバチ君に引きずられ気味で歩かされているという方が適切な表現かも知れないな……。

 買って良かった!!

2025年8月5日

強力な助っ人 その (2)

我が家は購入した当時は思っていたより広くないなと感じた5200平方メートル余りであったが、いざ住んでみると人の手に負えない広さだと気付くのに時間はかからなかったのである。

ある程度覚悟していた冬の雪かきに関しては、玄関先まで丁寧に除雪してくれる町の行政サービスのお陰で何の苦労もなくやり過ごすことができたが、夏の雑草刈りは想像をはるかに超える重労働であったのである。刈っても刈っても終わらず、刈り取ったところは間髪入れずまた生えてくるのである。無限に続く罰ゲームのようであった。

時々さぼりながらも何とか毎年頑張っていた。

というのも、さぼると翌年に「昨年の分も合わせて頑張って成長するぜ!」とでも思っているのか、ボーボーと生えてくるので結局刈り取る労力は同じであると思い知らされたのである。

その後も半分諦め気分のまま毎年適当に草刈りをしていた。まあ、適度の運動だと思えば健康のためにも、……と思うわけはない……。

それにしてもなんとかこの草刈り作業の労力を軽減できないかと考えていた中で幾つかの候補はあった。そのひとつが今回導入に至った「自走式草刈り機」である。手入れの行き届いた庭園、キャンプ場などであればそれなりに役立つだろうが、我が家のような起伏の激しい土地では構造上その力を発揮出来ないだろうと諦めていた。

しかしである。

「これは意外と使える道具だぜ!」という信憑性に疑問だらけの情報源ではあったが、ひょっとしてこれは使い方によっては我が家でも使えるのではないかと思い至ったのである。

あー、前置きが長い…。

結果は、「使えるじゃないか!びっくりだよん!」であった。

これまでチマチマと草刈りをしていた機械は25ccのエンジン式草刈り機と、その後面倒臭さに負けて購入したマキタ電動草刈り機であった。

そして今回我が家にやって来たブツは、186ccのエンジンを搭載する黄色スズメバチそっくりさんである。

 

エンジンはけっこう大きい
 

たしかに起伏形状ではうまく刈り取れないのだが、一定の草丈で一律に刈り取ってくれるので、見た目は思った以上に綺麗な仕上がりになっている。これは想定外だったかも知れない。

 

背丈の高い草もバリバリと刈ってくれる

デコボコだったけど、何となく平らに…

ふふふ、刈り取ってやったぜ!

刈り終わった庭を見ると、高さを揃えて刈り取られたせいだろうが、作業前より敷地がすっきりとした「平面」になっていた。

うーん、強力な助っ人である。

わ〜い! 

2025年8月4日

強力な助っ人 その(1)

最近我が家にやって来たコイツ!

 

むふふ

なかなか良い仕事をします

 まるで黄色スズメバチのような配色のこの機械、思ったより使える奴であった。

配色が同じ

 
こっちもか?

まあ、ただの草刈り機なのだが、これが想像以上の働きをするものだとは思っていなかったのである。

 これまで何度も購入を検討してはみたものの、その構造といい、その設計思想というのがどうにも受け入れられなかったため購入に至らなかったのである。

 しかしながら、 いざ買ってみるとこれがまあ……。

 

つづく 

 

2025年8月3日

大収穫祭

 なにげなく庭を見るとそこにはスモモがたわわに実っている。これまでもこの季節になると赤い実が目を楽しませてくれるだけでなく、初夏の味わいをもたらしてくれる。

艶やかさが引き立ちますね
 

頬張ってみるとその甘酸っぱい味は、しばらく前にあの冬の厳しい寒さがここに居座っていたことなどすっかり忘れてしまいそうになるには十分ですね。

たわわも実りすぎて落下……
 

籠いっぱいに採ってはみたものの、もうお腹いっぱいです、はい。

2015年12月30日

原風景

私が生まれて初めて北海道を訪れたのは14才の夏休みであった。このときは自衛隊の東千歳演習場の中にある旧日本軍の滑走路跡周辺で一週間程テントを張って遊んでいて(何をしているんだか…)演習場の外を出歩かなかった。そのため、牛には出会えなかったし地平線も雄大な山々も見た訳でも無いのだが、当時の演習場は原生林の中にあり、見渡す限りの青空、昼間でも薄暗い森、端の見えないこれまで見たことも無いような広大な大地が広がっていたのであった。これらは、中学生ごときが知っている世界や常識というものをはるかに凌駕するものであり、北海道の魅力に目覚めてしまったのである。

たぶん、この辺りで遊んでた

それから数年間、ひょいと訪れた北海道がこんな素敵な所であれば、日本中探せば他にも驚くような世界が広がっていると何の根拠も無くそう信じていた。大学に入ると親元から離れた生活になり、何の足枷も無くなった私はここぞとばかりに糸の切れた凧のようにあっちへフラフラこっちへフラフラと日本中を旅し、各地の風景を見たり人と出会ったりし、自分がこれまでどれだけ狭い範囲の中だけで生きていたかを思い知らされたのであった。

翌年、年齢は一つ増えて19才になったものの学年は再び1年生という、学業に勤しまなかった者への社会の厳しさも同時に思い知らされたのであった。

でもまあ1年生を2回も出来るという幸運に恵まれ、大学の事を何も知らないくせに同級生から先輩と呼ばれ、サークルで厳しい練習に明け暮れていたある日、サークルの先輩が「北海道の山に登り放題のバイトがあるぞ」と何やら意味深げな顔で教えてくれた。一抹の不安はあったものの、バイトを募集していたのが当時の環境庁であったこともあり二つ返事でバイトをすることになった。北海道へは1年間位滞在したかったが、1年生をこれ以上するのも不毛なので、夏休みよりちょっとだけ長い2ヵ月だけ行くことにしたのであった。

7月初旬に本州から電車を乗り継ぎ、今は無き青函連絡船に乗り、函館駅へ到着した時は夜明け頃であった。曲がった長大なホームには毛ガニ弁当が売られていて、これを見た瞬間に北海道へ上陸したんだという実感が沸いてきたのであった。ここから特急列車に乗り換えたのだが、本州の特急列車を利用し北海道の特急列車に乗り継げば特急料金が半額になる制度があるらしいことを知ったのが列車の中であったのでこの特例を利用することが出来ず、物事を知らないというのは損であるとここでも社会の厳しさを思い知らされたのであった。

旭川から普通列車に乗り換えたのだが、線路は単線、列車は2両編成、車窓から見える景色は、牛と緑と大地ばかりであった。私の生まれ育った所では、線路は複線で高架か地下、電車は8~10両編成、車窓から見える景色はビルか地下トンネルの壁面、ホームにあふれる人混みであり、大違いである。ここは、これまで見てきた日本の景色とは大きく異なり、外国にはまだ行ったことも無いくせに異国情緒を感じていた。昼過ぎに上川駅に到着し、待合室で環境庁の職員に無事出会うことが出来たのだが、ここで驚愕の事実を知らされる。このバイトは交通費が支給されないらしい。当時、本州から北海道までの交通費というのは恐ろしく高額であり、バイト代の5日分程は交通費に消えてしまったのである。雇用主がたとえ国家であっても、労働条件は事前にしっかり確認しないと痛い目に合うと思い知らされたのであった。

おまけに、駅から登山口までの車中で、食事代も不支給、休日無しの週7日労働、さらにバイト代は最終日にまとめて支給という劣悪バイトであることを知らされるが、もう思い知らされるものが多過ぎて頭の中はパンク状態であった。さらに追い討ちをかけるように、バイト代が当時の平均的な金額の半分であることを知らされ、往復の交通費と2ヵ月分の食費だけでバイト代を軽く上回ることに気が付いた時には、環境庁の立派な車は大雪山黒岳登山口のある層雲峡へ到着していた。

7月だと言うのに気温は10数度、事務所の中ではストーブが焚かれている。 バイトなのか無料奉仕なのか、はたまた強制労働なのか知らないけれど、これで夏休みの蓄財計画は見事に霧散したのであった。その環境庁も、私を安いバイト代で長期間こき使って財力を高め、今や環境省に昇格である。いったい誰のお陰で…。

ここでの仕事は多岐に渡り、国営キャンプ場のシーズン前の草刈り、シーズン中は週1回のキャンプ場の管理人、週6日は環境庁の腕章をつけてグリーンパトロールという名前で大雪山の山々に登りゴミを拾う。さらに物品の運搬という良く分からないものもあり、白雲岳の避難小屋に仕切り壁を作る時は、182cm×91cmの板数枚を麓から山頂近くの小屋まで荷揚げをさせられた。荷物が巨大な板なので後ろから見ると人間の乗った凧に見える。そして本当に風が吹くと飛んで行きそうになったのである。またあるときは登山道に転落防止柵を作るというので、大量の杭を運ばされたこともあった。背中には杭、頭の中は悔い、昼になったら昼飯を食い、僕は一体こんな所で何をしているんだろうと何度も考え込んでいた。

人は何事にも慣れるもので、半月程経った頃には雄大な大雪山の風景にすっかり魅了されており、毎日こんな素敵な場所へ来られるし約束通り山に登り放題である。僕はなんて幸せな奴なんだと、環境庁の思うツボにはまって行く私であった。

いくら若くて体力があるとは言っても無休の労働が40日も経過する頃には過労気味になって来て、ある日倒れてしまったのである。環境庁は慌てて(慌てるくらいなら休みをくれんかい!)私を車に乗せ、麓の町の病院まで連れて行ってくれた。未舗装で曲がりくねった国道を峠を越えて延々走り、山道もそろそろ終わりかけた頃、目の前に広がったのは地平線が見えそうな大地、遥か先まで続く一直線の道路、広大な牧草地、初めて見るサイロ、ごく稀にしか現れない人家、信号が全く無い…。もうそれは日本とは思えないような景色であった。

病院はそんな風景に囲まれた町の中にあり、腕に点滴を受けながらも2階の窓から見える雄大な景色に魅了されていた。そして、いつかここに住みたい!と心に誓ったのである。結局、この病院までの道中や窓から見えた景色が、私にとっての北海道の原風景なのである。

その後、アメリカに住んだり、地球を一周したり、砂漠の中を歩いたり、全てが凍りつくー35℃から灼熱の+55℃まで体験したりしながら色々な所を見て、39ヵ国を回ってみた結果、やはり北海道、それも道東地域が世界で一番素晴らしい居住環境であるという結論を得たのである。

そして、いつかは、いつかはと思いながらなかなか実現しなかったが、それから数十年後になってしまったものの、今こうしてあの時に見た同じ景色を見ながらこのブログを書いているのである。

我が家の窓からの景色

2011年6月2日

シ・アン・ルル

その昔、この地はシ・アン・ルル(shi-an-rur)と呼ばれていました。
自然が豊かでとても良い所です。

この付近の人口密度は2人/平方Km。

ここで自由気ままに暮らして行きます。