その数字とは、それは希望ナンバーと称される自動車のライセンスプレートに自分の好みの数字列を入れるというものである。過去にも車を購入するたびに考えたことはあるが、結果はあまりしっくり来るものでも無く、安直に誕生日にしたり何となく座りの良い数字列にしてお茶を濁していたのである。
随分前の20世紀の終わり頃、スポーツカーを購入した時は希望ナンバー制度は無かったのだが、派手な車であったこともあり変なナンバーが付くのはどうしても避けたかったのでディーラーに相談してみたのである。今から思えばディーラもさっさと断れば良いものを「そうですね、出来ないこともありません」と何を根拠に思ったのか、そう言い放ったのである。
当然その提案に乗らない理由も無く、希望するナンバーを伝えて納車の日を待っていたのである。
その後、納車の2週間ほど前に「希望のナンバーが取得出来ました、苦労しましたよ」と連絡が入ったのである。後学のためその裏技のような方法を教えてもらったところ、「陸運局の申請窓口で発行される番号をずっと見ながら、良い番号の順番が回ってきた時にすかさず申請するのです」という、想像の遥か斜め上を行く手法であった。
まあそんな無理なことをした報いなのか、心待ちにしていた納車日の2月10日に私はディーラーでは無く、国際空港のロビーにいたのである。そう、納車日とアメリカ出張が同じ日だったのである。その後帰国してディーラーに行けたのは6月のもはや夏のような暑い日であった。
アメリカに住んでいた時にも同様のことがあったのだが、あちらは希望ナンバーでは無く希望文字列であり、アルファベットと数字の組み合わせなので選択肢も格段に広かったのである。しかし、当初車を共同所有していた同居人と希望する文字列に合意を得ることが出来なかったのである。
妥協案や折衷案も浮かばず、申込み締め切り日だけが近付き、最後は投げやりになり「もういい!いっそのこと『への6番』にでもしてしまえ!」と言ったところ、意外にもそれで合意に至り、私のSAAB900Sは「HENO6」という訳の分からないナンバープレートを付けて走ることになったのであった。黒歴史だ…。
今も燦然と輝く「への6番」と素数時計 |
さて、21世紀に入って懲りもせずスポーツカーを購入したときには、日本でも希望ナンバーが取得出来るようになってはいたのだが、大した案も浮かばないまま何のひねりも無いありきたりな番号を選んでしまったのである。その後、北海道に来てからも状況は変わらずであり、これといった希望ナンバーを思い付かずに今日まで来たのであった。
閑話休題。
先日ひょんなことから再び希望数字を考えなきゃならない状況がやって来たのであった。相変わらず名案も浮かばずモヤモヤしていたのだが、友人と雑談をしているときに「素数はどう?」と提案され、そうだよ素数時計を作ったときのようにその手で行こうと決心したのであった。
この家を作っているときにお世話になったモデュロール数列に敬意を表しフィボナッチ数列から選択することにした。それだけだと面白くないので「素数」でありかつ「フィボナッチ数」であるものの中から幾つかの条件を満たすものを抽出していった。
そして、何かを言いたげな「一桁の数字」やパチンコ屋の駐車場に止まっているような「ゾロ目」だったり、何が言いたいのかさっぱり分からない「語呂合わせ」などの恥ずかしい数字列は絶対に避けたかったのである。
さらに、どうせ選ぶなら車の番号なので「安全」にちなんだ数字を選ぶことにしたのであった。
安全な数字とは何か?それは安全素数である。
安全素数は素因数分解の困難さに依拠した数字のことであり暗号理論の教科書に良く登場する人気者である。しかし、それをそのまま持って来てもフィボナッチ素数にはならないという振り出しに戻る結果になってしまう。
そこで登場するのがソフィー・ジェルマン素数列である。それがどうしたと言われてもどうしようもないけど、ここに登場する数字はもちろん素数であるが、これを2倍して1を加えてもまた素数になるという性質があり、さらにそれは安全素数と呼ばれる特殊な数になるのである。
そしてこれが肝なのである。なぜ2倍が肝なのかと言えば、それはナンバープレートというものは車の前後に同じものが2枚あるからである。
つまり、自動車の前に「フィボナッチ素数であり、かつソフィー・ジェルマン素数でもある数字」があり、後ろにも同じものがある。つまり2倍である。そこへ運転手の人数である1を足すと全体で安全素数を形成出来るのである。
ということで、この特殊な数字が記載されたナンバープレートを車の前後に擁し私が運転することによって初めて安全素数が完成するのである。「素数+私+素数=安全」という一体感に包まれた希望ナンバーの完成である。
ちなみに、これらの条件を全て同時に満たす数字は、この世にたった2つしか存在しないのである。
さて、私はそのどちらを選んだのでしょう?