2011年9月6日

時々、まとめ(1)

コメントが投稿できない、プロフィールも書かれていない、(有意な)固有名詞が登場しない、連絡先も無い不親切極まり無いこのブログは、元来、仲間内の連絡用に開設したものでした。なので、背景は全く書かれていないし、何の前ぶれも無く状況が変わるのはある意味当然のことでした。しかしながら、不特定の方が読まれているようなので、時々「まとめ」と称して補足を書こうと思います。蛇足かも知れませんが。
東京や大阪でサラリーマンをしていた私は、新しい住環境を求めて2004年頃から毎年欠かさず3週間程度の夏休みを取って妻と共に北海道中を走り回りながら土地探しを行って来た背景があります。もちろん、それ以前から探していましたが具体的に行動を起こしたのが2004年以降ということです。

これまで世界中の色々な土地、住環境を見て来た私は一般的な「住宅」というものにあまり興味を持たず、かと言って奇を衒った○×デザイナーハウスや近未来型住宅、エコなんとか住宅にも興味はありません。高い/安い、大きい/小さいという尺度では無く、「住む」と「生きる」という言葉にが隔たり無い、その土地と自分自身をしなやかに結ぶ空間のようなものが「家」だと考えています。具体的に何かビジョンがある訳でも無く、素晴らしい感性を持っている訳でもないので常に手探りの状態ではあるのですが、朧ろげながら「これかな?」という例にはいくつか出会ったことがあります。

1980年代にはスペイン、フランス、オランダ、ベルギー、スイス、オーストリアなどの田舎や山岳地帯を中心に、90年代にはアメリカおよびアメリカが内包する異文化(北欧移民、アーミッシュ、ユニタリアンなど)、アメリカ建築(住んでいた近所にフランクロイド・ライトのタリアセンがあった)、90年代後半から2000年代には中央アジア、スラブ文化などに接し、それぞれの自然との共存、自然界の模写、模倣を見て来ました。中でも石灰岩の小山をくり抜いただけの洞窟住居、グエル公園、カサミラ、レギスタン広場などには住居というものへの考え方に大きな影響を与えられたと感じています。

もちろん、私は建築家でもなければ芸術や歴史に詳しい訳でも無く、ビッグネームを盲信しているわけでもありません。ただ、これらの出会った建造物にとても心を惹かれ、そして自分の住居もこれと同じ方向を目指したものであればどんなに素敵だろうと思っているだけです。

それに近い既存の住居が無かったこと、なんとなく自分の手で作ってみたかったこと、漠然と興味があった事などからセルフビルドに走っている訳です。ですから、厳密なセルフビルドである必要も無く、フルスクラッチであろうがリフォームであろうが、どこかからのコピーであっても構いません。気が変わって、どこかの建築士が設計した家でも構わないのかも知れません。これまで見て来た住居に通ずる何かを持った家であれば何でも良いのだと思います。

結局、何のまとめにもなっていないけど、まあいいや。