毎年、3週間の夏休みを取って道東地方を走り回って土地探しをしていた私達は、5年前にとある土地と出会った。そこは、素晴らしい景色やロケーションで私達が求めていた条件の多くを満たしていたものの、その土地が求める条件を私達が満たしていなかったので手には入らなかったものだ。
そこは原野なので下水道が無いのは当り前。電気が通っていないのも何とかできる。しかし、水道が無いのにはどうしようも無かった。それを乗り越えられる人だけが買える土地、つまりその土地は人を選ぶのである。
その後、その土地に選ばれた人が現れ、運良くその人達と知り合うことが出来たのである。当時、お互い近くに住み、似たような考えで、似たような目標を持って北海道移住を目指していた。ただし、技量や知識、経験などのレベルは足元にも及びませんでしたが…。
そして2009年の春についに彼らは北海道に向けて出発。そのとき、ほぼリアルタイム更新のブログに登場するのがこの軽トラです。延期に次ぐ延期でなかなか出発出来なかった私は、このブログを指をくわえて見ているだけだった。
そしてこの軽トラは師匠の元で活躍し、ますます私にとって特別な存在になって行った。その後、師匠のご厚意でこの軽トラを譲ってもらえたのである。いわば憧れの車を手に入れたということである。他の軽トラとは一線を画している理由がわかるであろう。
小屋を建てるときは壁が倒れないように支えてくれた、屋根の煙突を外すときは脚立を支えてくれた。
建材を運んでくれたり、 解体の廃棄物を処理場まで運んでくれたりしてくれた。
錆びていたところにペンキを塗ったが、とんでもない色を塗ってもじっと耐えて染まってくれた。
敷地内で傾いているゲンヤー号 |
本州育ちのひ弱な足周りのせいで、雪道でスタックし身動きが取れないこともあったが、トラクターで引っ張ってもらうと、無言で立ち上がってくれた。
77、777.7Km |
この冬も頑張ってもらうために、荷台に20Kg×5個の砂袋を積む。これで後輪の荷重を高め、 後輪が空回りしないようにしている。そう、この軽トラは2WDなのである。
原野開拓で活躍したこの車さえあれば、私にも家を建てられるだろうと言う気にさせてくれる。これがいかに私の心の支えになっているか想像に難く無いであろう。
ということで、2年目もよろしくね、ゲンヤー号。