2015年8月30日

ぱんくま

僻地に住んでいると山奥や秘境へ行くのが便利である。いや、便利と言うのかどうかは知らないが、とりあえずそんな場所が近いので気軽にたどり着くことが出来る。先日も地図で気になっていた場所があったので、いつものようにふらっと出かけたのであった。

天気はあまり良くなかった
その場所の入口付近はこんな景色であり、ふらっと立ち寄るにはちょうど良い(何が?)景色である。ここから気楽にスタートしたのであるが、私のカーナビの表示はそこには道は無いと告げる。まあカーナビごときが何と言おうが目の前に道がある、現実を優先するのが正しい判断というものだ。

目の前に道はある!
道幅は多少狭いものの舗装までされている立派な道路である。この状況を前にしてナビの言うことを信じる理由など無いであろう。

進むにつれ、あっと言う間に舗装道路が消え去った
舗装道路がダートになったところで、特に道幅が狭くなる訳でも無く通行止めの標識も無い。相変わらずナビは道が無いと告げるが、とりあえず道はあるのでそのまま進むのであった。

気のせいか道がちょっとワイルドに…
大した距離も進まない内に、ナビの言っている事の方が正しいんじゃないかと思えるような様相を呈して来た。目の前の空間は道には見えるが、このままお気楽に進んで良いかどうか段々不安になって来た。

こ、これは道なのか?

このまま進むべきか判断に迷うところだが、馬鹿げたことを思い付く能力は持ち合わせているものの冒険や挑戦と言った野性的な能力が欠如している私は、何かあればすぐに引き返すという柔軟さをも持ち合わせているので何とかなるだろう。

そもそも何故ここを走ろうと思ったのかと言えば、先日暇潰しに図書館で古地図を眺めていた時、大正年間に作成された地図に記された古道を発見したのである。現在の地図には記されていないが、開拓時代の幕開け頃に動物性蛋白質や森林資源を確保するために開かれた道のようだ。

100年近く前の登山道のようなものが今でも残っていると考えるのもどうかと思うが、そこを車で行こうと思うのは…。
右も

左も
そのうち路面が見えなくなってきて、さらに車全体が草に覆われるようになり、この小さい車でさえ通行が困難な道になったのである。もはやハンドルをどっちに切れば良いかさえ分からないくらいに道そのものが見えなくなったのである。

この車は車幅が147cm、全長がわずか273cmという極小の2人乗りの車である。初めて見た人に「これは原付自動車ですか?」とか、「電気自動車ですか?」などと言われる始末である。悔しいので「いやあ、実はペダルをこいで走る車なんですよ」と冗談を言うと疑うことなく信じてもらえるというような車である。そんな車でさえ、これ以上進むのは危険だと感じたので引き返すことにした。

引き返す?え、どうやって?

道幅は2m程度。路肩は木や雑草が生い茂っていて境目がはっきり分からない。こんな所でUターンなんて無理だよな。でも、このままこの道をバックで戻るのはもっと無謀かも知れない。後ろの窓越しには草群しか見えず、どこへ向かって走れば良いのかさえ全く分からないからだ…。

2秒ほど悩んだ挙げ句、意を決してUターンを試みることにした。車外に出て道幅を見るがやはり2mちょっとしか無い。路肩はあの標識の出番を待つまでも無くとても弱そうである。こんな所から落ちてもロードサービスは来てくれないだろうなと携帯電話を見ると見事に圏外である。ロードサービスを頼むかどうか以前の問題であった。

車の全長は3mに満たないが、前輪から後輪までの距離、つまりタイヤが地面についている前後の距離は2mと少しである。この道幅でもなんとかUターン出来るかも知れない。この車はパワーステアリングが付いていないので、ステアリングを自分のパワーで回す、回す、回す、回す、回す…。30回程ハンドルを切り直して15cmずつ前に行ったり後ろに戻ったりしながら、奇跡的に崖下へ落下することなく2m程の道幅をUターンしたのであった。もう、汗びっしょりである。

今の私を見れば、本当にペダルをこいで走ってきたんだと素直に信じてしまいそうな面持ちである。

ここまで登りばかりの道であったので、帰りは当然のことながら下りばかりである。それもかなりの急坂である。来るときも3速では登れなくて2速、最後にはローギアで登ったよな…。来るときよりも緊張する道を、どうか故障やパンクはしませんようにと祈り終る前に「パーン!」という断末魔のような音と共にハンドルが大きく右へ、つまり崖下へ向かって取られたのである。急な下り坂の砂利道はブレーキが全然効かないのでハンドルだけが頼り。さっきのパワーステアリング事件(事件なのか?)で力を使い果たした私の腕は、もう必死にハンドルを握り締めた、いやハンドルにしがみついて崖下に落ちないように踏ん張ったのであった。あー、恐かった…。
 
パンクとジャッキ

ジャッキを回すのは、ただの棒…

スペアタイヤ
パンクに気付いて時は車を止められるような状況ではなかったので、ビクビクしながらも600m程走り、ようやく平らな場所に戻ることが出来た。そこでタイヤ交換を始めるのだが、果たしてスペアタイヤは積まれているのか?空気はちゃんと入っているのか?車を持ち上げるジャッキはあるのか?ホイールを外す工具は入っているのか?

緊急の場合に備えてこういう工具類はいつもしっかり点検しているとか、万一に備えて普段から点検だけは怠らないとか、そんな殊勝な心構えは一切持ち合わせていない私だったが、奇跡的に全て揃っていた。揃ってはいたが、ジャッキを回すシャフトは普通だとクランク状になっていてクルクル回せるのだが、この車に装備されているシャフトはただの棒であった。この謎の棒は中途半端に長く地面に当たってしまうので、半回転ずつずらしながら回すというエンドレスな作業を強いられたのであった。

スペアタイヤはというと、この車が販売されてから使われたことがただの一度も無いのが良く分かる程、ホコリまみれで粗大ゴミの風貌を持つテンパータイヤである。もう、交換しない方がマシじゃないかと思われるような頼りないタイヤであった。

そんな文句をブツブツ言いながらタイヤ交換をしていたのだが、ふと周囲を見回すとそこは無音の世界であった。シーンと静まりかえっていて時折、小鳥のさえずりや草葉の擦れ合う音だけが響くようなもの寂しい所であった。これって、熊が出てもおかしくない状況だよな…。

パンク → クマ

そんなしりとり言葉が頭の中をクルクルと回りながら、エンドレス状態のジャッキも回し終え、熊に襲われることもなく無事にタイヤ交換が終了した。

あの標識が…
崖下に落ちたり熊に襲われたりしなくて本当に良かったと胸を撫で下ろしながら帰路に着いていると、前から例の動物標識が現れた。相変わらず人を小馬鹿にしたような表情だが、今回は「ぷぷぷ、熊に出会わなくて良かったね、うぷぷ」と言わんばかりのふざけた顔であった。


それにしても、近所に秘境があるというのは考えものである…。