2017年7月19日

走古丹

ルークシュポールを後にして(って、通り過ぎただけだが…)、車を根室方面に進めるのであった。


途中、厚床で線路の分岐跡を見学し、その駅前より眼前に広がる原野までずっと一直線に伸びる道路を眺めていた。ここは1933年に開業した標津線と根室本線との分岐であるが、その前の1925年に敷設された「殖民軌道根室線」があったところなのである。
厚床駅のホームに設置されている
JR標津線と植民軌道の説明
JR、それ以前は国営鉄道だから「国鉄」、その前は鉄道省が作ったから「省線」、さらにその前は鉄道院が作ったから「院線」と呼ばれていた。これらの線路は幅が1067mm(新幹線は1435mm)の日本標準サイズであったが、殖民軌道は線路幅がたったの762mmしか無い簡易軌道と呼ばれる鉄道だったのである。


JRの現行線や廃線跡、蒸気機関車、秘境駅にはあまり興味は沸かないが、この殖民軌道には心を鷲掴みにされるのである。かつては標津、弟子屈、鶴居、標茶など多くの地域に敷設され独自の発展を遂げていた。また、これらとは目的も運営も異なるが、美留和原野を走っていた安田財閥が所有していた釧路鉄道や、中標津空港と中標津駅を結ぶ謎の軍用軌道などもあった。


途中、この植民軌道跡地らしき所を経由して風連湖へ向かった。風連湖はサロマ湖と同じく、海へ開口部を持つ汽水湖である。この開口部は、その両端から陸地がせり出していて、北端の方は今回の目的地である「端っこ」まで行けるのである。


まずはネイチャーセンターへ寄ってから南端の春国岱付近の湿地を歩く。入り口付近に大きな鷲が柱状のものの上に陣取っていた。



鷲?
湿地は木道が整備されており、軽装でも問題なくその景観を楽しめるようになっている。しかし今日はあまりにも暑く、それ程景色を楽しむ余裕が無い。さらに高潮被害があったらしく、木道の後半は崩落していて先には進めなかった。

湿地に延びる木道
それでもなんとか景色を楽しんだあと入り口まで戻ってみたら、なんとあの鷲がまだ同じ場所にいたのである。え?置物なのか?と思って近付いてみると、それは生きている本物の大きな鷲であった。さらに近付いても逃げる様子は無いので、調子に乗って接近しながら写真を撮ってみた。
1mの至近距離でも逃げない鷲
生きてるからちゃんと首も動く
近付き過ぎて下から見上げるような恰好で写真を撮っても、こちらをチラッと見るだけで全く動じない鷲であった。なんか格好良いな。

さて、いよいよ目的地の突端へ向けて出発!


グルッとほぼ一周して北端へ
この端っこは走古丹という集落がある。
走古丹
総務省統計局の2010年の国勢調査によると、51世帯で人口は202人の小さな漁村である。しかし、ここは全戸が上下水道完備のインフラがしっかりした場所なのである。集落の端には立派な下水処理場がある。そしてその理由は…、またいずれ。
ちなみに、この集落の名前は走古丹と書いて「はしりこたん」と読む。

この集落からさらに先まで行くと、やっと端っこへ辿り着くのである。


左に根室海峡、右に風連湖を見ながら進む
この先が端っこ
野付半島を小さくしたような、同時に両側の水面を眺められる細い道が続いている。先端に着くと、そこには綺麗な景色がどこまでも続いていた。来て良かったなぁ。 

帰りは遅くなってしまったので、東武サウスヒルズで買い物を済ませて帰路に着いたのであった。