2011年10月21日

その後のペモペモ

ペモペモは庭先で相変わらず元気に暮らしている。私が来るとどこからとも無く鳴き声が聞こえ、近くに飛んで来る。はっきり見える距離まで来るがそれ以上は近付かない。こちらが離れると追いかけて来る。そんなことを繰り返してもう3ヵ月近くになる。
庭木の枝からこちらを見るペモペモ

先月、コーン畑の刈り取りが始まった時には、餌場が無くなるのと刈り入れのトラクターの轟音でどこかへ逃げてしまうかと心配したけど、全然平気だったようだ。なかなか肝の座った鳥だ。それでも餌場が減少したせいか、遠くの森まで餌を捕りに行っているようで呼んでも返事が無い時がある。


それはそうと、お前は渡り鳥じゃなかったっけ?そろそろユーラシア大陸へ飛んで行くのか?それともすっかり忘れてここに住むつもりなのか?

2011年10月20日

昨日、近所にヒグマが現れ乗用車を襲ったというニュースが流れた。調べてみると、それはここから4Kmも離れていない場所であった。地形的には川を挟んでいるはいえ、熊の行動範囲からすれば十分近い距離である。スキップしながらでもやって来れる距離である。
(C)不明

本当にスキップしながら熊がやって来たら嫌だなと思いながらも、実際の危険性を考えてみた。「本来、熊はこちらから刺激をしない限り襲ってくることは無い」と観光案内やガイドブック、登山の心得等に書かれている。おそらく正しいであろう。しかしながら、刺激を与えた人物と襲われる人物が同一である保証は無い。つまり、私がヒグマに出会う直前に誰か知らない人がそのヒグマに刺激を与えていれば、そのとばっちりを受けるのは私である可能性があるということだ。

私の落度でヒグマに襲われるのはある程度仕方の無いことかも知れない。特にこのあたりはヒグマが良く出没する地域だからだ。それを承知の上で購入した土地である。しかし、私以外の不注意で私が被害を被るのは絶対に嫌だ。

と、見晴らしの良い隣の畑の中で夕焼けを見ながら考える私であった。薄暗い畑の中で黒いジャケットを着てポツンと佇んでいる私は、昨日のニュースで緊張の走るこの状況下で、誤って撃ち殺されても仕方の無い状況であると気が付くのに時間を必要としなかった。

慌てて畑から出て、車に飛び乗りました。危なかった…。

2011年10月12日

温泉

この連休中に友人が遊びに来たので、町内をプチ観光していた。
まずは岩間温泉。秘湯と呼ぶに相応しい山間部にある温泉である。昨年訪れた時は、国道から未舗装の林道(入山届が必要)を十数Km走ったところにあったが、今年はそのルートは通行止めのため、シンノスケ迂回線一ノ沢林道および音更川林道を経由して本流林道に迂回するルートを利用する必要があった。お蔭様で距離と秘湯度(?)が更にアップしていた。

この林道を走って行くと、温泉の数百メートル手前の地点で道を横切るように川が流れている。深さは40cm程度であるが、流れが急なので車で渡るにはちょっと勇気が必要である。


この川を越え、岩場を走ると再び川に出る。この川沿いに温泉が湧き出ている場所があり、そこには岩で出来た立派な湯舟がある。手入れも行き届いており、大変気持良く温泉を楽しめる。




この温泉の源泉は、この川の岩肌から直接湧き出ている。


 黒いホースの50cm上方に並行して見える岩盤の割け目から湯が出ておりその成分のせいで白く垂れたように見える。この割け目が横数十メートルに渡って続いており、その区間であればどこに湯舟を置いても温泉が楽しめる。源泉温度は高めであるので、加水用と思われる黒いホースが上流から引き込まれていた。

岩の間から湯が出ているので岩間温泉と言うらしい。以前、文献で調べた時は発見者の名前にちなんで付けられたと書かれてあったが、この状況を見ると前者が正しいとしか言いようが無い。

 泉質は硫化水素硼酸食塩泉という、ちょっと硫黄臭いやや白濁したお湯である。ある意味、一番温泉らしいとも言える。

こんな秘境のような所にも、以前は鉄道が敷かれていたらしい。1950年から1958年のことである。もっとも、人を運ぶ鉄道ではなく森林を伐採しその原木を運搬するためのものであったそうだ。文献によると、5tディーゼル機関車3両、運材用貨車140両余りで構成されていたらしく、森林鉄道としてはそこそこ規模の大きなものであったようだ。


 昭和52年の国土地理院の高解像度航空写真から該当エリアの写真を持って来た。赤がその鉄道跡と思われる軌跡を私が勝手に書き加えたもので、マゼンダ色の部分が温泉だと思われる。大変山深い場所である。

ここでたっぷり温泉を楽しんだのであった。町内にこのような場所があるとは恐るべしである。

むむむ、なんか普通のブログのようになってきたな…。

2011年10月6日

壁塗り(仕上げ塗り実験)

相変わらず説明を省略しすぎなので、ちょっと補足。
この作業小屋は、建築構造を知るために建て、壁塗りや緑化屋根の実験場所を兼ねており、さまざまな実験が完了した後も無事に存在していたら物置として使おうと思っているものである。従って、実験が最優先であるので、その途中経過や劣化、ましてや見栄えなどは全く考慮していない。この実験結果は本宅の建築へ生かされる。つまり、実験結果が全て思わしく無ければ普通の家が出来上がり、結果がすこぶる良ければ小屋そっくりの家が出来るだけである。何か違うような気がしないでも無いが、まあいい。

これまで言及していなかったが、この小屋の西側(窓もドアも無い側)には屋根の軒先が無い。これは、この地では強烈な西風が吹くのでそれに耐え得る軒先を作る技術と勇気が無かったためであり、見栄えや実用性をことごとく無視した結果である。

ということで、下地が乾いたので仕上げの塗りを実験してみた。下地は予想通りの強度であった。米粉のおかげか?


物置にあった漬物バケツで混ぜる
消石灰の粉末を水と撹拌し、ホイップクリーム程度の軟らかさにする。これをローラー刷毛で塗って行く。

農業用噴霧器とバケツと塗りかけの壁
下地の漆喰地は十分乾燥しているので、霧吹き等で水をかけて湿らせる。霧吹きが無かったので、農業用噴霧器(農薬散布用)で行う。中央の手押しポンプで空気を入れるとすごい圧力で噴霧することが出来る。圧力調整用の安全弁付き。壁が相手だと、霧吹きじゃ無くてこれを使わないと話にならなかった。

説明を追加

勢いだけで始めてしまった作業だが、私が壁の仕上げ塗りの方法を知っている訳は無く、これも思い付きだけで塗り始めたのである。ところが、写真左半分の仕上り具合は想像以上に良くできた。こんな塗り方の壁を見たことがある気がする。と自画自賛していると右側のような仕上りになってしまい、先程のはただの偶然であることに気が付いた。

気を取り直して、残りの壁を塗った。


Aの部分は、8月に塗ったモルタル漆喰(セメントと消石灰の混合)であり、ややセメント色がかっている。BとEの部分は今回から塗っている米漆喰の水を適量にして塗ったもの。Fは水の量を増やし、ドロドロ(塗ることの出来る限界の軟らかさ)の状態で塗ったもの。Cは何も塗装していないOSB板。DはEの部分にFと同じものを重ね塗り実験をしたところ。

他の面は、消石灰に米粉を加えたもの、撥水材を加えたものなどを塗り分けて実験を行う予定。

2011年10月2日

壁塗り

この一ヵ月の間に色々なことがあり、リフォームを一時中断。その代わり、今後の作業のために各種実験中。
計画では、家の最終仕上げである外壁および内壁は土壁にしようと考えている。日本の伝統技法の砂壁や漆喰、竹小舞を用いた土壁では無く、フレスコ画が書かれている壁の下地のような感じである。この手法で築かれた壁は、まるで鍾乳洞の壁面の雰囲気がある(はず)。家にそんなものを求める事の是非はとりあえず不問として先へ進む。

その方法とは、Ca(OH)2を主成分にした壁材を塗って、CaCO3に変化させて強度を保つ作戦である。

言い替えれば、消石灰を壁に塗り、時間が経過すれば空気中の二酸化炭素で硬化し頑丈な壁となるということ。

伝統的な漆喰も同じ原理なんだけど、作り方を見ているととてもじゃないけどマネできない。スサだとか海藻糊だとか面倒なものばかり必要で、おまけに寝かせる時間などの一筋縄では行かない要素が多分にある。

そこで、長年溜め込んだ不必要な知識の宝庫から関係のありそうなネタを拾い出し、新しい方法を試みることにした。

漆喰の主原料は消石灰、農家が畑に撒くのも消石灰、しかしその値段には大きな開きがある。どうせ中身は同じようなものだし、60%以上の純度であれば問題無いので迷わず農業用を購入。

このまま塗っても硬化し難いので色々工夫をこらすことにした。まずは歴史に学ぶことから始める。原理的に私のしたいことに近く、頑丈で、実績があり、特殊な工法では無く、その量(数、箇所)が多い。これらを全て満たすものは万里の長城である。

と言うことで、アメリカの化学学会(Division of the American Chemical Society)から関連のありそうな論文(http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/ar9001944)を拝借した。

これらを全てまとめて実行したのが下記である。

川底の土の山(奥)とふるい分けられた残骸(手前)
先日入手した44トンの土から細かい砂と粘土をその他からふるい分ける。


道具はこれだけである。そう、コメリで買った980円のフルイ。これにスコップ一杯づつの土砂をすくってふるい分けると言う原始的な方法で行う。まるで罰ゲームのような苛酷な試練であるが、いざやってみると意外に面白い。一心不乱で1時間、一輪車にいっぱいの粘土質を含む砂ができあがった。



これに消石灰と論文からパクッて来た秘密の材料、川の粘土&砂を混ぜる。消石灰は先に述べたように農業用。純度は70%ということであるが、残りの30%の正体が不明なので大丈夫だろうかという一抹の不安があったが、この袋に書かれているおっさんの顔を見ると、細かいことは考えても仕方が無いと納得させられた。

秘密の材料は、近所のスーパーで特売で298円の上新粉である。そう、米の粉。これが何の役に立つかというと、こいつはアミロペクチンという物質を含んでおり、これが壁の補強材として働くのである。だが、この論文を書いた博士も、スーパーの特売の上新粉だと結論付けられてさぞかし残念な思いで一杯であろう。彼には内緒にしておこう。


これらを、トロ船と呼ばれるプラスティックの箱の中へ入れて混ぜるのである。


消石灰、上新粉を混ぜる。博士の論文によると、混合比率は1%が最も効率的であるということなのでそうする。左に見えるのは、解体作業で出た天井の切れ端と198円で買った鏝。


これらを、トロ船と呼ばれるプラスティックの箱の中へ入れて混ぜるのである。色々なことを人力でこなしている私であるが、撹拌作業だけは絶対にしたくないので、撹拌機を買った。

砂と粘土、消石灰との混合比率は秘密である。本人が覚えていないからである。

で、OSB板にトリカルネットを張って、その上に塗る作業を行った。


夕日に照らされて、美しい色に仕上った。結局、2m×3mと2m×2.7mの壁を4面塗ることが出来た。
消石灰20Kg(600円)、上新粉255g(298円)、粘土&砂(無料)、トリカルネット910mm×24m(2600円)で完成した。

仕上げはまた後日。