2012年5月31日

デビュー

昨日デビューしました。ええ、「社交界」では無く「重機の世界」へ。
巨大トラクター
近所の農家にトラクターの運転を教わりました。お蔭でこんな大きなトラクターも運転出来るようになりました。私にとっては巨大な機械も、この辺りでは小さな農機具扱いです。後ろのゲンヤー号も小さく見えます(って、本当に小さいんだけど…)

前進12段、後退4段


このままゲンヤー号を持ち上げて運べそう。普通の自動車だと、マニュアルで前進5速、後退1速だが、この機械はそれぞれ12段と4段もある。きめ細かい操作が必要な農作業では必須の機能だと思って納得していたが、実際に操作してみるとどれも同じようなスピードとトルクであった。ミッションにシンクロメッシュが入っていないのかどうか分からないが、急激な変速にはダブルクラッチが必要であった。あんたはロータスかフェラーリか?

前からパワーをもらって後方へ成果物を…、
この大型機械は先月から格闘していた謎の機械を動かすために連れて来たのである。この謎の機械はただの器具であって動力部を持たない。先頭にユニバーサルジョイントがあって、これをトラクターのPTOへ接続すれば動力を受け取って動くという構造である。トラクターのお尻にグルグル回る棒が出ていて、これにこの謎の機械の駆動軸を取り付けると、あたかも12年前からの知合いのようにピッタリ寸分の違いも無く接続出来る。

トラクターの「PTO On/Off」というレバーをONにすると、トラクターのエンジン出力はその構造を使って後方の機械へ回転運動を伝える。伝えられてしまったからには頑張ろうかと(思ったかどうかは知ら無いけれど)、この機械はその回転をトラップの回転へ伝えると同時にコンプレッサーの往復運動へも伝える。後は、色々な部分が協調しながら連綿とベルトコンベアーのように一連の加工工程を行う、…はずであった。

次々と四角い成果物が後方から出て来るはずのものが、上記の写真のように「次々」では無く「切れ目無く連続して」成果物が出て来たのである。

手前から藁を入れ、トラクターのエネルギーを使って後方へ押し出す。その前後で形や圧縮度合が変化し、有用な大きさと形になるはずであった。しかし、こいつは手前で入れた藁のまま若干密度を変えただけで後方へ同じものを排出したのである。ただのパイプのような働きである。何のために動かしているのかさえ分からなくなる動作であった。

お前はシャノンの最終機械か…。

緑の線がほぼ身長と同じ高さ。巨大なワラの塊
6トンの藁の塊を人力でほぐす。徒手空拳。背の高さ以上もある巨大な塊をフォーク1本で崩して行く。背伸びしながら、時にはジャンプしながら果敢に突き刺すのである。ワラと言えども、これだけ圧縮されたものは多少の事ではビクともしない。突き刺さらないことさえあるという固さである。

上に乗ったり、横から引っ張ってみたりと、無駄と思えるような努力を重ねながらも徐々に崩して行った。おおよそ5倍位の圧縮度のようで、写真の上の圧縮ワラを一掴みで下の藁の山になると言った具合だ。

下に溜った藁の山が十分高くなった所で、ロールの上からダイブしてみた。

おおおおおお、言葉ではとても言い表せないような気持の良さ!

本来このロールは、酪農家が牛の敷きワラにするのに使うらしい。北海道の酪農は100頭は当り前、規模の大きな農場になるとその何倍もの牛を飼っている。その牛のベッドに使う藁の量も半端では無い。そして、それぞれの牛の寝床に藁を撒いて行くだけでも大変な労力である。

このロールをどうやって分解するんだろうと思って聞いてみると、ロールはトラクターで運搬して、ほぐすのはそれ専用の機械があるらしい。私が藁ロール(麦稈ロールが正式名)を人力でほぐすと言うと、近所の酪農家の人がこの機械を貸してあげようと言ってくれた。しかし、その機械はロールを一気にほぐしてしまうため、私の用途には合致しないのである。折角の厚意を無駄にしつつ、私は人力でフォークを使ってほぐして行くのである。6トンも…。

家を人力で解体し、44トンもの土砂を人力でふるい分けようとしたりしてもうコリゴリだと思っていたが、やはりここでも人力で6トンをほぐす羽目になってしまった…。

まあそれ以上に、この謎の機械がちゃんと動いてくれなくては何も始まらないのである…。


2012年5月29日

自家温泉

庭でのんびり休憩していると、隣の畑で何かが動いていた。
畑の中のウサギ
最初は身体の上半分しか見えなかったので、テンかオコジョかと思っていた。全体が見えるようになって、ようやくウサギだとわかった。ウサギは用心深いので、足跡や糞は容易に発見できるが姿はなかなか見せない。

白い冬毛が茶色の夏毛に生え変わっていた。遥か遠方にいたのだが、私と目が合うと一目散に逃げ出してしまった。

我が家の入口と電柱、ウサギ
そう言えば、こいつらには冬の食べ物が少ない時期に冷凍ニンジンを掘り起こして食べさせてやったよな。数日後お礼にやって来ると思っていたが、庭先に糞だけ置いていかれた。恩を糞で返した奴らだ。

このウサギの目線の先にはタラノキの森が広がっていて、さらにその先は川がある。

裏の川
この川は緩い谷底にあるので我が家から直接川面は見えないが、雨上がりの静かな日は川がやや増水していて流れる水音が聞こえる。

錆びだらけの橋を渡るゲンヤー号
さらにこの2Km先には温泉がある。今は廃業しているが、源泉は残っている。私有財産ではあるが、掘削時の工事データが図書館に残されており調べたことがある。

これより12Km先にも別の温泉群があり、源泉の温度も70〜90℃と高く湯量も豊富である。源泉掛け流しの温泉街として有名で、時々温泉に入りに行くことがある。

我が家から直線で2Km先の上記の温泉、6Km先の町の中にある町営温泉、11Km先にある山中の隠れ湯、12Km先にある湖畔の温泉、北に12Km離れた上記の源泉掛け流しの温泉街など、我が家の周囲には有名・無名の温泉がたっぷりある。

この土地を購入した頃に、自家温泉の可能性を徹底的に調べたことがある。庭先を掘って温泉が出れば毎日源泉掛け流しの露天風呂を独占して好きなだけ入れるからである。

そこで、各温泉の掘削記録を始め、地質調査図、深層熱水資源調査資料、河川改修工事記録、サイロ(牛の餌を保存する飼料塔)の建設記録(地質調査結果が載っているから)、果ては地温勾配図まで調べた。これらの資料は、北海道立地下資源調査所、北海道立衛生研究所、公共事業を管轄する支庁、支庁の農業振興部などお役所仕事らしく各所に散らばっているから資料の在処を調べるだけでも一苦労であった。当然、これらの資料の中には専門用語が散見されるので、それらの言葉を調べる作業も平行して行った。学術用語はまだ良いが、役所用語は完全にお手上げ状態である。類似資料と解説などを取り寄せ、全く関係の無い資料を読みながら目的の資料の謎の用語を解読しながら読み進めたのである。普段どれだけ暇を持て余していたのかがバレバレである。

お蔭で、この周辺の地質にはとても詳しくなった。そして肝心の温泉掘削の可能性であるが、残念ながらほぼ無理だという結論に達した。詳細は省略するが、この辺りは温度の高い温泉が出にくい場所なのである。たとえば、最寄りの温泉では泉質は良好なものの泉温は25℃しか無い。ただ、ボーリング深度が100mしか無く自憤するのは立派である。ここの所有者は、その後泉温の高い温泉脈を探して深度1000m前後の井戸を掘ったという記録もあるが、 残念ながら27℃止まりであったようだ。

このように、火山性の温泉を除けばその殆どが湯温25〜35℃の低温泉ばかりである。それも深度1000mを越える掘削をしなければ出ない。この辺りまで調べた時点で、我が家の庭先に温泉を掘る夢は諦めたのであった。

結局、温泉は諦めたが副次的な情報として、我が家の上水道の水源が北海道百名水であることや、近所の川の河床土が土壁をつくるのに最適な粘土質であることや、我が家から南に向かって左右でサイロの建築方法が異なる理由などが分かった。さらに、活断層の詳細な分布もわかり、我が家への影響が無いこともわかった。また、ゼオライトやカオリナイト鉱脈の所在、果ては金鉱の場所および含有量まで分かった。もっとも、これらの価値の高いものは私が調べる前に既に企業などがその利権を獲得済みであった、当り前か…。

昨年の今頃、ちょうどうまい具合にそこの河川改修工事が始まったので、千載一遇のチャンスとばかりに工事担当者と話をして土を分けてもらったこともあった。事前に調べていなければもらおうと思い付かなかったに違いない。

車窓から河川の工事を発見(昨年)
河底の地質をチェック(昨年)
我が家の庭へ運搬(昨年)
調べた結果と一致した土質
これで、土壁に使う質の良い粘土も手に入った。まぁ、調べたことは無駄にはならなかったと言うことだ。

修理の修理が終了

謎の大型機械を修理している最中に、頑張りすぎて部品を破壊してしまうという新たな故障を招いて途方に暮れていたが、本日やっと修理の修理が終了した。これで本来の修理作業に入ることが出来る。
思えば4月下旬、錆びついて固着してしまったある可動部分を修理していた。軸を中心に回転するはずの部品がびくともしなかったのである。そこへ錆び取り潤滑スプレーを大量に吹き付け、ハンマーで叩きながら作業していたのだが力余って破壊してしまったのである。
錆びついてドロドロの可動部分
それを叩き割ってしまった

その後、回転さえしなかった部品を分解して外すというさらに難度が高い作業を強いられ、この1ヵ月の間頑張って作業していたのである。
折れる前の状態。錆びだらけ
この部分を分解する羽目に…
毎日、この部分に潤滑剤を振りかけて叩いたり捻ったりしていた。日に日に綺麗になって行く部品であったが、ある日やっと動くようになった。部品が折れていなければこれで修理は完了なのだが、今はこの部品を外す作業をしなければならない。

この軸の端には、ストッパーとしての割りピンが付いていたが、これを抜こうとして根元近くで折ってしまうという新たな災難を呼び込みながら作業は続けられた。もう涙目である。ピンが非常に中途半端な長さで残ってしまい、このままだと例えボルトが緩んでもピンがつかえて穴から出て来ないという状況である。

仕方が無いので、ピンをヤスリで削り取ることにした。写真では分かり辛いが、ボルトの直径は1cm程度、割りピンはバネと下板に挟まれているのでヤスリを動かせる範囲は7mmである。往復7mmの距離を気が遠くなるような回数動かしてやっとピンが削り取れた。

チマチマ削る
ふざけた名前だが役に立つ奴

こんな地道な作業を繰り返しながら3週間が過ぎ、半ば諦め状態であった。原野の師匠と前回の修理のプロが異口同音にアドバイスしてくれたのは、このボルト部分をガスバーナーで焼いて固着を解消するというものであった。確かに理に適っている。

しかし、周りにはワラの塊が6トン、可燃性の潤滑剤、難燃性ではあるがたっぷりのグリス、それに加えて面倒な災難を呼び込む癖のある私が作業するのである。ガスバーナーを買ってから数日間は恐くて実行に移せなかった。

後日、意を決してバーナーで件の箇所を熱してみた。もうびびりまくりである。そんな及び腰では当然うまく行くはずも無く、ボルトが熱くなっただけでびくともしなかった。当然写真も撮れていない。

さらに数日が経過し、本日バーナーで思いっきり炙ってみた。バネを加熱しすぎると弾性が失われてバネでは無くなってしまうので注意しながらピンポイントでボルトと軸受けを加熱した。潤滑油やグリスが焦げ煙がモウモウと立ってかなり恐かったが、十分熱した直後にハンマーで叩くといつもと異なる手応えがあった。

前回のその手応えは部品の破壊される感触であったが、今回は奇跡的に固着部分だけが外れた感触であった。

期待を込めて引っ張る
う、動くぞ!
抜けた
抜けた跡

3週間格闘した固着ボルトであったが、ついに外すことが出来た。

ボルトと軸受けの関係
最初は、この軸受けとボルトが固着しており、爪が動かなかったのである。爪が折れる程叩いても動かなかった固着具合であった。

ボルトと爪の関係
さらに強力に固着していたのが、このボルトと爪の部分であった。これを解消しないとボルトを抜くことは出来ない。軸受けの固着と比較にならないくらいハードルの高い作業であった。

これに加えて、作業姿勢も苦戦を強いられていたのである。この部品がある場所は、手が届き難く足場が非常に悪い。
部品の位置と足場の関係
ここに乗って作業する

滑べりやすい、力が入らない、姿勢が苦しい
強力ガスバーナー
闘ってくれた道具達
こうして長い間闘っていたが、ついに抜けたのである。あまりにも嬉しかったので、そのまま外した部品を持って真っ先に修理のプロの工場へ飛んで行ったのであった。事務所でお茶を頂きながら、プロは機械の説明やらこの部品の説明を丁寧にしてくれた。そしてお茶を飲んでいる間に、そこの従業員が折れた爪を溶接してくれ、割りピンの穴を回復し、叩きすぎて歪んでしまったボルトを削って修正までしてくれた。仕事が早過ぎである。

新品の割りピンを付けてもらい、赤色で塗装までしてくれた。そして彼は私に部品を手渡す時に「まだ熱いですから気を付けて下さい」と言うのである。ピザやタコ焼きを買った時以外で言われたことの無いセリフだな…。


きれいに元通りになった
組み付け
こうして折れた爪が元通りになり、これで修理を再開できると言うものだ。そっか、ここからがスタートなのか…。ちょっと気が遠くなりそうだ。


2012年5月25日

庭の生き物たち

シラカンバ(シラカバ、白樺)の新葉もすごい勢いで成長し、道路脇が妙に明るい緑で覆われている。この1、2週間はシラカンバに限らず、多くの生物の変化に富んだ時期である。北海道に来るまでこんな変化には全く気付かずに生活していたんだと思うと、もったいない気がする。
プラム?
プラムの花?
あっと言う間に収穫時期を逃した育ち盛りのアスパラ
鼻先に毛虫がついている謎の虫
日向ぼっこ
顔は鋭い
フキノトウのその後
フキとフキノトウとの関係がやっと理解できたかと思っていたが、フキノトウがこんな形になるとは知らなかった。はじめは、巨大タンポポの綿毛かと思った。蛇もこんな寒冷地にはいないのかと思っていたが、あの厳寒期を凍り付くこと無く過ごし、こうやって春には外に出て来る。すごい生命力だよな…。

のんびりした私の作業進捗とは比べ物にならないくらい変化の激しい敷地内の生物達である。

2012年5月23日

家を捨てる

地味で体力を消耗する解体作業を昨年よりずっと続けていた。壁を壊し、天井を取り去り、床をめくり、柱を切り倒す。発生した残骸をゲンヤー号に乗せて200Kg〜300Kgづつ廃棄物処理場へ運び入れていた。
最初の頃は単にゴミを処分場へ持って行っているだけだと思っていたが、途中から家を細切れにして運んでいるような気になって来た。何回にも分けて家を捨てに8Km離れた場所までせっせと運んでいたのかも知れない。そっか、私は一生懸命に家を捨てていたのか…。

最初に壁に穴を開けたのは2010年の秋だった。突然思い立ってリフォームをすることにしたのだが、解体方法を知っている訳でも無く途方に暮れただけだった。床や天井に至っては、どこからどうやって手をつければ良いのかさえ分からず、家の中の数枚の壁に穴を開けただけで終った2010年であった。解体(と呼べるかどうか…)にかけた時間は全部で1時間程度か?

翌年は解体方法を調べることから始め、小屋を建てて家の構造を勉強した。お蔭で、どうやって家が建っているのかが理解出来たため、解体作業をちゃんと始めることが出来た。ただ、体力の問題もあるが、丁寧な大工仕事による建造物を解体するのは至難の技であった。隠し釘という表面から見えない釘で固定された部分は、解体というより破壊という手法を使わなければ太刀打ち出来ず、組木のように順序良く組み込まれた木材は、その順番を知る術も無い私はこれもまた力任せに破壊するしか無かったのである。結局、6月から始めた解体も9月には諦めてしまった。

いくら解体しても、後から後から出て来る家の部材には閉口してしまった。小屋とは全然違う複雑さであった。断熱、通気、耐久性などを考慮してプロが作ったものであるので、当然と言えば当然なんだけど、先の見えない無限に続く作業のような気がして途方に暮れたのであった。セルフビルドの家造りをしているつもりでも、毎日行っている作業はただの解体作業である。つくるどころか壊す作業である。その創造性の無さといい、ビルドとは逆の方向へ進んで行く毎日は精神的に辛かったのであろう、秋には気力が無くなりそのまま冬を迎えてしまった。解体にかけた時間は、のべ4週間程度しかなかったと思う。

今年は何かふっ切れたような感じで、昨年までのことはすっかり忘れて残りの解体作業を始めた。なんだかんだと言いながら、昨年で大半の解体が終っていたので残された作業は大した量では無かった。妙に入り組んでいて解体を諦めていた部分や、複雑過ぎて構造が分からず手が出せなかった部分も、今年は何故かすんなり作業が進んだ。ひょっとして解体作業の腕が上がったのか?

最後の運搬
本日、2回の運搬を行い合計520Kgを処分場へ運び込み、家を捨てる作業は第一段階を終了した。全部で5トン程の量であった。こうして春の冷涼な季節の内に一応解体作業は終了した。わ〜い!

解体作業も大変だったが、3年越しの苦行になっている草刈りの大変さは続いている。苅っても苅っても生えてくるたくましい生命力としつこさには閉口してしまう。

一週間前に刈ったが

あっと言う間に復活、増殖、開花
一週間も放置すれば、何事もなかったかのように復活している。これが秋まで続くのである。
最初の年は、砂利を購入して庭に撒いたがその砂利の間からも雑草はたくましく生えて来て、最後には残りの砂利の山そのものにすら生えて来たのである。どんな生命力なんだ…。

アスパラ
行者ニンニク
チューリップ
桜?
 雑草も凄いが、有用な植物もたくましいのである。水も肥料もやらず、耕したり雑草取りもしない完全放置状態なんだが、毎年ちゃんと開花し収穫出来るのである。先日、めちゃくちゃにしてしまった庭木も何事もなかったかのようにちゃんと開花していた。

さらに敷地の奥にある、隣の畑と接してい20m四方の雑草エリアであるが、隣の農家のご厚意で耕してもらえた。
境界の地杭と隣家の畑、隣家がはるか向こうに見える
あのしつこい雑草も大型機械の前では全く無力であり、あっと言う間に後片も無く消え去ったのである。このパワーを見ていると、敷地内全てを耕して欲しいと思う程である。

20m四方の土地って400平方メートル、坪数で言えば100坪を越えている。この広さの土地が都会にあれば結構な大きさだな…。ただ、こちらでは周りの土地が極端に広いので、100坪程度は全く大きく見えない。もっとも、こちらでは土地の大きさは「」や「平方メートル」ではなく「ヘクタール」か「町歩」で表す。隣の家も、上記の写真のようにはるか向こうにしか見えないのである。

400平方メートルもの広大な面積を耕してもらうのは申し訳無いと思っていたが、上記のような広大な畑を耕している農家から見れば、たったの400平方メートルを耕すのは小さすぎてとても面倒な作業のようである。そもそもスケールが違うのである。

さて、雑草が生えて来る前に何かを植えよう!

2012年5月15日

来客名

先程メールをもらい、この来客の名前が判明しました。「ニュウナイスズメ」だそうで、早速ネットで調べてみると確かにその特徴を合わせ持っているので間違いなさそうです。
たぶん普通のスズメだと思っていたが、昨年のペモペモの事もあるので全く自信は無かった。案の定間違っていました。ははは。

木の洞などに住み着く習性があるらしく、洞にそっくりの煙突穴に向かってやって来たという訳でした。このニュウナイスズメも私の怪我のとばっちりを受けて災難だったね。

幼鳥かと思ったが、図鑑で見る限り成鳥のような気もする。とりあえずペモペモと同じくメスだったようだ。

家が完成したら、林の中に巣箱でも作ってみよう!

来客

先週までの肌寒い天候から打って変わって快晴だった。怪我の具合も良く、ほとんど完治したようだ。抗生剤が効いたのかワインが効いたのか、とにかく痛みがすっかり無くなっている。
一面の緑
気温も上昇

今日もゲンヤー号に乗って現場へ行き、前回中断したままの作業を続行しようとしていた。ところが、解体中の家屋の玄関ドアを開けると、何かと目が合ったのである。誰もいないはずなのに、何だろう?

「ピッ?」
あんた誰?どこから来たの?

ガラスがあって出られない…
なんだか、毎年この季節になると小鳥と変な出会い方をするな。

去年のペモペモが旅立った時と同じような大きさなので、まだ幼鳥なんだろう。私と目が合ってちょっとびっくりしたようだが、それほど恐れている様子は無い。どこか怪我でもしているのかと思ったが、どうやらそうでは無く空腹なだけのようである。飛ぶ姿が弱々しいがちゃんとした姿勢で離着陸している。

いつから家の中にいるんだろう?どうやって入ったのだろう?小鳥は食い溜めが出来ないので、ここにいたのはせいぜい2日間程度か?

でもどうやって入ったんだろう?周囲を見渡すと、ちょうど私が釘を踏んで呻く前に解体していた煙突の穴があった。そう、穴を塞ぐ余裕も無く病院へ行ったのでそのままにしていた。きっとこの鳥は好奇心から穴に入り、そのまま出られなくて今日まで家の中でお腹を空かせてウロウロしていたんだろう。

窓を開けて手で追いやってみると無事に窓から飛び立ち庭先へ逃げて行った。しばらくしてから窓の外を見ると、なんとこの鳥はまだ同じ所にいる。やはり怪我でもしているんだろうかと心配になって様子を見に行くと、そこには必死で虫を貪り食っている小鳥の姿があった。

よほどお腹が空いていたのか、私が近寄っても逃げない。カメラを近づけても、やや横に移動するだけで虫探しに一生懸命であった。

腹が減っているんだから放っておいて!
と、こんな足元で抗議しているかのような態度
こんな至近距離でも動じない。

虫、虫、虫!
しばらく観察していたが、ちゃんと飛べるようだしお腹が一杯になって落ち着けばどこかへ飛び立つだろうと思い、そこを後にした。30分後に再び見てみたが、もうそこには姿が無かったので無事に飛んで行ったようだ。

皆既日食!
他の小鳥が犠牲にならないように、煙突の穴はガムテープで塞いでおきました。