2015年12月30日

原風景

私が生まれて初めて北海道を訪れたのは14才の夏休みであった。このときは自衛隊の東千歳演習場の中にある旧日本軍の滑走路跡周辺で一週間程テントを張って遊んでいて(何をしているんだか…)演習場の外を出歩かなかった。そのため、牛には出会えなかったし地平線も雄大な山々も見た訳でも無いのだが、当時の演習場は原生林の中にあり、見渡す限りの青空、昼間でも薄暗い森、端の見えないこれまで見たことも無いような広大な大地が広がっていたのであった。これらは、中学生ごときが知っている世界や常識というものをはるかに凌駕するものであり、北海道の魅力に目覚めてしまったのである。

たぶん、この辺りで遊んでた

それから数年間、ひょいと訪れた北海道がこんな素敵な所であれば、日本中探せば他にも驚くような世界が広がっていると何の根拠も無くそう信じていた。大学に入ると親元から離れた生活になり、何の足枷も無くなった私はここぞとばかりに糸の切れた凧のようにあっちへフラフラこっちへフラフラと日本中を旅し、各地の風景を見たり人と出会ったりし、自分がこれまでどれだけ狭い範囲の中だけで生きていたかを思い知らされたのであった。

翌年、年齢は一つ増えて19才になったものの学年は再び1年生という、学業に勤しまなかった者への社会の厳しさも同時に思い知らされたのであった。

でもまあ1年生を2回も出来るという幸運に恵まれ、大学の事を何も知らないくせに同級生から先輩と呼ばれ、サークルで厳しい練習に明け暮れていたある日、サークルの先輩が「北海道の山に登り放題のバイトがあるぞ」と何やら意味深げな顔で教えてくれた。一抹の不安はあったものの、バイトを募集していたのが当時の環境庁であったこともあり二つ返事でバイトをすることになった。北海道へは1年間位滞在したかったが、1年生をこれ以上するのも不毛なので、夏休みよりちょっとだけ長い2ヵ月だけ行くことにしたのであった。

7月初旬に本州から電車を乗り継ぎ、今は無き青函連絡船に乗り、函館駅へ到着した時は夜明け頃であった。曲がった長大なホームには毛ガニ弁当が売られていて、これを見た瞬間に北海道へ上陸したんだという実感が沸いてきたのであった。ここから特急列車に乗り換えたのだが、本州の特急列車を利用し北海道の特急列車に乗り継げば特急料金が半額になる制度があるらしいことを知ったのが列車の中であったのでこの特例を利用することが出来ず、物事を知らないというのは損であるとここでも社会の厳しさを思い知らされたのであった。

旭川から普通列車に乗り換えたのだが、線路は単線、列車は2両編成、車窓から見える景色は、牛と緑と大地ばかりであった。私の生まれ育った所では、線路は複線で高架か地下、電車は8~10両編成、車窓から見える景色はビルか地下トンネルの壁面、ホームにあふれる人混みであり、大違いである。ここは、これまで見てきた日本の景色とは大きく異なり、外国にはまだ行ったことも無いくせに異国情緒を感じていた。昼過ぎに上川駅に到着し、待合室で環境庁の職員に無事出会うことが出来たのだが、ここで驚愕の事実を知らされる。このバイトは交通費が支給されないらしい。当時、本州から北海道までの交通費というのは恐ろしく高額であり、バイト代の5日分程は交通費に消えてしまったのである。雇用主がたとえ国家であっても、労働条件は事前にしっかり確認しないと痛い目に合うと思い知らされたのであった。

おまけに、駅から登山口までの車中で、食事代も不支給、休日無しの週7日労働、さらにバイト代は最終日にまとめて支給という劣悪バイトであることを知らされるが、もう思い知らされるものが多過ぎて頭の中はパンク状態であった。さらに追い討ちをかけるように、バイト代が当時の平均的な金額の半分であることを知らされ、往復の交通費と2ヵ月分の食費だけでバイト代を軽く上回ることに気が付いた時には、環境庁の立派な車は大雪山黒岳登山口のある層雲峡へ到着していた。

7月だと言うのに気温は10数度、事務所の中ではストーブが焚かれている。 バイトなのか無料奉仕なのか、はたまた強制労働なのか知らないけれど、これで夏休みの蓄財計画は見事に霧散したのであった。その環境庁も、私を安いバイト代で長期間こき使って財力を高め、今や環境省に昇格である。いったい誰のお陰で…。

ここでの仕事は多岐に渡り、国営キャンプ場のシーズン前の草刈り、シーズン中は週1回のキャンプ場の管理人、週6日は環境庁の腕章をつけてグリーンパトロールという名前で大雪山の山々に登りゴミを拾う。さらに物品の運搬という良く分からないものもあり、白雲岳の避難小屋に仕切り壁を作る時は、182cm×91cmの板数枚を麓から山頂近くの小屋まで荷揚げをさせられた。荷物が巨大な板なので後ろから見ると人間の乗った凧に見える。そして本当に風が吹くと飛んで行きそうになったのである。またあるときは登山道に転落防止柵を作るというので、大量の杭を運ばされたこともあった。背中には杭、頭の中は悔い、昼になったら昼飯を食い、僕は一体こんな所で何をしているんだろうと何度も考え込んでいた。

人は何事にも慣れるもので、半月程経った頃には雄大な大雪山の風景にすっかり魅了されており、毎日こんな素敵な場所へ来られるし約束通り山に登り放題である。僕はなんて幸せな奴なんだと、環境庁の思うツボにはまって行く私であった。

いくら若くて体力があるとは言っても無休の労働が40日も経過する頃には過労気味になって来て、ある日倒れてしまったのである。環境庁は慌てて(慌てるくらいなら休みをくれんかい!)私を車に乗せ、麓の町の病院まで連れて行ってくれた。未舗装で曲がりくねった国道を峠を越えて延々走り、山道もそろそろ終わりかけた頃、目の前に広がったのは地平線が見えそうな大地、遥か先まで続く一直線の道路、広大な牧草地、初めて見るサイロ、ごく稀にしか現れない人家、信号が全く無い…。もうそれは日本とは思えないような景色であった。

病院はそんな風景に囲まれた町の中にあり、腕に点滴を受けながらも2階の窓から見える雄大な景色に魅了されていた。そして、いつかここに住みたい!と心に誓ったのである。結局、この病院までの道中や窓から見えた景色が、私にとっての北海道の原風景なのである。

その後、アメリカに住んだり、地球を一周したり、砂漠の中を歩いたり、全てが凍りつくー35℃から灼熱の+55℃まで体験したりしながら色々な所を見て、39ヵ国を回ってみた結果、やはり北海道、それも道東地域が世界で一番素晴らしい居住環境であるという結論を得たのである。

そして、いつかは、いつかはと思いながらなかなか実現しなかったが、それから数十年後になってしまったものの、今こうしてあの時に見た同じ景色を見ながらこのブログを書いているのである。

我が家の窓からの景色

2015年11月17日

秋の長さ

北海道の秋は短い、ずっとそう信じてきた。

北海道に来たのが2009年10月下旬、東京の気候とは随分違い秋の気配も薄く既にかなり寒かったので、この年の秋の記憶が無い。それから7回目の秋を迎えた訳だが、今年は風景写真を良く撮りに行っていたせいもあって、秋の始まりから終わりまでを観察することが出来たのである。

9月26日(標高40m)
9月28日(標高520m)
 9月下旬には、すでに平地でも紅葉が所々に見受けられた。大体、この辺りで「ああ、もう夏も終わって短い秋が来るんだ、そして冬はもうそこまで来ている」と、来たばかりの秋に勝手に終息宣言を行うのが常であった。

10月5日(標高220m)

10月17日(標高80m)
 10月に入ると、もうどこへ行っても紅葉だらけで、秋真っ盛りである。そして、「ああ、短い秋も終わりだな」と終息宣言のダメ押しをして気持ちはもう冬に向かうのである。

10月22日(標高60m)

10月27日(標高80m)
 しかし、良く見てみると秋は意外にしぶとく、何度かの降雪があったにも拘らず葉が落ち切っていない木も多く、樹種は異なるもののまだまだ紅葉がある。陽に当たれば、それはもう眩しいくらいである。

11月4日(標高400m)


11月9日(標高320m) 道路いっぱいにカラマツの落ち葉
11月に入り広葉樹の紅葉が終わると、カラマツが赤とも黄色ともつかない黄金色に染まり、これらが一斉に地面に落ちて今度こそ秋は終わるのである。

最初に紅葉を見つけてからカラマツが落葉するまで、なんと1ヵ月半ほど秋の景色が続いていた。知らなかった、北海道にこんなに長い期間秋があったなんて…。

北海道ネイティブに「ぼーっとしているとあっと言う間に秋は通り過ぎちゃうよ」と言われていたが、私は毎年余程ぼーーーーっとしていたのであろう、あっと言う間もなく通り過ぎられていたのである。本当にもったいない話である。来年からはちゃんと季節の移り変わりを観察しようっと。


2015年10月25日

初雪

今朝は今季初めての雪景色であった。気温は2℃、積雪というほどでは無かったが、車の窓や牧草の上に積もった雪が残っている程度だ。




切り株の上にも雪
金鉱のある裏山にも雪
あと一ヶ月ほどで降った雪が融けずに辺り一面真っ白の世界になる。

何がどこにあるのか見えなくなってしまい、探索もかなりの制限を受けるだろう。今のうちに頑張って走り回ろうっと!

2015年10月23日

階段道路

天気の良い昼下がり、温泉へ向かって走っているときだった。いつもと違う道を走っていたのだが、カーブを曲がってその先を見ると、そこには道路の代わりに階段が出現したのである。

下り階段に見える?
写真だと静止しているのであまり違和感は感じられないが、カーブを曲がった先にいきなり出現したものだから、道路が何か変なことになっているように見えてしまったのである。この道自体は上り坂であったが、下りの階段に見えたので、思わずブレーキを踏んでしまった。その勢いで写真まで撮ってしまった。

よく見れば、それは防雪柵(雪が道路に吹き溜まらないように風をコントロールする翼杖の柵)の影であった。太陽の高さと方向がこの防雪柵と道路の距離と角度に合ったために影がぴったりの位置に現れたということだ。なんかすごいタイミングだな…。

柵の影の重なり具合が、一段下がると左に寄ってさらに一段下がるとまた左にと、ちょうど下り階段の見え方と同じなので道路が上り坂であるにもかかわらず下りに見えたということである。

こんな錯覚に見える現象は錯視と呼ばれるもので、今回のように偶然の産物もあれば人為的に作り出した作品、芸術品もある。最近の流行りだとトリックアートなどもこの類である。

平行線なのに歪んで見える

今回の道路模様は、このパターンに近い錯視である。

さらに、下図のようにじっと見ていると何事も無いけれど、ちょっと目を脇へそらすと動いているように見える錯視もある。

視線をちょっと離すと回転しているように見える

文章に書くと、ふ~んという感じだけど、車を運転していていきなり理解し難いものが見えたらかなり驚いてしまい、写真を撮ってさらにブログまで書いてしまうという…。


2015年10月19日

謎の巨大建造物(2)

前回発見した謎の巨大建造物だが、その目的と構造が分かったのでさらに詳しく調べてみたのである。その全容を白日の元に晒すためいろいろな所から資料を手に入れ、一生懸命読んだのであった。

それには何か目的があるのか? もちろん無い、あるはずが無い。

さて、この謎の巨大建造物が水路橋であることは前回の調査(何の?)で判明した。しかし、それは長大な水路の途中でしか無いはずだ。問題は、その水路がどこから来てどこへ行っているのかである。と、勝手に問題を大きくして次へ進むのであった。

集めた資料の中に五万分の一地形図をもとに作成されたものがあり、謎の建造物を含む全ての経路が詳細に記述されている。普通の地図には記載されていない建造物などが詳しく描かれているので探検ツアーには恰好の道具である、と作成された意図とは大きく異なる方法でこの地図を読んでいたのであった。

概要が判明したので、早速GPSと高度計、カーナビと小回りのきく車、ヒマ人のセットで探検を開始するのである。


探検地図(?)
例の巨大建造物も載っている
前回の航空写真と同じ

探検地図のスタート地点を見ると、そこは標高640mの国立公園内の川である。ここに取水ダムと呼ばれる川を堰き止め水を貯える設備があり、取水口(小規模)または取水塔(大規模)という大きな口を開けた漏斗の親玉のようなところから水が取り込まれる。この水が今回の探検ルートの要である導水路と呼ばれる巨大パイプを通って次の探検場所へ運ばれるというものである。

近畿地方の某所で、湖水表面からこの取水口を間近に見たことがあるが、吸い込まれるととても嫌な思いをするだろうことは想像に難くない仕組みである。一応、防護フェンスやフロートが周囲に張り巡らされているが、魚や小動物は吸い込まれて行くんだろうな…。

こんな堰堤で川を堰き止める

この建物の中に取水口がある

堰き止められた川面
 下流で放水があった直後なので、川面は低く先日の爆弾低気圧のせいで折れた木や枝葉が大量に浮いている。これが今回の探検のスタート地点である第一ポイントである。

ちなみに、なぜ放水直後であることが分かったかと言えば、ちょうどそこを通ったときに放流開始のアナウンスが拡声器を通して山々に響き渡っていたからである。「これから放水を始めます。危ないので決して河口に近づかないでください」といった内容のアナウンスでここまでは普通だったが、最後に「これで放送は終わりです」と小学校の放送部の練習のような台詞だったので笑ってしまいそうになったぞ。

そして、そのアナウンスを流していた所が、今回の第二ポイントである。

近付けない
この橋脚の下にある第二ポイント
入り口の所で立入禁止になっており、施設の外観すら見ることが出来ない。次回の楽しみに取っておいて次へ進もう。

第三ポイントの入り口側
第三ポイントは、第一ポイントの水を第二ポイントで発電し、残りをここに放水している。そしてここはダム湖と称される人造湖であり、昭和28年から工事を始め、3年の歳月をかけて完成した巨大ダム湖である。

ダムに沈んだ鉄道橋
 このダムが出来たため、それまで川沿いを走っていた鉄道は水没し、コンクリート製の鉄道橋の一部が見え隠れしている。この橋は全長130mのアーチ橋で、水面の高さによってはローマ時代の眼鏡橋のような美観を見せる。タウシュベツ川橋梁という名前である。

ダムを上空から見る
 このダムの右側辺りに再び取水設備があり、今回の探検ルートは続いて行くのである。

つづく(のか?




2015年10月15日

難読地名

北海道の地名には難読なものや奇妙な当て字が用いられているものが多い。その中でも「牛」の字を使った地名が多く、読めそうで読めないものがある。

妹背牛(もせうし)、初田牛(はったうし)、美馬牛(びばうし)、養老牛(ようろううし)、伊香牛(いかうし)、別寒辺牛(べかんべうし)などは駅名になっていたり時々メディアに露出しているので読むのに苦労しないが、愛牛などは何て読むんだろうと調べてみると「あいうし」という何のヒネりも無い読み方だったりする。また、農野牛(のやうし)のように読みは問題無くても家畜の牛なのか野性の牛なのかを問い正したくなるような地名もある。

道路標識の地名表記に牛の字が含まれていると、ついついその読みを考えながら一体そんな地名の所に何があるんだろうかと考え込んでしまうのである。もちろんただの当て字なので深い意味は無いのは分かるが、やはり気になってハンドルを切ってそちらへフラフラと向かってしまうのである。

標識も千差万別であり、立派な道路標識から小型の簡素なもの、果ては板に手書きのものまで色々である。トムラウシ山で知られるトムラウシも、昔に訪れたときは「富村牛」という字が朽ち果てた柱のようなところに手書きされていて、当時は北海道の地名になじみが薄かったせいもあり、夜中にライトで照らし出されたそれはちょっぴり怖かった記憶がある。

先日、何気なく走っていると素朴な標識に出会った。


に、にんしん牛?
うむ、何て読むんだろう?なぜ赤い字なんだろう?矢印まで赤い…。


この先に難読地名の集落があるのか?
この矢印が示す先の道は、地図には出ていない。舗装はされているが、この辺りには何も無いし車も人影もまったく無いのである。このまま行っても大丈夫なんだろうか?しかし、難読地名の解読(なのか?)の誘惑には抗うことができず、興味津々でその道へ入って行った。

ほんの数分走った先に見えたのは広大な牧草地と柵、ゲートなどで仕切られた放牧地であった。そしてそのゲートには同じような標識があり、その矢印は放牧地の中を示していただけであった。

 え?地名では無かったのか…。

そう、そこは大規模放牧場であり、各地から運ばれてくる牛を預かって肥育する場所だったのである。扱いの異なる妊娠した牛とそうでない牛を分けて放牧する必要があるので、牛運搬車が迷わないように途中の道路に妊娠牛はこっちだよん、という表示板が必要だったのである。

紛らわしい標識を一般道路に設置するんじゃない!

地名解読の期待が大きかっただけに、落胆した私はこれ以上写真も撮らずにすごすごと引き返したのであった。がっかり…。

2015年10月12日

足し算、あるいは引き算

最近はアナログ時計を見る機会が減り、デジタル表示ばかりである。それも携帯電話の時刻表示機能であったり、車のオーディオの時刻表示など何かのついでに表示されている時刻ばかりであり、「時計」そのものを見かけることがあまり無いのである。

そういうのも何だかつまらないなと思い、久しぶりにアナログ腕時計を買ってみた。本当に久しぶりだったので、違和感がたっぷりある。視認性の高いものを探して購入したのだが、見易いのは確かに見やすいのだが、どうも文字盤がゴチャゴチャしている気がするのである。しばらくその理由を考えていたのだが、結論は「時刻を確認するだけなのに、時刻表示の数字が多過ぎる」であった。

多過ぎるとは言っても、12時間制なので数字は12種類書かれている。当たり前である。しかし、本当に時刻を確認するのに12種類の数字が必要なのであろうか?

数字が多過ぎてゴチャゴチャ

じゃあ、数字が無ければどうかというと
数字ではないが…

数字の代わりに記号があり、これも当たり前のように12個が描かれている。数字じゃなくなっても、ごちゃごちゃした感じは相変わらずである。

すっきり?
 いっそのこと文字盤を廃して針だけにしてみるとすっきりするかと思えば、肝心の時刻を確認するための視認性が著しく低下するのである。

う~ん、ハズレか
 文字数を削減してシンプルなデザインにするとどうかというと、これは奇をてらったデザインではあるが失敗である。文字盤が無い時計よりさらに視認性が悪い。

アナログ時計の最大の特徴である、「パッと見て直感的におおよその数値が読み取れる」という点が欠落しているからである。それでは、どうすれば視認性を犠牲にすることなくすっきりしたデザインになるのかと、暇潰しとは言え、まったくもって無駄なことに膨大な時間をかけて考えてみた。

 時計の針は回転運動をしている。そしてその基準点からの角度、つまり針の傾き具合を数値に変換して認識しているのである。人間の直視による角度の読み取り能力は、重力場で生活している関係上、上下方向は正確に読み取れる。そしてその補角である水平方向も、それに準じた精度で読み取ることが出来るのである。

すると、12、3、6、9時の数字は不要では無いか?恐らくそうであろう。では、1、2、4、5、7、8、10、11だけの文字盤なら良いのかというと、12個の数字が8個になっただけではすっきり感が出ないのである。

何が問題なのかと言えば、1と2などのように隣接している数字は片方で十分ということである。ということで、1、2、4、5、7、8、10、11を半減して、1、4、7、10だけで良いのか?それとも、1、5、7、11なのか?いや、2、4、8、11なのか?組み合わせは2×2×2×2の16通りある。 16通り全部を試してみたが、どうも違和感がある。すっきり感はあるのだが、思ったほど視認性が良くないのである。

原因のひとつは、2と8、1と7のようにちょうど180度ずれた対角線上にある数字の組み合わせのみで構成されていると、その隣の時刻を判読するのに一瞬の迷いがあり、時間がかかるというものである。かと言って、全てが180度以外の位置にあると、中心軸の点対称性が強調され過ぎてこれはこれで読みにくいのである。人間の目は本当に面倒くさい仕組みである。

もうひとつの原因は、人間が角度を認識する場合、上下左右である12、3、6、9時以外の時は、その角度が1周の12分の1、つまり1時間分の角度である30度を直感的に認識し辛いということであった。その比較対象が文字盤上に存在していないと認識速度が低下するのである。30度の関係を持つ隣接する数字の組が必要なのである。

そこで、上下左右を除いた数字列で、隣接する数字が一組だけ存在し、不要な対称性が無い位置に数字を配置すれば解決である。数字の数も5個で済むし、視認性もバッチリである。

その結論とは…。
10時10分29秒

その理論を用いて作成した時計がこれである。数字が5個しかないので、ごちゃごちゃ感はあまり無い。12、6、9時は省略し、2時と3時で30度の単位角度を一番認識し易い右水平方向(時計が右回りだから)に置いている。2と対称の位置にある8時を廃し7時を配置。1組は必要なので、5時の対称位置である11時を配置すれば、必要最小限の文字数の時計の出来上がりである。

ちなみに、時計の展示やカタログなどで用いられている時刻は全部「10時10分」だと思っていたけれど、 メーカーによってこだわりがあるようで調べてみると各社バラバラであった。セイコーは10時8分42秒、カシオは10時8分37秒、シチズンは10時9分35秒、オリエントは10時10分35秒だそうだ。


12時50分

4時40分

6時20分

9時25分


10時50分
う~ん、視認性もばっちりではないか!

さらに、さらに、この時計の素晴らしいところは、

全ての数字が素数だけで構成されている

ことである。 なんて美しいんだ!

で、さっそく友人に見せると「何?文字盤の一部が取れちゃった廃品?」って言われてしまった…。が~ん!

この時計以外にも、人間の骨格構造と筋肉の収縮を表す関数と人体の横方向への移動を数式化した関数を使い4つの合成関数曲線上に配置された照明スイッチ群もあるのだが、公開がためらわれる…。

2015年10月6日

橋梁用伸縮装置

普段何気なく走行している道路だが、注意して見ていると橋の前後に気になる道路の切れ目があるのに気付く。高速道路などではこの切れ目が大きいのでよく目立っており、以前気になって調べたら気温の変化で橋が伸び縮みするのを吸収する仕組みだと分かり納得したことがある。それから数十年、これを特に思い出すことは無かったのである。

道路上にある継目  (c)建設プラザ

近くで見るとこんな感じ  (c)建設プラザ

先日、何気なく湖に架かる道路を走行しているときに、ふと疑問が頭をもたげて来たのである。橋の伸縮がその両端で起こっているのは良いけれど、まさか無制限に伸びる訳でも無いだろうから何らかのストッパーがあるはずだ。どうやって止めているんだろう?それはどこについているんだろう?以前、この仕組みを調べたときにはその点を思いつかなかったので調べていないのである。

気になって気になって橋を渡るどころでは無くなったので、橋の裏側を見ることにしたのである。小回りの効く車でグルッとUターンし、橋の脇に見えた小道を降りて行った。

湖を渡る道路橋
橋を裏側から見るのは久しぶりである。普通の人はあまり見ないものなので、久しぶりということは以前はたっぷり見ていたということか…。まあいいや。


橋と橋脚の間を見てみると、もう一目瞭然の装置がそこにあった。橋脚と橋の構造の間を支えているワイヤーである。

一目瞭然の仕組み
ワイヤー先端のダンパー
ワイヤーは写真で見ると細く見えるけれど、かなりの太さである。さらにワイヤーが弛んだり、橋の振動で劣化しないようにダンパーという伸び縮みするバネのようなものが先端に取り付けられてあった。これが4本づつ橋の両端に設置されていた。これなら橋に不用意な力が加わっても、このワイヤーが踏ん張って橋を引っ張り続けてくれるであろう。

これで今後も橋を渡るときは安心して渡れると言うものである(本当か?)


うむ、今日の話にはオチが無い。いや、橋が落ちないようにという…。

2015年9月29日

ウルトラスーパームーン

前回、低地の紅葉が綺麗であったので、季節が一足早い高地へ向かってみた。

紅葉
確かに色付いてはいるが、まだまだ緑の方が多かったのである。紅葉の始まり頃は局所的な気候差よりも木々の個体差によるところが大きいので、まあ普通だろう。

オッパイ山
さらに高地へ行けば見事な紅葉が見られるかと期待し、通称オッパイ山を横目にグイグイと高度を上げてみたものの、ここも大した色付きが無かったのであった。それよりも雲行きが怪しくなり、このまま先へ進むか戻るかを決めかねていたが、久しぶりに柱状節理でも見るかと思い立ち先へ進むことにしたのである。

雨雲に覆われた峠
 峠の手前でさらに暗雲が垂れ込めて来たが、ここまで来て引き返すのも悔しいのでさらに先へ進むのであった。

しょぼい紅葉
その直後から雨模様になり、写真も撮れないまま走りつづけ道東地方から道北地方へ抜けたのであるが、ここでも紅葉はまだまだであった。雨の切れ間に写真を撮ったのだが、シャッターを押したその瞬間を狙うかのように強い雨が降り始め慌てて車に戻る。するとドアを閉めた瞬間に雷が鳴り同時に雹(ひょう。表意文字はすごいな…)が降ってきた。

近くに避難する場所も無く、比較的大きな雹が車に容赦なく降り注ぎ大きな音を立てている。フロントガラスを跳ねながら落ちていく氷の塊を眺めながら、秋を見るために来たのにいきなり冬を見せられた理不尽さにやり切れない憤りを…、いや、そんな高級な感性を持ち合わせていない私は、もう昼食を何にするかで頭が一杯であった。

適当に選んだ昼食が期待した以上に美味しくて紅葉のことなどすっかり忘れて帰路に着いたのである。帰りはひたすら南西方向へ向かって走るので晴れている日だと眩しくて大変だが、この天候だと走りやすい。と思いながら走り出すと、ものの10分もしない内に日が差し始め、進行方向の斜め右前、つまりサンバイザーの隙間から太陽が覗くという眩しいにもほどがあるぞという眩しさが私を襲う。路面は先程までの雨で黒光りして見え難く、標識などは逆光で全然見えない。顔や腕が直射日光のせいで異様に暑い。さっきまでの雹は何だったんだと、わずかな時間で秋→冬→夏がめまぐるしく変わった天候に体が悲鳴を上げそうだ。

夕日
眩しかった太陽も山へ沈み、綺麗な夕焼けが出る頃には気温がぐっと下がり、紅葉はまだだが秋がすっかり深まったのを思い知らされるのであった。

ウルトラスーパームーン
 昨夜は中秋の名月、今宵はスーパームーン。月の見かけの大きさは、一番小さいときと大きいときで約15%も差があると記憶していたが、調べてみると地球から一番遠い時で40万6千Km,近いときは35万7千Kmらしい。ということは13.725%大きく見え、面積比で29%アップだから明るさもそれだけ明るいということだな。

先程まで雲に隠れていたスーパームーンも、夜7時頃には少し顔を出した。慌てて写真を撮ってみると、手ブレ、ピンボケ、下手クソと3拍子揃った写真は、スーパームーンのさらに30%増し(当社比)の大きさに写っていて、ウルトラスーパームーンになっていた。お得?

翌日のニュースで、昨日訪れた山系で初冠雪が観測されたと言っていた。そっか、昨日は色々な現象がてんこ盛りの日だったんだ…。