2015年9月29日

ウルトラスーパームーン

前回、低地の紅葉が綺麗であったので、季節が一足早い高地へ向かってみた。

紅葉
確かに色付いてはいるが、まだまだ緑の方が多かったのである。紅葉の始まり頃は局所的な気候差よりも木々の個体差によるところが大きいので、まあ普通だろう。

オッパイ山
さらに高地へ行けば見事な紅葉が見られるかと期待し、通称オッパイ山を横目にグイグイと高度を上げてみたものの、ここも大した色付きが無かったのであった。それよりも雲行きが怪しくなり、このまま先へ進むか戻るかを決めかねていたが、久しぶりに柱状節理でも見るかと思い立ち先へ進むことにしたのである。

雨雲に覆われた峠
 峠の手前でさらに暗雲が垂れ込めて来たが、ここまで来て引き返すのも悔しいのでさらに先へ進むのであった。

しょぼい紅葉
その直後から雨模様になり、写真も撮れないまま走りつづけ道東地方から道北地方へ抜けたのであるが、ここでも紅葉はまだまだであった。雨の切れ間に写真を撮ったのだが、シャッターを押したその瞬間を狙うかのように強い雨が降り始め慌てて車に戻る。するとドアを閉めた瞬間に雷が鳴り同時に雹(ひょう。表意文字はすごいな…)が降ってきた。

近くに避難する場所も無く、比較的大きな雹が車に容赦なく降り注ぎ大きな音を立てている。フロントガラスを跳ねながら落ちていく氷の塊を眺めながら、秋を見るために来たのにいきなり冬を見せられた理不尽さにやり切れない憤りを…、いや、そんな高級な感性を持ち合わせていない私は、もう昼食を何にするかで頭が一杯であった。

適当に選んだ昼食が期待した以上に美味しくて紅葉のことなどすっかり忘れて帰路に着いたのである。帰りはひたすら南西方向へ向かって走るので晴れている日だと眩しくて大変だが、この天候だと走りやすい。と思いながら走り出すと、ものの10分もしない内に日が差し始め、進行方向の斜め右前、つまりサンバイザーの隙間から太陽が覗くという眩しいにもほどがあるぞという眩しさが私を襲う。路面は先程までの雨で黒光りして見え難く、標識などは逆光で全然見えない。顔や腕が直射日光のせいで異様に暑い。さっきまでの雹は何だったんだと、わずかな時間で秋→冬→夏がめまぐるしく変わった天候に体が悲鳴を上げそうだ。

夕日
眩しかった太陽も山へ沈み、綺麗な夕焼けが出る頃には気温がぐっと下がり、紅葉はまだだが秋がすっかり深まったのを思い知らされるのであった。

ウルトラスーパームーン
 昨夜は中秋の名月、今宵はスーパームーン。月の見かけの大きさは、一番小さいときと大きいときで約15%も差があると記憶していたが、調べてみると地球から一番遠い時で40万6千Km,近いときは35万7千Kmらしい。ということは13.725%大きく見え、面積比で29%アップだから明るさもそれだけ明るいということだな。

先程まで雲に隠れていたスーパームーンも、夜7時頃には少し顔を出した。慌てて写真を撮ってみると、手ブレ、ピンボケ、下手クソと3拍子揃った写真は、スーパームーンのさらに30%増し(当社比)の大きさに写っていて、ウルトラスーパームーンになっていた。お得?

翌日のニュースで、昨日訪れた山系で初冠雪が観測されたと言っていた。そっか、昨日は色々な現象がてんこ盛りの日だったんだ…。

2015年9月27日

リス寄せ

落ち葉で真っ赤に染まる芝生
夏の気配が消え去り秋の色付きがちらほらと見える公園をウロウロしていると、エゾリスと目が合った。牛も呼べば来るように、リスだって呼んだら来るはずである。

餌を探しているのか?

お~い、リス!
お~い、リス!とりあえず呼んでみると、おもむろに立ち上がり警戒心が欠如したマヌケな顔をこちらに向けたリス。こっちにおいで!とさらに呼んでみると、カメラのオートフォーカスの速度よりも素早く足元に駆け寄って来たのである。

あっと言う間に走って来た
 ローアングルでそのマヌケな表情でも撮ってやるかと、カメラを持って屈んでみると

何?何?

これ何?カメラ?レンズ?食べられる?

レンズが固くて歯が立たない
 カメラのレンズの縁をしっかり両手で握り締めて、レンズに頭突きを食らわして来た。カメラの手前から私が覗き、その反対側からリスが私と同じような恰好でカメラを両手で持っている様は滑稽だったに違い無い。

餌では無いと分かったからなのか、この警戒心ゼロのエゾリスは踵を返して森の奥の方へ消えて行った。この公園には天敵がいないのか…。

2015年9月25日

標識

当たり前だけど、動物標識以外にも標識はある。そう、普通の標識だ。その目的は、それを見る人に何かを伝えたり、注意を喚起したり、何かを訴えたりするためにある…、はず。一時停止や速度制限などはその最たるものであるし、路肩弱しや熊出没注意などは関係のある人に取っては重要なサインである。

しかし、中には大きなお世話であったり、言いたいことが良く分からないものもある。

道の脇にある標識
 一瞬で理解出来なかったので、小回りの効く車でUターンしてもう一度良く見てみると、


最初の2行は良いが、3行目は大きなお世話ではないのか?と、戻ってまで見るべきものでは無かったという後悔と共にやや呆れ気味の私であった。

ちなみに、標識の横を通過したダンプカーのフロントガラスには「酒と女は2ごうまで!」と大書きしたステッカーが貼られてあった。そっか、酒は2合までで女は2号までなのか…。この道路では何か意味の無いことを訴えなければならない地元ルールでもあるのか?

気を取り直して走り出すと、ものの数分も経たない内に「山火事注意」の真っ赤な旗が風になびいていた。これは北海道以外でも良く見かける特に珍しいものではないし、注意して見なくてもすぐに意味の分かるサインである。

山火事注意

 でも、後ろの方に見えているのは

煙が…
 山火事なのでは?

夕焼け
帰りに見かけた夕焼けがとても綺麗であった。

2015年9月23日

小回り

あんな所やこんな場所にも気楽に行ける車は、こんな車。

どこにでも現れる自転車のような自動車
普通車の平均的な大きさは、全長が4mから5mのものが多い。軽自動車は規格で3.4m未満という制約があり一般的な軽自動車は規格一杯ギリギリを使ってどの軽乗用車も軽トラックも同じ長さなである。駐車場で並んでいると綺麗に前後が揃っていて、まるで展示場みたいである。

ところが、この車は全長が3mにも満たない2.7mである。ドアの前後にタイヤが付いただけというミニマムコンセプトの車なのである。ホイールベース、つまり前後のタイヤが地面についている所の距離が1.8mしか無い。先日のパンクマ道でさえ道幅が2m程あったので、がんばって何度も切り返しをすればUターン出来てしまうという優れものである。他の車ではこうはいかない。

この車の最小回転半径は約3.5m。つまり一般道であれば道幅が4mあるので、この車は切り返しを行うことなくUターン出来る。北海道で道幅が4m未満の道路はあまり無いので、ハンドルをグイッと切りさえすれば、どんなところでもUターンが出来る。バックギアがついていることさえ忘れてしまいそうだ。

のんびりドライブしていても「あっ、今通り過ぎた所に見えたのは何だろう?」と思った瞬間にブレーキを踏みハンドルを回すだけで、あっと言う間にそこへ戻ることが出来る。これに落ち着きの無いドライバーが乗っているものだから、あっちへフラフラこっちへチョロチョロと、まるで自転車感覚で気の向くままに走っている。

平均燃費は30.5Km/L。燃料タンクは20リットルしか無いけど、600Km程度走れるのでやはりどんな所へも気楽に行ってしまうのであった。

ただ残念なことに、2005年に製造が中止されており、新車はおろか程度の良い中古車さえもはや手に入らないのである。このまま大事に乗りつづけるしか方法は無いのである。どこかのメーカーが同じコンセプトで作ってくれないかな…。



2015年9月13日

牛寄せ

我が家の窓から牛が見える風景が手に入ったが、やはり間近で見る方が楽しいのである。天気の良い日はテクテク1Km歩いて牛を見に行くのである。放牧地は幾つもあって、遠い方だと1.6Km離れている。

お〜い、ウシ来〜い!
 牧場の端から牛を呼ぶと、のそのそとこちらへやって来る。

どんどんやって来る
牛だらけ
じゃあね、バイバイ!
放牧地の牛全部が集まって来たところで、私は満足して家に帰るのである。私は大変満足しているのであるが、牛達はきっと不満だらけであろう。

うし「用事も無いのに呼ぶな、ばか!」
牛「毎回、毎回、飽きもせず来やがって、どんだけ暇なんだよ!」
ウシ「今度来たらウンコかけてやる!」

ははは、私には「モーモー」としか聞こえないので全然気にならないのである。

また来るからね!

窓から見える景色

いつか北海道で暮らしたいと漠然と考えていた頃、その将来実現するであろう「北海道の暮らし」の中で描いていた情景はといえば、地平線が見える窓から外を見ると牛がブラブラ歩いているというものであった。

 私は大人になるまで牛という生物のことも良く知らなかったし実物を見たことさえなかったのである。テレビの中に映し出される牛や、バターの商品パッケージに描かれた牧場にいる牛が知識の全てであったかも知れない。

その後も日本各地で牛の実物を見かけることはあったが、間近で見たり触れたりする機会がある訳でも無く、何も知らない状況に変わりは無かったのである。本格的に牛について勉強したのはアメリカに住んでいた時で、それは想像していたより遥かに大きく、とてつも無い量の餌を食べ、びっくりするくらいの糞尿を排出する動物だったのである。もう驚きの連続の日々であった。

北海道で土地を探しているときも、購入条件のひとつは周囲が酪農地であることであった。酪農王国北海道でその条件を満たすのは至って簡単であるが、放牧つまり牛を草原に放して飼っている所というのは実は非常に少ないのである。幸いなことに、この土地は隣家が放牧タイプの酪農家だったので、もう牛が見放題である。ラッキー!

ところが確かに隣家は放牧をしているのだが、真平らに見える周囲の土地も微妙な起伏があったり牧場の境界線の辺りに草木が生い茂っているので、家の窓から直接は見えなかったのである。


我が家と牛を隔てている草木の壁
邪魔な木だなとは思っていても勝手に切れないし、第一切れる大きさでは無いのである。写真では小さく見えるが高さ2m幅20m長さ540mの小山の上に草木が生い茂っているのである。人間の力では断ち打ち出来ない。

と思っていたら、ある日突然この障害物を取り除く工事が始まったのである。

わ〜い!
重機の力は凄まじく、すごい勢いで木をなぎ倒し小山を崩し、壁のように立ちはだかっていた障害物(廃根線という)を綺麗に消し去ってしまった。と言っても、この大型重機2台が昨年から今年の8月までかかった程大きかったのだが。

近くで見ると凄い量である

この幅、高さで端まで540m進む


綺麗さっぱり
牛の群れ
私の願い通りに障害物は綺麗さっぱり無くなり、牛と我が家を隔てるものが無くなったのであるが、隣家と我が家は1Km離れているのである。そう、窓から見える牛の群れははあまりにも小さかったのであった。

でも、家の中から牛が見える景色が手に入って、もう大喜びである、わ〜い!

2015年9月6日

ネット環境

このブログで出現頻度の高い単語に「僻地」があるが、僻地とは一体何だろうと自問自答してみるまでもなく、一般的には不便だとか寂しいとか、面白く無い等という修飾子を持って語られるような環境のことであろう。私は僻地が好きなのでは無いが、私の好きな環境は僻地と呼ばれているのである。

で は、僻地を辞書を引いてみると「交通条件や、自然的、経済的、文化的条件に恵まれない山間地や離島などの地域」と出ている。どこをどう解釈すればそんな定義になるのかは知らないが、交通条件ひとつ取っても現状を何も現していない。何しろ渋滞が無い、道幅が広い、信号が少ない、車が少ない。どこが恵まれないんだか…。自然的って?これだけ自然環境に恵まれた所も滅多にあるもんじゃない。経済的にも文化的にも僻地とそうでない所との差など何もない。どこをどう取ってもメリットばかりではないか。

僻地にある我が家の裏庭の様子(熊の生息地とも言う)

まあそんな定義めいたことはどうでも良いが、この開放感や美しさの中で生活出来るというのは何物にも替え難いのである。しかし、ひとつだけ困ったことがある。それはネット環境である。

巷では光ファイバーのGbpsやWiMAX、LTEなどの数100Mbpsの快適な速度環境がさも当り前のように語られているが、こればかりは(ある程度の政策があるとは言いながらも)結局は営利目的が根底にあるインフラなので、対人口比が最大かつ唯一の決定要素になってしまう。人口密集地の集合住宅だと、光ファイバー1本をすぐそばにある電柱から引き込み建物の入口にVDSL装置を設置して各戸へ分配すれば、限りなく低いコストで十数軒分の月額料金でインフラ維持コストと十分な収益が見込まれる。ライトワンマイルどころが、ラスト10mではないか。それに比べて、ここだと10Kmの光ファイバを引っ張って来ても1つか2つの接続しか確保出来ず、全く採算が取れない。

光ファイバが無理でも、絶滅危惧種のADSLがあるじゃないかと思ったが、距離に比例して減衰する上に周囲の環境に大きく左右される通信方式なので収容局から数キロメートル離れると実用的な速度が確保出来ない。我が家などは、速度の確保どころか通信出来るかどうかさえ不明な距離である。1Km手前の隣家では絶望的な速度だったらしいので、我が家では望むべくも無い。
隣家と我が家専用の電柱、電線
いや、それ以前にNTT東日本に電話線について問い合わせたとき「そのような住所に該当する家屋はありません」と回答されているような場所なのである。通信手段が云々という以前に、契約方法に疑問が生じているではないか…。

前世紀の接続手段であるISDNという手もあるが、光ファイバの1000分の1程度の速度で実用に耐えない。検討する価値も無い。64Kbpsでいったいどうしろと…。

その他に、農村地域高速無線インターネットというものがある。サービス会社の案内によると、
ADSL やBフレッツがご利用できない地域でも、より快適にデータ通信を行うことができる高速な無線通信システムです。特に遠隔地や山間部など有線方式が困難であった地域において、本システムを利活用することにより、光ファイバー等の敷設費用に比べ、ユーザーあたりのコストを抑えたインターネットアクセスが可能になります。
正体は5GHz帯を使ったFWA(Fixed Wireless Access)と言われるもので、LoSかnLoSによっても異なるが通信の安定性で多少の問題がある。天候や雑電磁波の影響も無視出来ない。これは、ネット環境が発達していなかった10年前に、北海道移住の検討事項として調べて分かったことである。その時、北海道でかなり初期の頃から導入していた別海町役場で実機を見せてもらう機会があった。機材はイスラエルのAlvarion社のものであった(よその役場で何をしているんだか…)。結構目障りなサイズの平面アンテナや機材の特殊性を見ていると、私の環境に導入しても早晩投資が無駄に終ると思われたのであった。


当時は光ファイバーも大都市のみのサービスであり、LTEは開発中、WiMAXもまだ市場へ投入される前だったので、この「農村地域高速無線インターネット」は有望であったかも知れないが、WiMAXやLTEがこれだけ普及した現在では、(固定と移動体の違いはあるが)商用サービスとしては将来に明るい展望が見えない。

それからしばらくして、2009年に北海道豚丼市に引越しした頃には地方都市部にも光ファイバーが張り巡らされ周囲の町村にも徐々に広がり始めていた。しかし、原野でさえ光ファイバーがやって来るこの時代に、建築中の我が家には光どころかADSLさえ無い状態が続いていたのであった。

他手段の衛星を使ったネット接続サービスは当時は現実的では無かったし、携帯電話の通信網は従量制でコストに見合うだけの性能が出なかったのである。

ところが、私の普段の行いが良いせいなのか、この家がなんとか住める状態になって引越しして来る直前に、DoCoMoの通信網を利用したMVNOサービスが始まったのである。なんと良いタイミングなんだろう。

このSIMカードで通信する
これは携帯電話の通信網を使うものでキャリア(DoCoMo, au, Softbankなど)が自社の回線の余剰分をMVNO事業者へ貸し出し、それを一般消費者へ細分して通信サービスを行うというもので、私の予想を遥かに下回る価格での提供であった。月額900円(税込み972円)で1GB/月である。普段使う必要最小限の通信量は確保出来る。価格や通信方式に疑念が無いでもなかったが、将来の光ファイバまでの「繋ぎ」と割り切って使ってみることにした。

家屋自体には、将来来るであろう光ファイバのために地下埋設の引き込み口を設け、室内の導入管も敷設済みでありリードまでセットして待ち構えているのである。工事が始まっても、家の中のリードを引っ張るだけで光ファイバの工事が終了してしまうという、文字通り手ぐすねを引いて待っている状態である。光ファイバが来るまで、この携帯電話網の使い心地でも確かめてやるか、と余裕のスタートであった。

これまで光ファイバの環境だけで生活していたのでこれと比較にはならないものの、ADSLにさえ見捨てられたこの地では予想を越える使い心地であった。使い始めてしばらくすると、料金据え置きのまま通信容量が増えて2GB/月になり、その後には3GB/月へと増量されて行った。速度は時間帯にもよるが、3G環境下で概ね4Mbps程度出ている。有線ルーターを使っているので24時間接続状態である。


なんとかなるもんだな…。

2015年9月4日

平面バッフル

2年前、壁を作っているときに思い付いた案をようやく実行に移すことにした。それは平面バッフルを組み込むことであった。へいめんばっふる…、興味の無い人には無縁のものである。

のっぺりした壁(2年前)
壁の大きさは、縦2.9m、横2.7mののっぺりした壁である。一応耐力壁構造なので105mmの構造柱に12.7mm厚の針葉樹の構造合板が使われており、強度は十分である。

フルレンジユニット
ここに100mmのフルレンジユニットを埋め込む。これはバナナパルプ配合の軽量コーン、高損失発泡ゴムのエッジで出来ており、その周波数特性は大変素直な設計となっている。メーカーはバスレフ式を推奨しており、専用のユニットも販売している。しかしながら、不自然に強調された低音を求めるよりは、いっそのこと低音部を犠牲にしてでも中高域の自然な伸びを目指すべきであろう。したがって、この手の軽量小型タイプのユニットは、後方を開放して中音から高音域を減衰させない無加工の音として聴くのがベストだと思う。私はオーディオマニアでは無いし、高級な聴覚も持ち合わせていないのだが、設置サイズや製造コストの制限を受けた窮屈な音を聴くのは好きではないのである。

と、長年のオーディオ愛好者のようなことを言っているが、実は先日コストやサイズの制限が無い、いわゆる本物のスピーカーユニットを譲ってもらい朝から晩まで毎日聴いていたのである。ひとつが35Kgもある巨大ユニットで、全ての音域で奥行きが深く、実に素晴らしい音を奏でる。特にクラッシックに最適で、時間の経つのも忘れてしまうほどである。これを機に、クラッシックはmp3ではなくflac形式で聴くことにした程である。ということで、オーディオ愛好歴が3ヵ月の私であった。

こんな背景もあって、2年も前に買った100mmユニットは巨大スピーカーの対極を行くようなシステムにしようと決めたのであった。その答えが平面バッフルということであった。ネットで検索するとマニアと呼ばれている人達が色々作成しているのがわかる。でも大きさだけなら私も負けていないな。

ついでにmpd化してスマートフォンやタブレットから操作できるようにした。我が家の室温や換気、水道管凍結防止、照明のコントロールなどを引き受けている小型コンピュータにUSB-DACを増設して、この平面バッフルを鳴らすことにした。

昨年はロプノール監視装置だったコンピュータ
TripathのTA2020を使った安物アンプにSonyのUAB-80というDACを接続し、ぐじゃぐじゃの配線で仮組みしてとりあえず鳴らしてみることにした。

鳴らしてびっくりである、こんなにうまく行くとは思わなかった。

透き通った高音、伸びの良い中音、壁の向こうに消えさってしまった低音。気軽に聴けるBGM的な音楽にぴったりである。しかし、やはりというか相当ソースを選んでしまうシステムになってしまった。クラッシックは全然ダメ、男性ボーカルもダメ、透き通った声の女性ボーカルのみが映えるという感じである。ということで、Uruばかり聴いている。