2013年11月27日

作業再開(3)


なんだかんだと言いながら、5ヵ月も作業を中断されていたドア部分が出来上がった。これで室内の暖房エリアと物置部分などの非暖房エリアが完全に分離出来た。壁の中塗りと仕上げ塗りは来春行えば良いだろう。

漆喰を作る

ラス構造を作る

塗る

塗る

出来た
熱設計によれば、これで暖房エリアの断熱構造は一通り完成したことになる。あとは窓の断熱構造を作って、部屋の中の空気の流れが設計通りになれば、家の中はどこも同じ温度になるはずだ。


作業再開(2)

そもそもこの入口作りを途中で放置していたのは、その形状が複雑であるのが原因だった。

設計当初、入口のドアはアーチ型が良いだろうと漠然と決めた私であるが、アーチ部分の製作が面倒臭いことに気付き、途中で設計を変更しようと一度は思ったのであるが、好運なことにアーチ形状のドア枠を譲ってくれる人が現れたのでそのまま工事を進めたのであった。

しかし、このドア枠は普通の壁に普通の工事で取り付ける普通の家の部材であったため、ワラで出来た不気味な程厚い壁との整合性が非常に取り難いと気が付いた時には既に変更が効かない状態であったのである。

四角と丸とその隙間
ドア枠は厚みが16cmの普通の枠である。壁は不気味な50cm厚である。普通は枠を延長するだの、壁厚を調整するだの、なんらかの工夫をするのだろうが、面倒臭かったのでドア枠を追加で2つもらって来てなんと3段重ねにした私であった。

今度はドアの上に空いた大きな空洞の処理である。ここは設計通りにワラの塊を入れ、隙間を埋めた。

残るはドア枠と上部の壁の間である。そう、四角い形状と丸い形状の隙間だ。これを埋めるのはなかなか難しいのである。何故か?この部分は小さいながらも部屋の内部と外部を仕切る断熱層なので、隙間をぴったり埋める必要があり、さらに重い漆喰の壁材を支え、おまけにワラの通気性を確保しなければならないからである。単純に壁板を貼ることは出来ず、ワラだけだと強度が不足するのである。

仕方が無いので、檻の構造を作ることにしたのであった。棒状の板を隙間を適切に開けながら枠と壁を接合すれば良いはずだ。ドア枠の上部と棒状の板の接点は、接触する円周部分を微分した接線方向と垂線との挟角と同角度で切れば良いはずである。

微分より切断の方が時間がかかった
計算通りなら左右対照前後同形なので同じものを4つずつ作成した。

ぴったり!
ぴったり
ぴったり、わーい!

室内側
玄関側
何とかなるもんだ。

作業再開(1)

先月引越したおかげで毎日82Kmの道のりを通う必要も無くなり、さぞかし建築作業が捗るかと期待していたが、作業は全然進んでいない。全く持って某原野の師匠の警告通りだったのである。

それは何故か?

ひとつは、壁や天井が完成し十分住める環境が整っているからだ。もちろん真冬に向けてしなければならないことは山のようにあるのだが、いつもギリギリまで腰を上げない私達はといえば、深まる秋の景色を楽しみながら酒を飲んだり温泉を堪能したりと、遊ぶことに専念していたからである。

もうひとつの理由は、引越し荷物を家に入れたら文字通り足の踏み場が無くなってしまったのである。至る所に引越しの段ボール箱や梱包された荷物、家財道具等が置かれ、床が全く見えず、作業足場も置けず、建築道具すら取りに行けず、もちろん壁なんて塗れる状態では無かったのであった。寝室は2階を使っていたので寝るのには困らなかったし、キッチン周りは何とかスペースが空いたのでキャンプ場で食事の支度をしていると思えば快適ですらあった。あとは飲んでしまえば爽やかな朝を迎えるだけで良いので、悲壮感だの切迫感だのと言った、セルフビルドの家作りに無くてはならない原動力とも言える感情が全く湧いてこなかったのであった。

紅葉が終りに近付き、新しい生活(なのか?)にも慣れ始めた頃、面倒だったので放置していた玄関先のドア周辺が気になって来た。ここに大きな開口部があるため、部屋の暖房エネルギーがどんどん逃げてしまうのである。

6月の様子

7月の様子

8月、9月の様子
6月に横の壁が出来てから既に4ヵ月が経過したと言うのに何の変化も無い、ドアも無い、やる気も無い。そして10月が終り、11月に入ったところでやっと重い腰を持ち上げて入口を作ることにしたのであった。

2013年11月19日

強風被害


発達した低気圧が2つ合体し、台風並の勢力で北海道を襲った翌日、庭の被害状況を確認してみると結構大変なことになっていた。比較的太めの木が折れて古い倉庫にもたれかかっている。

2本?
 良く見ると、折れた木が倉庫の屋根を越えて反対側に着地したようだ。お蔭様で倉庫の屋根はちょっとへこんだだけでほぼ無傷であった。この折れた木の下半分を探しに行くと、とりあえず地面に生えていた。
上半分が飛んで行った
さらに奥を見ると、どうやら木が倒れて隣の木の上半分をなぎ倒していたようだ。

傾いている木

地面が!
木はしっかり根付いていたが、風の強さの方がそれを上回り文字通り「根こそぎ」木を倒した様である。幹の周りの雑草や石までもが持ち上がっており、なんだか異様な光景であった。

石も一緒に

根こそぎ

隣の木をなぎ倒している
この辺りは西風が強い地域なので木には西方向への耐性があったようだが、今回のような北風には踏ん張りが足りなかったようである。可哀想ではあるが、なす術が無いのでこのまま枯れるのを待つだけだな…。

奥に見える開けた部分は、この春にばっさりと切られた森の跡である。あの森があれば今回の被害は無かったんだろうか?


2013年11月18日

樹木宅配便

我が家の敷地内には40本以上の大きな木が生えているが、そのほとんどが針葉樹なので季節を問わず緑である。以前から、秋になると紅葉するカエデや北海道らしさが漂う白樺やナナカマドなどの広葉落葉樹が欲しいと思っていた。

確かに探せばそこらじゅうに生えているし、庭の隅で増えて邪魔になった樹木などは持ち主が「良かったらあげるよ、持って行って」等と快く言ってくれるのだが、これを持って行くのは結構大変である。考えただけで大変そうなので、これまでそれらの好意を生かすことが出来ず指をくわえて羨ましがっているだけであった。

そんなある日、近所に引越しして来た人が「うちの庭にも沢山生えているから持って行ってあげましょう」と言ってくれた。え?持って来てくれる?え?ホント?わーい!

後日、その隣人は庭木の適当なものを見繕って、十数本の白樺の幼木を持って来てくれたのである。おまけに移植作業までしてくれたのであった。

庭に移植してくれている隣人
綺麗に整列

2人で手際良く
私達ももちろん手伝おうとしたのだが、「危ないから離れて見ていて下さい」と言われ、ただただ見ているだけで十数本のシラカバは移植されたのであった。作業は隣人とその友人でとても手際良く行われ、先日隣の畑からもらって来たカエデの横に整然と並び、あと数年もすれば白樺並木になることであろう。

この後も日を改めて何度も移植を行ってもらい、合計60本以上のシラカバが我が家の敷地に植えられたのであった。本当にありがとうございます!

町内の露天風呂
何も手伝わず汗ひとつかかずに大量のシラカバを手に入れた私達は、何を労うのか全く不明だがとりあえず町内の露天風呂へ行って源泉かけ流しを堪能するのであった。
この風呂の周囲は落葉樹が多く、湯舟にも大量の落葉が浮いたり沈んだりしていた。何年後には我が家でも落葉を見ながら露天風呂に入れるだろうか?

それにしても、なんて好運なんだ!


2013年11月17日

七色の橋の端

朝7時、空を見上げると見事な虹が出ていた。

大きな虹
あまりにも大きくて、広角のカメラでも全体が写せない。朝日に照らされているため入射角が十分に低いからだ。お蔭で過去最大級の虹を観察出来た。

かっこいい!
 その反対側はというと、なんと我が家の実験小屋の上であった。まるで何かが天から舞い降りたかのようだ。

少し移動して撮影すると、どうも虹の端が裏庭の森の手前に見える。

虹の端は?

森より手前?

手前だ!
という訳で、生まれて初めて虹の端っこを見ました。おまけにこの虹は二重になっていて、薄く外側にも虹が出ている。「虹霓(こうげい)」と呼ばれ、水滴の中で2回屈折したものが外側の虹、1回が内側のはっきりした虹だったはず(たぶん)。

建築途中の中途半端な家に住んでいるが、自然現象はそれとは関係なく素晴らしい。引越しして良かったなー。

2013年10月8日

番外地

昨年も同じタイトルで驚愕の事実を書いたが、それには思いもかけない更なる事実が隠されていたのである。

慌ただしく引越しをした我が家であるが、転居手続きはそれなりに事前に済ませていた。NTTやほくでん、市役所、郵便局などで住所変更の手続きを行い、「北海道××町字○○番外地」と転居先を登録した。これで全ての転出手続きが終り、新居の町役場へ転入届を出した時のことである、そこで驚愕の事実が判明したのである。

たかが土地ごときに驚愕の事実が何度も訪れ、その度に驚かされていた私達であったが、今回も慣れることは無く驚いてしまったのであった。

それは、この土地は番外地ではなかったのである。ちゃんと住所が存在し、それを住民票に記載しなければならなかったである。昨年、ここが番外地であると知らされとても驚いたものの、時間の経過と共に、番外地という事実や言葉になれて来た矢先の出来事であった。何度驚かせれば気が済むんぢゃ、この土地は…。

前回も書いたが、この辺りは「線」と呼ばれる道路を基準にした住居表示を採用している。○○という地域名に線の順序を記載する、○○基線123番地とか、○○東2線234番地などである。そして、その道路に隣接しているものの、それらの住居表示が適用されない土地は、地番のみがある番外地という存在となっていたのである。

なんだか釈然としない私達は、町役場でその経緯を調べてもらったのであるが、更に色々な特殊な事実が判明し、結局謎は一つ減って4つほど増えただけになってしまった。とりあえず、私達の土地は正式に私達の所有物であり(そりゃそうだ)、住所も周囲とは異なる形式で付けられてはいるものの番外地では無いというのが結論であった。その住所とは、「字○○11ー2」である。おまけに家は11ー8で登記されているが、実際には11ー2に建っている。11ー1、3、4、5、6、7は存在しない。恐らく度重なる分筆、合筆の結果だとは思うが、とにかく現状と登記内容はバラバラである。それに、周囲の土地・建物が新しい住居表示に移行した時に私達の土地だけが取り残されたという、肝心の理由が判明しないままだ。

一体、この土地に何があったんだろう?来年もまた新たな驚愕の事実を伝えて来るのか?いつまで続くのか分からないが、当面この話題で楽しめそうである。

結局、各方面には登録住所の修正を行わなかったので、郵便物は「○○番外地」で届くし、宅配便は「△△牧場隣り」で届く。郵便局に聞いてみると、このエリアには同姓の世帯がないので、番地を書く必要は無いそうだ。ということで、ここに郵便を送る人は、好き勝手な住所を書いて送って下さいね。

突発性深夜移動

空も高くなり、すっかり秋の気配。建築現場の窓から外を見ると、広大なトウモロコシ畑も刈り取られ収穫されていた。しばらくすれば雪虫が現れて冬が到来するだろう。

数ヵ月ぶりに見える隣家
建築作業の方はと言えば、外界の変化とは対照的に壁ばかり塗っており何の変化も無い。そこで壁塗りを中断して、ここは気分転換を兼ねてインテリアにも着手しようと、ふと思い立った。相変わらずのただの思い付きなので、その根拠も必然性も何ひとつ無いのはいつも通りである(そう言えば、去年は池を掘っていたな…)。

家を作り始めてから3年が経過した我が家であるが、実はその通勤途中で気になっていたモノがある。初めてそれを見た時からとても気になっていたのだが、入手方法が全く思い付かなかったのである。見る度にその方法を考えていたのだが、ある日妻が「そこに直接聞いてみれば?」というので、その所有者であろう会社の本社へ連絡をしてみた。

その結果、なんと譲ってもらえることになったのである。いやー、言ってみるもんだな。そのブツとは…。

バス会社の敷地裏
そう、それは世間ではバス停と呼ばれている物体のことだ。バス会社は定期的にバス停を新調しているし、路線が廃止になって不要になることもある。そんな役目を終えたバス停が眠っている資材置場に目をつけた奴が私だったということである。

早速、バス停に第二の人生を送らせるべく、ゲンヤー号に乗せて建築現場へ持ち帰ったのであった。

我が家に到着
 これを綺麗に塗装し直して、我が家専用のバス停を作ろう!敷地の入口は「自宅入口」、玄関には「自宅前」、家の中に「自宅中」。これでインテリアだけでは無く、エクステリアも大きな進歩ではないか(たぶん、違うと思うが…)。

ガスが開通し、灯油ラインも完成した。壁はまだまだ途上だが、断熱機能の大半は稼働している(はず)。ブランコも完成した。念願のバス停も手に入った。あとは主人公の到着を待つばかりではないか…。

そんな訳で、急に引越しをすることにしたのであった。突然の決定なので、引越し業者との打合せもテキトー、見積りもテキトー、運搬スケジュールもテキトーであった。その結果、
不運なトラック in 暗闇

我が家にトラックが到着した時点で既に周囲は暗闇であり、まだ外灯も無い建築現場でトラックや私達の車のヘッドライトを頼りに、大量の荷物は建築途中の我が家へ運び入れられたのであった。おまけにこの日は朝から雨であり、作業員達は、暗くて足場が悪い、家が未完成、荷物が濡れるという三重苦を背負いながら運搬してくれた。どうもありがとう。

彼等は作業が終ると帰って行ったが、見積り担当者と運搬担当者との認識に大きな齟齬があったため、なんと旧宅に多くの荷物が積み残されてしまったのである。ゲンヤー号と4WD車を動員して自力で残りの荷物を運び入れるという、引越しまでが泥縄式であったため運搬作業が終ったのはなんと深夜の23時30分であった。疲れた…。

深夜残業中のゲンヤー号

という訳で、2010年7月に入手して以来、3年以上も経過してからやっと引越ししました。明日から通勤の必要が無い建築作業が始まります。

2013年9月30日

過密スケジュール

来る日も来る日も壁塗りに追われていた。壁を塗り終えないと先へ進めないので、最優先で作業を行っていた私であるが、追い討ちをかけるように他の作業がやって来たのであった。

そろそろガスの開通検査の日がやって来るのである。今年の夏前に、非常時のインフラ確保の名目でプロパンガスを契約し、ガスの配管工事を行った。実際にガスを使い始めるのはずっと後なので、検査は(遥か先のことだと思っていた)9月に予定していたのであった。

カレンダーを見ると、検査は明日ではないか。ガスはキッチンのコンロにしか使う予定が無いので、キッチン周りを整えるだけで検査は完了するはずであった。しかしながら、コンロは購入済みだが、キッチンが無いではないか…。急遽、キッチン作りを始めたのであった。ど、泥縄…。

キッチンシンクのサイズを計り

適当に枠を作る
えっと、確かアイランド型のキッチンだったよな…。長さや幅を計り、以前に計画していた工法で作り始めた。脚部分は道南杉の柱材を使い、私達の身長に合わせて高さを決めた。天板は原野の師匠にもらったものを使う。

スケルトンキッチン!
辺りが暗くなった頃、骨組みだけのキッチンのようなものが立ち上がった。とりあえずガスの配管をコンロに取り付けてガス漏れ等の検査をするだけなので、これで十分ではないかな。出来上がったキッチン台にコンロをセットして、一部だけ見るとキッチンのような外観となった物体の写真を撮って作業を終えたのであった。驚く事に、水平がキチンと取れていた。きっとブランコ作りの成果の賜であろう…。

翌日、予定通りに朝から検査に来てくれてガスの開通検査を行ってもらった。この手の検査は法律で義務付けられているからでもあるが、検査機材や技術的な面でDIYでは難しいので助かりました。

開通!
可燃性のワラが山積みのキッチンエリアで3ッ口コンロに無事点火され、嬉しいような恐いような複雑な気持の中、無事に検査は終了しました。ただ、このままの状態でコンロを使う気にもなれないので、実際の使用開始日まで元栓を閉めてもらった。ここまでやって今月のガスの基本料金すら請求しないガス屋さん、ありがとうございます!

この後、ガス管とコンロがしっかり固定されてしまっているので、キッチンは仮置きのつもりであったがこの状態のままになってしまった。外せなくもないけど、せっかく付けてもらったんだから、このままキッチンを完成させるか…。出来るのか?

2013年9月29日

重壁

最近の建築状況はと言えば、塗るか練るか編むかである。そう、壁塗り作業に追われているのである。

普通の壁を塗っているのであれば、特に問題は生じないだろうし、そもそも近代建築では「壁を塗る」という作業は無くなっている。サイディングと呼ばれる建材を家の周囲に張り巡らせは外壁が完成し、内装用のボードを貼ってビニールクロス等を貼れば内壁が完成する。

ずっと昔は柱の間に竹で編んだ「竹小舞」と呼ばれるメッシュ状の壁のようなものを作り、そこへ壁土を塗り込め、その上に中塗り、仕上げ塗りと進んで壁が出来上がったらしい。

我が家の壁はというと、そのどちらも採用する気になれなかったので、西洋漆喰と呼ばれる技法を真似たものと、行き当たりばったりで考えた手法をミックスし、適当に作っている。


漆喰を練る
編む
塗る

塗る

塗る
漆喰の原料は石灰岩から作った消石灰や生石灰を使う。そもそも漆喰は石灰の中国語読みに日本の漢字を当てはめただけのものである。まあ、これが一筋縄で行かないというか、私の技量が全く追い付いていないと言うべきか、とにもかくにも厄介なシロモノである。

混ぜる度に粘度が異なり、その結果、塗り具合も異なる。気温や湿度に大きき左右されるものだから仕方が無いと思っていたが、消石灰の品質そのものにバラツキがあるようだ。いや、混ぜる人物の性格にもバラツキ以上の問題はあるのだが、そこはいい加減さが補っているので問題は表面化しない。やはり消石灰の問題か?消石灰ごときに責任転嫁する奴の性格が問題か…?

トロ箱一杯で55Kgの漆喰材が出来る。これを壁に塗るのだが、我が家の壁はワラである。隙間にドンドン入って行くし、凸凹が多すぎて壁がどんどん厚くなる。その結果、壁厚は5cmにも達し、55Kgの壁材は1畳程度の面積を塗り終える前に消えて行く。そして、恐ろしい程の重量級の壁が出来上がるのであった。大丈夫なのか?

 この漆喰は、近所の川底から取って来た粘土質の土をふるい分けたものに石灰等を加えたものであり、発色は専ら土の含有成分に委ねられている。そう、塗って乾くまで色が不明なのである。塗りたてはグレーっぽい色だが、徐々に白味を帯びて行き、最後はクリーム色っぽくなる。ただし、塗った場所によって微妙に異なり、同じ色の壁は無い…。

ちなみに、上記の写真では下から塗っているが、正解は「上から塗る」です。やってみると分かるけど、下から塗ると塗り終った箇所に上から漆喰が降り注いで台無しにしてくれるので止めた方が良いよ。

壁が乾いたら、上塗り作業が待っている。それも2回も…。中塗り、仕上げ塗りである。本当に塗るのか?途中でやめるのか?体力勝負のように聞こえるが、実は漆喰は塗る気温が重要なのである。あまり低温になるとうまく固まってくれず、壁を形成しないのである。そう、時間との勝負なのであった。

もう9月も終る、10月の後半は壁塗りに適さない気温になる。行き当たりばったりで塗っているので、他の人にはその手法を伝えることが出来ず、手を借りることは期待出来ない。

がんばろう。

秋も深まり

近所では秋の収穫ラッシュが始まり、牧草やトウモロコシ、おイモさんなどを積んだ大型ダンプカーやトレーラーがひっきりなしに走っている。

我が家の前のヒグマの食糧庫であったトウモロコシ畑も綺麗に刈り取られ見渡す限りの平地になり、牛に食糧を取り戻されてしまったヒグマは泣きながら山へ帰って行った(のか?)。


裏庭の牧草はロールに変身済み

規格外のおイモさん

ハート型?
何十トンものじゃがいもが収穫出来ても、色やサイズ、形などで規格品とそうでないものに分けられてしまう。どちらかといえば、規格外品の方が切り応え、揚げ応え、食べ応えが良い。先日入手したブツは二股になった文句無しの規格外品であったが、綺麗にスライスして揚げると、ハート型のフレンチフライになった。もちろん、おいしゅうございました。

う〜ん、秋は深まったが建築作業は遅々として進まない…。まあ、我が家も規格外品なので、予定通りには進まないのであろうと言い訳をしながら、おイモさんを食べながら少しづつ作ってます。

2013年9月11日

あいさつ

ここしばらくヒグマ騒動で落ち着きの無かった建築現場であるが、今年も建築作業可能日数が残り少なくなりお尻に火がつき始めた私達は、朝の6時50分に現場に到着するという気合いの入った日であった。

早速作業に入るべく現場の2階で作業服に着替えていると、妻が「外で何か変な音が聞こえる」と言う。ヒグマの罠を仕掛けたり、爆音機を設置してもらったりしたせいで、妙に敏感になっているだけだろうと思い、念のためにベランダから外を覗いてみたが何も普段と変わりが無い。気のせいだよと言おうとした瞬間、120m離れた敷地の入口付近に目をやると、なんとヒグマがこちらを見ていた。

「おはようございます」

とでも言いそうな勢いでこっちを向いてヒグマが立ち上がっていたのである。

小心者の私は「く、く、くまだー」と言いながら、一瞬何が起こったのか理解できない状況が2秒程続いたのであった。

安全な2階のベランダから見下ろす熊の姿、恐さよりカメラを持っていない残念さが先に立った。カメラは1階にあるが、取りに行くのは恐い。そうこうしている内に、ヒグマはその場を去り、敷地内から森の方へ向かって足早に去って行ったのであった。



2階の窓から見たヒグマの位置
朝の7時は私達にとっては早朝ではあるが、周囲の農家は日の出の時間帯である4時台から仕事をしているのである。とっくに太陽も顔を出している。どちらかと言えば、眩しいくらいの日差しである。そんな十分明るい時間帯に出没した熊であった。恐らく夜間10分おきに鳴る爆音機を避けつつ、周囲に人の気配の無い時間帯にトウモロコシを狙って現れたのであろう。

後で恐る恐る現場を見に行ってみたら、熊もある程度慌てていたのか少し走って逃げたような足跡が残っていた。

土にめり込む足跡
 熊が立っていた場所から撮影してみると、正面左に見える赤いポールの爆音機のすぐ横である。左方向が町道、右が国有地、正面が番外地(…、つまり私達の敷地)である。

熊が立ち上がっていた場所から
国有地はここから森の手前まで
熊の目線で見ると、国有地の先にある森から出て来て、ちょっと人間の匂いのする場所の先に大好物のトウモロコシが食べ放題の畑がある。昼間は人間(私達のことだよ)が歩いているので迂闊に近寄れないが、深夜に来れば安心して好物が食べることが出来た。しかし先週から夜になると大きな音のする恐い装置が仕掛けられたので近寄ることすら出来ない。仕方が無いので、装置が止まる朝を待って森から出て来て畑に入っていたというところであろう。

そこへ思いもかけない時間帯に私達が現れたので熊もさぞかし驚いたのであろう。建物の2階から覗く私達と目が合ってしまったので、とりあえず「あいさつ」をして慌てて去って行ったということかも知れない。

来週になると、この畑のトウモロコシは全て刈り取られる。熊も危険を犯してやって来る理由は無くなる。私達も不必要に恐れることは無くなる。そしてそのまま冬を迎えることになるだろう。

ただ、それまでは



熊は右からやって来て左の畑に入り、私達はそれと直交する道を通って建築現場に入るのである。残された数日をお互いの警戒心と行動が鬩ぎ合う日々が続くのであろう。

今度出会った時もあいさつを忘れないような関係でいたいなと、…思うか、…な?