2018年12月25日

好みの数字

先週、ずっとその数字のことを考えていたのである。

その数字とは、それは希望ナンバーと称される自動車のライセンスプレートに自分の好みの数字列を入れるというものである。過去にも車を購入するたびに考えたことはあるが、結果はあまりしっくり来るものでも無く、安直に誕生日にしたり何となく座りの良い数字列にしてお茶を濁していたのである。

随分前の20世紀の終わり頃、スポーツカーを購入した時は希望ナンバー制度は無かったのだが、派手な車であったこともあり変なナンバーが付くのはどうしても避けたかったのでディーラーに相談してみたのである。今から思えばディーラもさっさと断れば良いものを「そうですね、出来ないこともありません」と何を根拠に思ったのか、そう言い放ったのである。

当然その提案に乗らない理由も無く、希望するナンバーを伝えて納車の日を待っていたのである。

その後、納車の2週間ほど前に「希望のナンバーが取得出来ました、苦労しましたよ」と連絡が入ったのである。後学のためその裏技のような方法を教えてもらったところ、「陸運局の申請窓口で発行される番号をずっと見ながら、良い番号の順番が回ってきた時にすかさず申請するのです」という、想像の遥か斜め上を行く手法であった。

まあそんな無理なことをした報いなのか、心待ちにしていた納車日の2月10日に私はディーラーでは無く、国際空港のロビーにいたのである。そう、納車日とアメリカ出張が同じ日だったのである。その後帰国してディーラーに行けたのは6月のもはや夏のような暑い日であった。

アメリカに住んでいた時にも同様のことがあったのだが、あちらは希望ナンバーでは無く希望文字列であり、アルファベットと数字の組み合わせなので選択肢も格段に広かったのである。しかし、当初車を共同所有していた同居人と希望する文字列に合意を得ることが出来なかったのである。

妥協案や折衷案も浮かばず、申込み締め切り日だけが近付き、最後は投げやりになり「もういい!いっそのこと『への6番』にでもしてしまえ!」と言ったところ、意外にもそれで合意に至り、私のSAAB900Sは「HENO6」という訳の分からないナンバープレートを付けて走ることになったのであった。黒歴史だ…。

今も燦然と輝く「への6番」と素数時計
 しかも、数字の前のアルファベットのOは数字のゼロに置き換わるという法則により、そのナンバーはHEN 06」になってしまったというおまけ付きである。友人からは「なんでHen(メスの鶏)の06なのか?」「へい!にわとり6番!」などと揶揄される始末であった。

さて、21世紀に入って懲りもせずスポーツカーを購入したときには、日本でも希望ナンバーが取得出来るようになってはいたのだが、大した案も浮かばないまま何のひねりも無いありきたりな番号を選んでしまったのである。その後、北海道に来てからも状況は変わらずであり、これといった希望ナンバーを思い付かずに今日まで来たのであった。

閑話休題。

先日ひょんなことから再び希望数字を考えなきゃならない状況がやって来たのであった。相変わらず名案も浮かばずモヤモヤしていたのだが、友人と雑談をしているときに「素数はどう?」と提案され、そうだよ素数時計を作ったときのようにその手で行こうと決心したのであった。

この家を作っているときにお世話になったモデュロール数列に敬意を表しフィボナッチ数列から選択することにした。それだけだと面白くないので「素数」でありかつ「フィボナッチ数」であるものの中から幾つかの条件を満たすものを抽出していった。

そして、何かを言いたげな「一桁の数字」やパチンコ屋の駐車場に止まっているような「ゾロ目」だったり、何が言いたいのかさっぱり分からない「語呂合わせ」などの恥ずかしい数字列は絶対に避けたかったのである。

さらに、どうせ選ぶなら車の番号なので「安全」にちなんだ数字を選ぶことにしたのであった。

安全な数字とは何か?それは安全素数である。

安全素数は素因数分解の困難さに依拠した数字のことであり暗号理論の教科書に良く登場する人気者である。しかし、それをそのまま持って来てもフィボナッチ素数にはならないという振り出しに戻る結果になってしまう。

そこで登場するのがソフィー・ジェルマン素数列である。それがどうしたと言われてもどうしようもないけど、ここに登場する数字はもちろん素数であるが、これを2倍して1を加えてもまた素数になるという性質があり、さらにそれは安全素数と呼ばれる特殊な数になるのである。

そしてこれが肝なのである。なぜ2倍が肝なのかと言えば、それはナンバープレートというものは車の前後に同じものが2枚あるからである。

つまり、自動車の前に「フィボナッチ素数であり、かつソフィー・ジェルマン素数でもある数字」があり、後ろにも同じものがある。つまり2倍である。そこへ運転手の人数である1を足すと全体で安全素数を形成出来るのである。

ということで、この特殊な数字が記載されたナンバープレートを車の前後に擁し私が運転することによって初めて安全素数が完成するのである。「素数+私+素数=安全」という一体感に包まれた希望ナンバーの完成である。

ちなみに、これらの条件を全て同時に満たす数字は、この世にたった2つしか存在しないのである。

さて、私はそのどちらを選んだのでしょう?



2018年11月12日

夕日が2つ

11月に入っても、例年ほど冷え込む日が無くいまだに降雪も無い。最高気温に至っては15〜17℃という日さえある。まあ寒いより暖かい方が良いのだが、なんだかしっくり来ない天候が続いているのである。

そんなある日、軽装でロプノールの散歩へ出かけたのだが、ふと西の空を見ると裏山に夕日が沈むところであった。今日も良い天気だったなと思いながら夕日を眺めていたら、何か不自然な感じがするのである。

えっ?夕日が2つある……、???


山の稜線に沈む2つの夕日?

夕日は左側だけか…
良く見ると夕日自体は当たり前だが一つだけなのだが、その右側には夕日に負けないくらい輝くモノがあったのである。最初は雲に夕日が反射しているのかと思ったが、良く見るとなんと降雨中の空間に夕日が差し込んで反射していたのである。

こんな感じかな
身も蓋もない言い方をすると、これは単なる光散乱による物理現象である。

厳密に言えば(厳密に言う必要があるかどうかは知らんが)、大気中に漂う粒子の直径をdとすれば、それが液状の浮遊体であればその形が球で近似出来るので円周率πをかけて、入射する散乱光の波長λで割れば、α=π・d/λで示されるように、その値αが十分小さければレイリー散乱、ざっと1に近ければミー散乱に分類されるという、学生の頃に習ったことを思い出しながら見物していたのであった。

高校の物理で扱うような説明だとチンダル現象もその一種である(だからどうした…)。

もっと身近なところで言うと、森の中の朝モヤに木漏れ日が射して光の筋のようなものが見えるアレと同じ現象である。さらに、雲間から陽光が差し込んで空から地面まで光の筋が見えるアレとも同じ現象である。

ということで、裏山に降っている雨粒には大きさ数μm程度の霧状の雨粒が含まれていることが判明したのである。あー、すっきり。

ちなみに、雨粒がこれより大きいとこの現象は見られないのである。逆にこれより小さい場合はレイリー散乱となってしまい、また違った見え方になるかと思ったが、雨粒はそんなに小さくなれないのでやっぱり無理か…。

その反対側には虹が出てたよ
結局、このミー散乱による夕日が2つに見える現象は、5分程で消えたのである。けっこう際どいタイミングでこの素敵な現象に遭遇したようである。そしてその光が後方の空で再度反射して、なんと虹まで見せてくれたのである。なんだかとても嬉しくなってしまった。

と感慨深げに見ていたのだが、その雨雲が凄い勢いで私に近付いて来て、あっという間に雨を降らせたのであった。散歩が始まったばかりなのでまだウンコをしていないロプノールと慌てて家に戻ったのだが、結構濡れてしまいました。トホホ。

2018年9月27日

ひまわらない

今年は思うところがあって庭に花の咲く植物を植えたのであった。どうせちゃんと育てられないだろうなと、特に期待もせずに種を撒いたのであるが、驚いたことに10本以上もニョキニョキと伸びてきたのであった。

今年は天候不順が続いていたせいもあって、成長はあまり芳しくなかったが、時々思い出したように(本当に何度もすっかり忘れてた)その成長を眺めていたのである。

そうして8月も終わりに近付いた頃から、いくつかの花が咲くようになった。びっくりである。


本当に咲いた!
茎が十分太くなり背丈も170cmを超えて大きな花が咲いたのである。ところが、同じ場所に同じ種から育ったもうひとつの方は様子が異なっていた。それは…、
いったい何個の花を咲かせるつもりなのか…
一本の茎から大量の花が咲いたのである。開花前から変だと思っていた。だって蕾のようなものが十数個もついていたからである。

突然変異なのか?どこかで間違っちゃったのか?たくさん咲かせなきゃと頑張ってみたのか?

私は長い人生の中で複数の花が咲くひまわりを見たことが無いからである。不思議な花だなと関心しておたが、よく考えてみるとそれほどちゃんとひまわりを観察したことも無かったので、これまで目撃していた可能性は捨て切れないな…。

人に聞いてみると、ひまわりには2種類あって、一つしか花が咲かないものと多くの花をつけるものがあるということであった。ネットで調べても同じことが書かれてあった。そっか、私が知らなかっただけなのか…。

なんか変…
と、ここまでは良かったのだが、それでも何か釈然としない違和感のようなものを感じていた。そして写真を撮ってみて気付いたのである。そう、この花々は陽の光の中で逆光で写っているのである。

部屋から良く見える北向きに咲くひまわり
ひまわりが逆光、つまり北に向いて花が咲いているのである。

向日葵、ヒマワリ、ひまわり……、ひまわっていないじゃないか…。

家の南側にある庭なので、ある意味ちょうど良かったというべきかも知れないけど…。

2018年9月8日

停電

9月6日、ふと夜中に目が覚めた。時計を見ると午前3時5分であった。

普段はベッドに入るとほぼ瞬時に入眠し、余程のことが無い限り目が覚めることもなく朝まで熟睡するのだが、この日は何故か目が覚めたのである。(まあ、今考えてみれば前震か何かで目覚めたのだろう…)

ものの数分ほどすると、いきなりカタカタと音がしたかと思ったらそのあとやや大きな地震を感じたのであった。通常の地震よりは大きいものの、大規模な地震では無いと直感的に思ったのであった。本棚や食器棚は全く変化なし、振動検知器(ブランコともいうが…)もほとんど揺れてなかった。

とりあえずテレビを見てみると、かなり大きな地震が発生している模様であった。と同時に、私の直感は全然あてにならないことも判明した。10分ほど放送が続き、「アナウンサー部の仮眠室で寝ておりましたところ大きな揺れを感じ……」と言いながら、ローカル放送局の見慣れたアナウンサーが見るからに寝起きの様相で画面に現れたのである。寝てたんかい?

その直後に停電が起こり、テレビをはじめ全ての照明が消えたのであった。真っ暗だな……。

とりあえず様子を見るために外へ出てみると、澄み切った空に満天の星々とともに、三日月ではあるものの明るい月が天頂で輝いていた。ライトが無くても足元が見える程度の明るさであり、なんとなくホッとしたのであった。

標高が高く見晴らしの良い我が家は庭から下界がよく見えるのだが、街の方角は真っ暗である。いつも夜景が見える帯広市内も真っ暗なのである。日高山脈の端や太平洋岸の手前の方まで人工の光の存在が無いところを見ると、少なくとも十勝地方全域で停電が発生しているようだった。気温は18℃で寒くはなかったので、人工光の無い夜空、天の川と流れ星を30分間ほど見ていた。綺麗だったな。

家の中に入って常備しているフラッシュライトを取り出し、とりあえず様子をみることにした。

どうやら携帯電話網は無事、ネットワーク接続も問題無し。このまま停電が続けば、次第に中継局のバックアップ電源も落ちて通信は途絶えるだろうが、この辺は過疎地なのでざっと12時間程度は期待出来ると思う。

水道もちゃんと綺麗な水が通常圧力で出ている。食料は10日分ほどストックがあるし、プロパンガスは20ヶ月分あるので当分困ることは無いであろう。

連続10時間程度使えるフラッシュライトも3つとも満充電状態であり、LEDランタンもOK,ロウソクも1箱ある。さらにラジオも無事、ワンセグテレビも満充電状態である。さらにさらに、巨大バッテリー付きUSB電源も、まったく偶然だけど先週満充電にしたばかりである。その他、エネループをはじめ乾電池も、とある理由でそれなりの数の備蓄があった。

これでスマホは最低10回以上は充電可能だし、テレビも最長30時間は視聴可能、夜間の照明も40時間分はあるので4〜5日は持ちそうだ。水道はこのまま給水されるのか、それとも途中で止まってしまうのか判断できないので、40リットルほど備蓄しておいた。

幸いなことに、冷凍庫は先週肉類を中心に整理したばかりなので停電が長引いても被害は少なくて済みそうである。冷蔵庫はワインとチーズがたっぷりで、腐りそうなものはあまり無い。

確認が済んで、その後しばらく寝ていたが、6時を過ぎた頃から本州の友人達からメールが届き始めたので目が覚めた。

テレビを見ると、停電は全道規模らしく長期化の可能性も否定できない様子であった。ネットニュースも流れているし、とりあえず情報収集に問題は無さそうだったので一安心であった。

さて、普段ならここで何もしないのだが、今回は思うところがあって町役場で情報収集を行ったのである。緊急時で忙しいだろうと思って電話じゃなく直接行ったのだが、職員以外にはほとんど人がおらず丁寧な対応をしてもらえた(混み合っていればそのまま帰るつもりだった)。

確認したのは、
  • 役場としてどこまでこの災害を把握しているのか?
  • 停電が解消するまで役場は24時間対応をするのか?
  • 役場の非常電源の運用可能時間
  • 停電が長引いた時の通信手段の確保(専用回線の確認)
  • 長期化した場合の役場が孤立する可能性
  • 水道設備の可用性(非常電源)
  • 通信手段が断たれたときの住民への連絡方法
  • 水道と電気が無くても使える水洗では無い公共トイレの所在
  • 携帯電話網の移動基地局手配の可能性
  • 避難場所の開設状況
24時間程度の停電であれば、支援が必要な人以外は生活に不便さを来すだけで済むが、停電が長期化すれば予想を超える二次災害が発生する可能性が高くなる。一番怖いのは町役場が道庁や政府からの情報が遮断され孤立することである。

結局、上記の質問にはそれぞれの部署の担当者が出てきて全て正確に答えてもらえた。なかなかしっかりした自治体のようで、ちょっと安心しました。

特に非常用の通信専用回線をちゃんと運用していることと(まあ、専用回線とは言え、物理的な中継ノードが無事かどうかは分からないけど…)、全ての水源地(取水設備)に非常用発電機が備えられていて、この時点で全て正常稼働していることが確認済みであったことである。非常用の発電機はいざという時に起動しないとか燃料が切れているなどのトラブルが付き物だが、ここは迅速に全ての稼働を確認して状況を把握しているというのは大したものだと思う。ただ、私が恐れていたのは、送水ポンプの稼働状況よりも、消毒設備が機能しているかどうかである。だって未消毒の水が知らずに流れていたら嫌だもんね。
動物標識の道路を通り
水源施設まで行った
それでも、確認するに越したことは無いと思い、動物標識がある山道を延々走り取水場所まで行って施設の稼働状況を確認に行く私であった。まあ確認というよりは暇つぶしだけどね。

ちゃんと入り口までタイヤの跡があったし、中からディーゼル発電機が回っている音が聞こえていたよ(外の電力計が止まったままだったので、発電機の音に間違いない)。

ニュースでホームセンターやコンビニで品不足になっていると聞いていたので、情報収集を兼ねて家から予備の電池、充電ケーブルなどを持参して町の中で人が集まる場所に行って来た。確かに電池やカセットコンロなどが売り切れていたが、特に困っている人はいなかった模様。


懐かしいワンセグ付きガラケー(キズだらけ)
ちなみにワンセグテレビとは、実は解約したガラケーにワンセグテレビがついていたので、非常時用のテレビとして捨てずにとっておいたものである。もちろん定期的に充電はしていたけど、まさか本当に使うとは思わなかった。このガラケーはクレドール付きでUSBケーブルを挿しっぱなしで充電しながら使え、さらにWalkman携帯と銘打っているだけあってクレドール側に高音質ステレオスピーカーが内蔵されているので、かなり明瞭な音質で聴くことが出来た。

さらにものはついでなので、このテレビの消費電力を計測してみた。平均5.12V、420mAで連続動作していた。ワンセグとは言え、消費電力が2ワット少々でカラー画面、ステレオ音声で十分使えることが判明した。もっとも古い携帯なので耐久性はとても不安だけど…。

はじめはこのテレビアプリの起動方法が分からず、一生懸命画面をスワイプしていたのは内緒。ガラケーって全てボタン操作なのね…、すっかり忘れてたよ。

結局、私の住むこの場所は7日の午前2時半頃に復旧し、トータルで23時間程度の停電で済みました。

2018年8月26日

√5

普段何気なく眺めている山々も、地形図に照らし合わせて見てみると意外な事実が浮かび上がって来るのである。

庭から望む裏山
庭から山の方角を見ると、そこにはこれと言った特徴の無い山がある。

この山
この山の特徴を強いて上げるとすれば、頂上が二峰になっていることくらいである。ツインピークスか…。

しかし、地形図を眺めているとこの山を囲むように川が流れており、等高線の間隔がそれなりに面白いのである。それは、山体がすり鉢状になっているのである。何気なく見ている限り気が付かないのだが、いや、ちゃんと見ても気が付かないのだが、その後ろにある山が隠れるとうまく浮かび上がり、その姿が見えるかも知れない。

国土地理院の地図、赤い矢印は眺めている方角

GoogleMapの地形表示モード

この山だけが浮かび上がる方法、それはこの山の奥から濃い霧が吹き下ろして来て、この山の手前に来ないようにそこで停滞すれば良いのでは無いか?そして、その左右の山だけ隠れれば良いのでは無いか?

そんなうまい気象条件が揃うことはあるのか?そもそも本当にそうなのか?

それから5年の歳月が流れ、ついに今日その姿が見えたのであった。それは……、

想像通りの姿
この勇姿を見るために5年も待っていたような書き方をしているが、実はすっかり忘れていたのである。そして今日、この山の姿を見て思い出したという訳である。

でも、想像していた通りの姿が見えて、想定した通りの霧のかかり方だったので本当はちょっとビックリしたのであった。

頂上付近が霧で隠れて、なんとなく富士山のようである。

山麓でオウムは鳴いていないけど……。

2018年8月20日

宇宙名札

先週の8月12日(現地時間12日午前3時31分)にNASAのロケットが発射された。 かの有名なParker Solar Probeプロジェクトである。(日本語の説明

宇宙モノには何かと興味があって手を出している私であるが、今回も例に漏れず自分の名前を名札にしてもらってロケットに搭載されて飛び立ったのであった。わ〜い!

こんなチケットは手元に、名前自体はこの探査機に搭載

過去にも小惑星イトカワに置いてきてもらった私の名前が刻まれた金属プレートも、今日も静寂かつ漆黒の宇宙を漂っているのである。

これで宇宙を漂う私の名札はこれで3つ目となる予定である。ふふふ。




2018年8月16日

エゾパンダヌキ

ここしばらくスッキリしない天気が続いており、全く夏らしさが無い。このまま夏が終わってしまうのだろうか?昨年は涼を求めてオホーツク海へ行ったり、遠くルークシュポールを訪れていたのが今となっては懐かしい限りである。

夏らしくはないものの、近隣のデントコーン(牛のご飯用のトウモロコシ)畑ではニョキニョキぐんぐんと凄い勢いで成長しているのである。散歩コース脇にもこのコーン畑があり毎日見ているのだが日に日に大きくなっているのが分かるのである。それは私の目線の先にある農場風景が変化するからである。

前日には見えていた背の低い柵が今日は見えなくなっていたり、翌日にはその柵より少し高い農機具倉庫がトウモロコシの穂先に遮られて見えなくなっているといった具合なのである。今日はとうとう農場全体が見えなくなっていた。これだけ成長が早いと、伸びている様子が目視できるのじゃないかと思える程である。

さすがにリアルタイムで伸びを見るのは難しいだろうが、音では可能なのである。それは、風の無い夜中にトウモロコシ畑で耳を澄ませば「ギュギュ」「キュー」「ムモモモ」と茎が伸びている音を聞くことが出来るのである。ただ、この季節に夜中の畑で佇むのは相当の勇気が必要だろうな…。

もちろん夜中だけでなく朝や昼間であってもクマの出没の可能性が高いので細心の注意が必要である。先日、散歩の途中で昨年のクマ出没現場を通ったとき、前方に不審な形跡を発見したのである。

大きな足跡
トウモロコシが道端に…
ロプノールに臭いを確かめてもらうと、これは鹿の足跡ということであったので一安心であった。こいつの嗅覚があてになるかどうかは別問題ではあるが…。

そんなスリル満点の散歩道であるが、今朝はとうとうアイツに遭遇したのである。びっくりである。

アイツは道の向こうからこっちを見ていた。
アイツを発見して立ち上がるロプノール

アイツはこちらを見たままやって来る

お座りポーズで迎え撃つ気か?

さらに近づくアイツ

トコトコ

至近距離までやって来た
 人や犬を怖がらないのか、かなりの距離まで向こうから近付いて来たのである。そいつの正体は…

目がパンダ

子供のタヌキであった。びっくりさせやがって!


北海道に生息するパンダ目のタヌキだから、エゾパンダタヌキ、リエゾンを効かせてエゾパンダヌキ……。

トウキョウトガリネズミよりマシなネーミングだな(そうか?)。

2018年8月2日

出自偽装

トウキョウトガリネズミ、これが奴の正式な名前である。こいつとの初めての出会いは、私が学生時代にブラックなバイトをしているとき、大雪山の忠別岳近辺で見かけたのである。死体だったが…。

そのとき同行していた人に「これは世界最小の哺乳類である」と教わり、いたく感動した記憶がある。体長わずか4cmほど、体重は2g程度という、哺乳類という単語から想像し難い大きさだったのである。

(c)札幌市円山動物園
しかし、こいつはその大きさ以外にも驚きの事実を持っており、それは「トウキョウ」という名を冠しているくせに東京原産でも東京で繁殖している訳でも無く、ましてや東京で幅を効かせているあのネズミとも何ら関係ないのである(あいつは浦安だから千葉か…)。

 さらに驚くことに、こいつは「ネズミ」を名乗っているものの、実はモグラなのである。東京のネズミという名の北海道のモグラ、出自の全てを偽装している…。この事実を聞いた当時19才だった私は、世の中には色々複雑な事情を抱えている存在があるものだなと、妙な感動を覚えたのであった。

この名の由来は、出版物やネット上の資料にも書かれているとおり、北海道の旧名である蝦夷(えぞ:Yezo)と東京の旧名の江戸(えど:Yedo)を取り違えたのが元になっている。 命名者の悪筆が原因なのか?

 さて、このトウキョウトガリネズミだが、資料によるとどうやら絶滅危惧種らしい。またあまり見かけない動物らしいとも書かれている。しかしである、我が家周辺には割と普通に生息しているのである。

散歩の途中で
雨の日の死体
今日も見た
割と良く見かける
猫にやられたようだ
 と言うのも朝晩の散歩の途中で見かけることが多いのである。毎日出会う訳ではないけれど、一ヶ月に一度か二度程度であり、多いときは毎週見かけることがある。死因だが、ごく稀に傷を負った死体があって、これは捕食されていないことから猫に弄ばれたのではないかと思う。ほとんどの場合は無傷で道の真ん中にコロンと転がっている。この場合の死因は病死か餓死と思われる。

ネズミは貯食が出来るし食い溜めも出来る、一方モグラの仲間は皮下脂肪が乏しくエネルギーを体内に蓄え難い構造をしているのである。つまり食い続けていなければ死んでしまうのである。空腹のままだと2~5時間という非常に短い時間しか耐えられないそうだ。

ということで、恐らく縄張り争いか餌不足などで地上に出てきてそのまま絶命したと思われる。

死因は想像出来たが、不思議なのはトウキョウトガリネズミの死体がいつまで経っても路上に放置されている理由である。キツネなどはネズミや小動物を捕食するし、このトウキョウトガリネズミも小さいながらも栄養源にはなると思われるのにである。もちろんキツネやカラス、猛禽類までこの辺りにはたくさん生息しているのに、誰もこいつを食べようと思わないらしい。

で、気になって調べてみたら、どうやらトウキョウトガリネズミには哺乳類では珍しく唾液腺から毒を出すらしい。神経毒の一種らしく、ひょっとするとこいつの死体を食べると大変なことになるかも知れないと捕食者達は知っているのかもしれないな…。


2018年7月23日

親切な表示

先日、全面ガラス張りの建物内に用事があったので行ったときのことである。遠目に見ればなかなか透明感が押し出されており、良いデザインとは思わないけれど新しさだけは感じられた。

全面がガラスなので、そこに設置されている入り口もガラス戸なのでパッと見では入り口が分かりにくいのである。そこでこの建物では「入り口 こちらです」という案内が貼られているのである。

親切な表示
私は当然にように、この張り紙のあるドアの前に立ったのである。

すると、意に反して開いたのはその右側のドアであった…。

開くのはこっちのドア!
この貼紙の意図がさっぱり理解出来ない私であった。

なぜ左側に貼紙をするのであろうか?右側にだって貼れる余地はあるし、そちらの方が直感的に分かりやすいのではないだろうか?もし左に貼るのであれば、せめて「こちらです」と書かれた赤いラインは右側を指し示す矢印であるべきではないのか?

それとも、最近のユーザーインターフェースはこう言うのが流行っていて、私が時流に乗れていないだけなのか?

謎は深まるばかりであった。

2018年7月2日

高温多湿

梅雨の無い北海道、爽やかな季節の6月、眩しい太陽、心地よい風に吹かれて庭でバーベキュー…。

…だったはずの6月、あまり太陽の顔を見ることも無く、やたらと寒い日が続いたかと思ったら翌日には30℃を越えたり、さらに次の日はまた寒い日だったりと何だか無茶苦茶な天候だった。7月に入れば改善されるかと思いきや、初日から高温多湿で快適とは無縁な天候が続いている。
今朝の散歩道
今日も早朝から濃霧状態であり、途中からマシになったものの家を出る時には視界が20mくらいだったのである。すぐ先に熊がいても見えないような視界の悪さである。犬連れでなきゃ怖くて歩けないなとLop-Nurがちょっと頼り甲斐のある奴に見えてきたが、良く考えてみるとそうでは無いような気もする。

と言うのもこの冬、散歩中にほんの数十メートル先の道をキタキツネが横切ったときも気が付かなかったし、犬小屋の裏にはウサギの足跡が大量に残っていたりした。またあるときは、多少距離はあったもののLop-Nurの後ろをキツネが歩いていても全然気付かなかったりと、こいつより私の方が先に動物を発見することが少なからずあった。やっぱり頼り甲斐は無いのか…。

不順な天候が続いてはいるが、雑草の成長には何ら支障は無いようでグングン伸び続けている。さらにここ暫くの多湿状態のせいかどうかは知らないけれど、そこらじゅうにキノコが生えてきたのである。

ニョキニョキ
こっちもニョキニョキ
突然ニョキニョキ
犬のウンコかと思ったぞ
クローバーを押し退けニョキニョキ
全部で10種類くらいのキノコがあっちでニョキニョキ、こっちでニョキニョキと育っていたのである。いくつかは食べられる種類だとは思うけれど、生半可な知識で選別を試みる価値は恐らく無いであろう。得られるメリット、つまり食用種であることと、デメリット、つまり笑いが止まらなかったりやたらと綺麗な景色が見えたりなどという素敵な体験とを比べた場合、後者のポイントが高過ぎるのでここは大人しく無視を決め込むことにした。

あー、スカッと晴れてくれー!

2018年6月23日

雷ゴロゴロ

 ロプノールは生来臆病な性格である。子犬の頃は何にでも怖がり身を竦めていた。音や光、振動するものや車などが視界に入ってくると尻尾は垂れまくり、心臓はバクバクしていた。散歩の途中でも前方に何か不穏な雰囲気があれば、そこから一歩も動かなくなったのである。

その後、少し成長した頃から怖がるものが減って来たようで、来客や車には牙をむいて吠えながら威嚇できるようになって来た。ただそれも勢いだけのようであり、ある一定以上の距離まで近付かれると腰が引けてしまい、吠えながらも後ずさりしている。

また、背後に私がいるかどうかでも態度が全然違うのである。 他人を威嚇するときも、時々振り返って私の姿を確認するのである。私がいなくなると、吠えるのをやめて逃げる…(おい)。

そんなLop-Nurも落ち着きが出てきたのか、相変わらず怖がるものは少なくないが、それなりに対処出来るようになっている。まあ対処と言っても逃げるだけだが…。

先日、遠くの空に黒い雲が現れたと思ったら、あっと言う間に空が暗くなり雨が降ってきた。結構激しい雨だった上に、雷まで轟き始めたのである。これまでLop-Nurは雷でパニックになることは無く、小屋の中に隠れたり縁の下に潜ってじっとしている奴だった。

怪しい雲行き
雨が降ってきた
雨が降って来ても暫く外にいたのだが、雷が鳴り始めると一目散に縁の下へ潜り込んだのである。なかなか身のこなしの軽い奴…。
ここに隠れていれば安全
雷がゴロゴロ
今回の雷は結構近かったようで、光ってから鳴るまでかなり短かった。近いだけあって、音も相当大きく何度も鳴っていたのである。私はちょっと心配になったのでロプノールの様子を暫く観察していたが、犬の本能としての危険回避行動として身を伏せているだけのようで、やはりパニックにはなっていないようであった。

ここで安心はしたものの、どれほど怖がっているのか実験をすることにしたのである。

まずは呼んでみた。こっちをチラッと見るだけで縁の下から出ようとはしない。まあ犬の行動学的見地から当然の結果ではある。

次にロプノールの大好きなジャーキーを片手に再び呼んでみたのである。やはりこちらをチラッと見たのだが、手に持ったジャーキーを発見するやいなや、雷鳴轟く中をものともせずに一直線にやって来てパクッと一口で食べた。恐怖心より食欲が勝っているということだろうな…。

食べ終わるとすぐに縁の下へ逃げ込んだものの、その目は「もう無いの?」「もうひとつちょうだい!」とでも言ってそうである。念のためにもう一つジャーキーを見せると、先程と同じ行動をしたのであった。すごい食欲だな…。

さらに追加のジャーキーを持ち、「おすわり、お手、ハウス」をさせたが、これもちゃんとこなしてジャーキーをゲットしたロプノールであった。

この実験で分かったことは、ロプノールは雷より食欲が勝っていることと、雨の中でこんな実験をすると私がずぶ濡れになるという事実であった。

2018年6月22日

眺望トイレ

昨年、ブラッと東端の方へ行ったとき、国道を走っていると小奇麗なトイレが目に入ったのである。周囲には何も無く、特に目を引くような景観も無いようなところにトイレが突然現れたのである。別に用事があった訳では無いが、何となく入ってみることにしたのである。

忽然と現れたトイレの建物
 建物自体が新しいせいもあって、中も清掃の行き届いた清潔なトイレである。男性トイレの方へ行ってみると便器の前に不釣り合いな大きさの窓があった。ちょうど用を足していると真正面に来る高さである。

目線の高さにある大きな窓
 女性用がどうなっているか知る術も無いが、おそらくこのような窓は無いのであろう。

窓から見える景色
 ここから見えている海景色は、根室海峡を東方向に望む水平線である。そう、この日は思いっきり曇っていたが、晴れていると真正面に国後島が一望出来るのである。

根室海峡越しの国後島を眺めながら用を足すのか…。うむ、何と言えば良いのか……。

2018年6月21日

合流点

分水嶺のように別々に分かれる流れもあれば、それとは反対に合流するものもある。

例の大分水点から流れて来た川のひとつと、我が家の裏を流れる川が合流する地点がある。

左が流入河川、右が本流
本流である右側の濁った川は、本来であればこの川幅いっぱいに流れていたのだが、上流のダムがとんでもない量の取水を行うのである。この上流のダムこそが、例の謎の巨大建造物を通ってこの川の水を別の川へと文字通り横流ししているのである。そのせいで、この川には常にこの程度の水量しか流れていないのである。


ここでは詳しく書かないけれど、このような水系を跨いだ取水を行うことによって、台風などの豪雨時に甚大な被害が生じるのである。北海道建設部土木局(河川砂防課?)などは、この河川の氾濫を「想定外の降雨量で云々」などと言い訳しているのだが、これは起こるべくして起こった人災ともいえる災害だと思う。

まあ簡単に言えば、普段大した量の水を流していない河川はその平均水量に比例した量の水しか下流へ流すことが出来ないのである。川幅が広くたって残念ながらほとんど関係が無いのである。したがって、豪雨時だけに大量の水を流すような愚行は、局所的に河道閉塞と同じような現象を起こしてしまい、ついには堤防決壊などを引き起こしてしまう。
合流後も両者は混ざらない
ずっと混ざらない
さて、このように我が家の裏に流れている川はその上流に町営水道の水源となっていることからも分かるように、大変きれいな水質である。オリゴとベータの中間程度の水質階級だと思われる。我が家の水道も、もちろんその町営水道から引き込んでおり、味はまあまあ美味しいと言える。その水源は、例の動物標識のすぐ裏にある(だからどうした?)。