2011年12月28日

氷塊弾丸砂袋

2WDで極寒の冬を乗り切るため、ゲンヤー号の荷台後部には100Kgの砂袋を積んでいる。そのお蔭で昨年も乗り切れたし、今冬も大丈夫だと思う。ただ一点の問題を除けばである。
砂袋は一つで20Kgあり、袋に入っている。中身はもちろん砂なんだけど、問題はその状態である。ホームセンターで売られている砂は、セメントやコンクリートを練るための砂であり、綺麗に水洗いした状態で袋詰めされている。したがって、その砂は湿っているというか濡れた状態で袋に入っている。そして今は冬である。そう、砂が全部凍ってしまっており、夏の間は「砂袋」と呼べたが、今はカッチカッチに凍っており「岩の塊」とか「氷の塊」というべき姿になっている。それが全部で5袋。

普通に道路を走っている間は問題ない。信号や一時停止でも問題無い。登り坂でも問題無い。問題は、急停止の時である。

ブレーキを踏む → 車が止まる → 乗っている私も止まる → 荷台の上の砂袋は止まらない。

車が停止してから一瞬の間を置いて、後部からすごい音と共に荷台を滑べって来た「氷の塊」が運転席の後ろに激突する。最初に経験した時は、後ろからダンプカーに追突されたのかと思ったほどだ。



今年は、PPバンドというプラスチックのベルトと留具で砂袋を荷台に固定した。

安直な解決方法だと思われるが、今のところ無事に機能している。

エゾアカゲラ

敷地内には色々な鳥が住み着いている。
今日見掛けたこの鳥は恐らくアカゲラと思われる。


アップで見ると


う〜ん、良くわからん。なんかぶっさいくな鳥にしか見えない。


(C) 2008 ShaTech

「カメラを持って自然の中へ。ネイチャーフォトグラフィーの世界」を見ると、まさにこの鳥の姿だった。私が撮影した鳥と比べるともはや別種の生物としか見えないが、紛れもなくエゾアカゲラであった。

カメラの性能が違えば、その結果としての写真の出来も大きく異なる。よし、私も良いカメラを買おう。
そして、ちゃんとした写真をブログに載せよう。うん、仕方がないよな…(と、自分に言い訳しておこう)。

買うと決めたら、品定めをしなければならない。

  •  野性生物を撮るのに望遠機能が必要だから、光学10倍程度のズームは必要だな。
  •  壁塗りの撮影だと接写機能が必要だから、1cmマクロが必要だな。
  •  肌理の細かい写真が必要だから、画素数は1200万から1400万画素は必要だな。
  •  手ブレがあると嫌だから シェイクリダクションは光学式と電子式のデュアル実装が必要だな。
  •  暗い所でも撮影するからISO換算で3200から6400程度の感度が必要だな。
  •  連写機能も必要だから、1秒間に8〜9枚以上撮影出来る速度が必要だな。
  •  動画撮影もできて、重量は軽ければ軽い程良い。

早速調べてみると、最近のデジカメって普通にこの程度の機能は実装されているんですね、知りませんでした。ハイビジョン画質(1920x1080ドット)程度なら27、455枚も撮れるし、高画質(4288x3216ドット)でも6、255枚も記録出来るらしい。動画撮影でも2時間以上も大丈夫みたい。

ということで、買いました。 わ〜い!

2011年12月16日

吹き溜り

前回にも書いたが、ここの雪質はパウダースノーである。固まらないので、風が吹くと簡単に飛ばされる。飛ばされた雪は、吹き溜りとなって一箇所に溜る。
 今日も天気は快晴に近かったが、風が強かったため敷地内で吹き溜りが出来ていた。足腰の弱いゲンヤー号は、入口から60m辺りまで来て進めなくなってしまった。

タイヤがめり込んだのでバックした

 前回の除雪のおかげで、何の問題も無く通行していたんだが、今日の強風でできた吹き溜りのせいでこの20m程の区間だけ30cm程度の積雪状態である。前冬はこのような状態で強行突破を試み敢なくスタックしたが、さすがの私にも学習機能はあるようで今回は回避できた。


別に雪が降っている訳では無いので、除雪車は来ない。事実、目の前の町道や他の道路には雪が全く無い状態だ。この辺りで困っているのは私一人であろう…。

こんな日に限って荷物を持って来ている。途中、ホームセンターに寄って買って来たのである。仕方が無いので、ママさんダンプを使って自力で除雪を行い始めたのであるが、良く考えてみると20mを除雪するより、荷物を持って歩いた方が楽だと気が付いて途中で止めた。もっと早く気が付くべきであった orz

不明な住所の電話線

解体中の家屋の外部にはいろいろな不要物が付いていて、今年はその撤去を行っていた。
テレビアンテナ、電力線、ストーブの煙突、灯油の配管など。

そんな中で最後まで残ったのはNTTの電話線であった。屋内の配線は天井と同時に撤去したし、今後も使用することは無いだろうから屋外配線も撤去したかった。でも、屋外の配線はNTTの所有物だろうし、勝手に外すと面倒なのでNTTに電話して撤去してもらうことにした。


私    「家屋を解体中なんですが、電話線が邪魔なんです。撤去してもらえますか?」
NTT 「場所はどこですか?住所をお願いします」
私    「住所は、○○○です」
NTT 「調べましたけど、その住所に該当する家屋はありません」
私    「…」

なんだかんだと話をして、結局NTT側が「それならそちら様で勝手に外してください」と言われた。意外な返答に戸惑いながらも、外した電話線はどうすればいいのか聞いたら、「最寄りの電柱に適当に巻き付けておいてください」と言われ、もっと戸惑った。

電話線って、電力も同時に電話線で局側から送っているはずである(だから停電の時でも通話出来る)。直流の48Vだからそれなりに高い電圧である。子供の頃、電話器を勝手に分解して回線をショートさせて火花を出した時に、NTTにそう言って叱られたから知っている。


言われた通りに切って、


言われた通りに、最寄りの電柱にグルグル巻きにしておいた。

元の方から電気的に遮断されてはいると思うが、一応電線の切断端には絶縁処理をしておいた私は親切な奴だなと思った。

不可解なもの

先日、とある山中を走っていた。坂道を登り切った辺りで、畑の中に人影が…。
雪の中を犬の散歩でもしているのかと思い、そのままやり過ごそうと思っていたらそれは人形のようなものが畑の真中に設置されていたのであった。カカシなのか?それにしてはなんだか変だ。交通量がほぼゼロの道路なのをいいことに、道の真中に停車してじっくり見た。

黄色い案山子?
人形はいいけど、その横にある黒い点は何だろう?



さらに、人形の左の方にも黒い物体が…。

携帯カメラなので小さく写っているが、肉眼で見ると結構近距離

アップで見ると、マネキン人形の頭部!こ、こ、こわい!
なぜ、こんなところに頭が?なぜ、こちらを向いている?なぜ、二つもある?

頭の高さから考えれば、これは雪が積もった後に置かれたものである。つまり雪が積もる前には無かったものであり、農作物を野性動物から守る案山子では無い(そもそもこんな所でカカシなんか役に立たないだろう)。

何か目的があって置いているんだろうけど、夜だと危険ではないのか?だって、山の中の寂しい道路で、坂を登り切ったところで忽然と姿を表すのである。道は少しカーブになっており、ちょうど車のライトが照らす方向に顔が置かれているので、突然暗闇の中に顔が浮かぶのである。

 理由を知りたい!

ゲンヤー号の窓越しに

そのすぐ手前にはこんな施設があった。関係無いんだろうけど、ちょっと気になる。

2011年12月9日

楽しい冬がやって来た

今朝は街中で氷点下18℃まで下がった。本格的な冬到来である。現場はもっと寒いのかと思ったら、氷点下12℃だったようで、いつもと変わらずであった。解体途中の現場は、断熱材や天井が無いので外気とほぼ同じ。室内のペットボトルは完全に凍り付いていた。水道は無事であった。
雌阿寒岳(左)、阿寒富士(右)の先端部分だけ見える

この森が邪魔でちゃんと見えないけれど、雌阿寒岳や阿寒富士が見える。南の方へ1Km程行くと、麓からちゃんと見えてとても美しい。

まだ住んでもいない私有地にもかかわらず、町はきれいに除雪してくれるので大変ありがたい。町道との境界から玄関までの進入路は幅12m、長さ125mもあるので、私の体力では除雪不可能だし、2WDのゲンヤー号にとっては死活問題である。昨年は、除雪前に走って見事にスタックした。

敷地前のコーン畑

本日は快晴で遥か遠くまで見渡せる。

雪ダルマ?

雪質はサラサラのパウダースノーであり、雪ダルマが作れない。頑張って固めても、固まらずにただの小山が出来るばかり。そして風が吹くと飛んで行ってしまう。



仕方が無いので、土管の上にソフトクリーム状のオブジェを作る。もちろん意味は無い。びっくりするほど体力を消耗した。

作業小屋とソフトクリーム
なんだかんだと言いながらも、強風、低温、積雪に耐えながら小屋は立派に立っている。壁は漆食塗りの実験材料にされたまま無惨なマダラ模様。このまま春まで耐えてね。室内の温度はもちろん外気と同じだった。

2011年12月5日

ゲンヤー号

今日は我が家に「ゲンヤー」号がやって来て1年経った記念日である。ゲンヤー号とは、某原野に住む師匠からタダで譲ってもらった軽トラックのこと。もらったということだけでも十分嬉しいのだが、実はこの軽トラは他のものとは一線を画するブツなのであった。
毎年、3週間の夏休みを取って道東地方を走り回って土地探しをしていた私達は、5年前にとある土地と出会った。そこは、素晴らしい景色やロケーションで私達が求めていた条件の多くを満たしていたものの、その土地が求める条件を私達が満たしていなかったので手には入らなかったものだ。

そこは原野なので下水道が無いのは当り前。電気が通っていないのも何とかできる。しかし、水道が無いのにはどうしようも無かった。それを乗り越えられる人だけが買える土地、つまりその土地は人を選ぶのである。

その後、その土地に選ばれた人が現れ、運良くその人達と知り合うことが出来たのである。当時、お互い近くに住み、似たような考えで、似たような目標を持って北海道移住を目指していた。ただし、技量や知識、経験などのレベルは足元にも及びませんでしたが…。

そして2009年の春についに彼らは北海道に向けて出発。そのとき、ほぼリアルタイム更新のブログに登場するのがこの軽トラです。延期に次ぐ延期でなかなか出発出来なかった私は、このブログを指をくわえて見ているだけだった。

 そしてこの軽トラは師匠の元で活躍し、ますます私にとって特別な存在になって行った。その後、師匠のご厚意でこの軽トラを譲ってもらえたのである。いわば憧れの車を手に入れたということである。他の軽トラとは一線を画している理由がわかるであろう。


小屋を建てるときは壁が倒れないように支えてくれた、屋根の煙突を外すときは脚立を支えてくれた。


建材を運んでくれたり、 解体の廃棄物を処理場まで運んでくれたりしてくれた。


錆びていたところにペンキを塗ったが、とんでもない色を塗ってもじっと耐えて染まってくれた。

敷地内で傾いているゲンヤー号

本州育ちのひ弱な足周りのせいで、雪道でスタックし身動きが取れないこともあったが、トラクターで引っ張ってもらうと、無言で立ち上がってくれた。


77、777.7Km
そんなゲンヤー号も走行距離が77,777.7Kmになった。よく走ったものである。



 この冬も頑張ってもらうために、荷台に20Kg×5個の砂袋を積む。これで後輪の荷重を高め、 後輪が空回りしないようにしている。そう、この軽トラは2WDなのである。


原野開拓で活躍したこの車さえあれば、私にも家を建てられるだろうと言う気にさせてくれる。これがいかに私の心の支えになっているか想像に難く無いであろう。

ということで、2年目もよろしくね、ゲンヤー号。

2011年12月4日

農道空港

 農道離着陸場とも言われる特殊な空港が存在する。農地のど真中に存在し、事前に標識など無いものだから突如現れることになり、大変違和感のある空間になっている。


農道を走っていると、ふいにこのような滑走路に出てしまう。注意深く見ると管制施設などもあり、簡易ながらも立派な空港施設であることがわかる。もっと注意深くみると、入口に「入るな」って書いてある。すまない、入った後で気が付いた。

空港施設?
周りはホントに農地しか無い

隣家へ行くのも滑走路を横切らなければならない


航空写真を見ても畑の真中にポツンと存在する異空間。この空港の生い立ちに関しては、もはや何も言うことが無いのであるが、現在では殆ど使われていないというのが勿体ない。

農道離着陸場(Wikipedia)

今度ラジコン飛行機でも飛ばしてやろうかと考えていたら、入口の看板に「模型飛行機であっても許可無く飛ぶことを禁ず」って書かれてあった。先を越されたか…。

2011年11月15日

壁の防水対策

漆食塗りは吸湿性(調湿機能)が良い。逆に言えば外壁にするなら何らかの防水対策が必要となる。十分に硬化してしまえば濡れたからと言ってダメになる訳では無いが、劣化は避けられない。
最近の商品化されている漆食は大量の化学物質が入っているので、防水性能はかなり高い。逆に言えば調湿機能が失われた只のプラスティック壁である。漆食の意味が無い。

例の米粉の件がうまくいったので、すっかり昔の技法にはまっている私であるが、今回も同様に試してみることにしたのである。その方法とは、「油」である。さっそく近所のスーパーで特売のキャノーラ油1リットル198円を購入した。これをいつもの漆食に混ぜて上塗り作業を行った。1週間経ったが、多少のヒビがあるもののそれなりの硬さになったので、早速防水実験を行った。



写真の左側が油入りの漆食仕上げ。窓の上下および右側は仕上げ塗りをしていない。ここに大量の水をかけてみた結果が上の写真である。水は左と窓の上下のみにかけ、右側は比較のために水はかけていない。

仕上げ塗りをしていない真中部分は水をしっかり吸い込んで、右側と比べて明らかに暗い色に変わっている。それに比べて左側部分は水を弾いて殆ど変化しなかった。油のせいで表面に光沢が出ているため右側と同色では無いが、落ち着いた色合いである。

この仕上げ塗りに耐候性があれば、本宅の外壁はこれで行こうと思っている。この冬の低温と紫外線で結果が出ると思う。

庭の生命

敷地内の植物は、一部の針葉樹を除いて殆どが紅葉、落葉している。あれほど手こずった雑草達も枯れてしまい、もうすっかり冬の景色だ。昨年、手当たり次第に苅りまくっていた雑草であったが、今年は種類を確認しながら選別する余裕があった。
その結果、敷地内にはそれなりに有用な植物、いわゆる山菜があることに気が付いた。

タラノキ
タラノキウドワラビふきのとうぎょうじゃにんにくなどである。元の持ち主が移植したのか、アスパラなどもある。普通の人なら喜んで収穫するのだろうが、私は山菜があまり好きでは無い。妻も同様。

その結果、ウドやワラビは大量に生えていたがしつこく刈り取り、絶滅へと導いてやった。タラノキはそれが何かわからずトゲが沢山あったため、私に「トゲトゲの木」と命名されて大量に倒されて行った。ぎょうじゃにんにくは好きであったが、私には見分けられなかったため、やはり刈り取られて行った。苅っている最中に良い香りがしたので何となく気が付いたのだが、どれがそれなのか分からなかったのである。

タラノキはこのような不幸な境遇で我が家の絶滅危惧種になっていたが、奇跡的に難を逃れた個体があったので今年は保護の対象となった。春になれば新芽が出るだろう。レッドブックからレシピブックへの転載が期待される。

ぎょうじゃにんにく(行者ニンニク、アイヌネギ)は、隣の森の中の川辺に沢山生えていたので適当に採って来て庭の絶滅危惧株の横に植え直した。今年は間違って刈り取らないようにと柵を設けたのであるが、それが裏目に出て雑草も刈り取れなくなった。夏ごろまでは元気な姿が見えていたが、そのうちに雑草に埋もれて見えなくなった。絶滅していなければ来春に再会できるであろう。



ペモペモは旅立ってしまったが、新たに住み着いた奴がいる。ミヤマカケスエナガ、セキレイのような鳥などである。

ミヤマカケス
こんなに近付いても逃げない、まったく無防備な奴である。留鳥らしいのでずっとここに住み着くのかも知れない。鳴き声はあまり美しくなく、ちょっとうるさい。

二度あることは三度…?

「ペモペモがまだ庭にいる」と書いてから1週間ほど経ったころ、いつものようにペモペモを呼んでみると返事が無かった。しばらく庭でウロウロしていると、ペモペモと同種の鳥が30羽程の群で飛んで来た。庭の上空を何度か旋回した後、一斉に西の方角へ飛び去って行った。あれ以来ペモペモの姿を見掛けないので、あの群の中にいたんだろう。
このブログを読んで、自分が渡り鳥だということに気が付いたんだろうか?

この上を旋回して、飛び去った

「近所に熊が出没した」と書いてから1週間ほど経ったころ、いつものように庭で作業をしていた。しばらく庭でウロウロしていると、近所の方がやって来て「昨日、あそこに熊が出たんだよ」と、隣の牧草地を指さしながら教えてくれた。ここから数百メートルしか離れていないじゃないか…。

このブログを読んで、あの熊がスキップしながら来たんだろうか?

また別の隣地にも熊のフンが落ちていた

よし、
「庭を掘っていたら温泉が湧きました!」
と書いておこう。そして、1週間ほど経ったころに庭でうろうろしてみるか…。

2011年10月21日

その後のペモペモ

ペモペモは庭先で相変わらず元気に暮らしている。私が来るとどこからとも無く鳴き声が聞こえ、近くに飛んで来る。はっきり見える距離まで来るがそれ以上は近付かない。こちらが離れると追いかけて来る。そんなことを繰り返してもう3ヵ月近くになる。
庭木の枝からこちらを見るペモペモ

先月、コーン畑の刈り取りが始まった時には、餌場が無くなるのと刈り入れのトラクターの轟音でどこかへ逃げてしまうかと心配したけど、全然平気だったようだ。なかなか肝の座った鳥だ。それでも餌場が減少したせいか、遠くの森まで餌を捕りに行っているようで呼んでも返事が無い時がある。


それはそうと、お前は渡り鳥じゃなかったっけ?そろそろユーラシア大陸へ飛んで行くのか?それともすっかり忘れてここに住むつもりなのか?

2011年10月20日

昨日、近所にヒグマが現れ乗用車を襲ったというニュースが流れた。調べてみると、それはここから4Kmも離れていない場所であった。地形的には川を挟んでいるはいえ、熊の行動範囲からすれば十分近い距離である。スキップしながらでもやって来れる距離である。
(C)不明

本当にスキップしながら熊がやって来たら嫌だなと思いながらも、実際の危険性を考えてみた。「本来、熊はこちらから刺激をしない限り襲ってくることは無い」と観光案内やガイドブック、登山の心得等に書かれている。おそらく正しいであろう。しかしながら、刺激を与えた人物と襲われる人物が同一である保証は無い。つまり、私がヒグマに出会う直前に誰か知らない人がそのヒグマに刺激を与えていれば、そのとばっちりを受けるのは私である可能性があるということだ。

私の落度でヒグマに襲われるのはある程度仕方の無いことかも知れない。特にこのあたりはヒグマが良く出没する地域だからだ。それを承知の上で購入した土地である。しかし、私以外の不注意で私が被害を被るのは絶対に嫌だ。

と、見晴らしの良い隣の畑の中で夕焼けを見ながら考える私であった。薄暗い畑の中で黒いジャケットを着てポツンと佇んでいる私は、昨日のニュースで緊張の走るこの状況下で、誤って撃ち殺されても仕方の無い状況であると気が付くのに時間を必要としなかった。

慌てて畑から出て、車に飛び乗りました。危なかった…。

2011年10月12日

温泉

この連休中に友人が遊びに来たので、町内をプチ観光していた。
まずは岩間温泉。秘湯と呼ぶに相応しい山間部にある温泉である。昨年訪れた時は、国道から未舗装の林道(入山届が必要)を十数Km走ったところにあったが、今年はそのルートは通行止めのため、シンノスケ迂回線一ノ沢林道および音更川林道を経由して本流林道に迂回するルートを利用する必要があった。お蔭様で距離と秘湯度(?)が更にアップしていた。

この林道を走って行くと、温泉の数百メートル手前の地点で道を横切るように川が流れている。深さは40cm程度であるが、流れが急なので車で渡るにはちょっと勇気が必要である。


この川を越え、岩場を走ると再び川に出る。この川沿いに温泉が湧き出ている場所があり、そこには岩で出来た立派な湯舟がある。手入れも行き届いており、大変気持良く温泉を楽しめる。




この温泉の源泉は、この川の岩肌から直接湧き出ている。


 黒いホースの50cm上方に並行して見える岩盤の割け目から湯が出ておりその成分のせいで白く垂れたように見える。この割け目が横数十メートルに渡って続いており、その区間であればどこに湯舟を置いても温泉が楽しめる。源泉温度は高めであるので、加水用と思われる黒いホースが上流から引き込まれていた。

岩の間から湯が出ているので岩間温泉と言うらしい。以前、文献で調べた時は発見者の名前にちなんで付けられたと書かれてあったが、この状況を見ると前者が正しいとしか言いようが無い。

 泉質は硫化水素硼酸食塩泉という、ちょっと硫黄臭いやや白濁したお湯である。ある意味、一番温泉らしいとも言える。

こんな秘境のような所にも、以前は鉄道が敷かれていたらしい。1950年から1958年のことである。もっとも、人を運ぶ鉄道ではなく森林を伐採しその原木を運搬するためのものであったそうだ。文献によると、5tディーゼル機関車3両、運材用貨車140両余りで構成されていたらしく、森林鉄道としてはそこそこ規模の大きなものであったようだ。


 昭和52年の国土地理院の高解像度航空写真から該当エリアの写真を持って来た。赤がその鉄道跡と思われる軌跡を私が勝手に書き加えたもので、マゼンダ色の部分が温泉だと思われる。大変山深い場所である。

ここでたっぷり温泉を楽しんだのであった。町内にこのような場所があるとは恐るべしである。

むむむ、なんか普通のブログのようになってきたな…。

2011年10月6日

壁塗り(仕上げ塗り実験)

相変わらず説明を省略しすぎなので、ちょっと補足。
この作業小屋は、建築構造を知るために建て、壁塗りや緑化屋根の実験場所を兼ねており、さまざまな実験が完了した後も無事に存在していたら物置として使おうと思っているものである。従って、実験が最優先であるので、その途中経過や劣化、ましてや見栄えなどは全く考慮していない。この実験結果は本宅の建築へ生かされる。つまり、実験結果が全て思わしく無ければ普通の家が出来上がり、結果がすこぶる良ければ小屋そっくりの家が出来るだけである。何か違うような気がしないでも無いが、まあいい。

これまで言及していなかったが、この小屋の西側(窓もドアも無い側)には屋根の軒先が無い。これは、この地では強烈な西風が吹くのでそれに耐え得る軒先を作る技術と勇気が無かったためであり、見栄えや実用性をことごとく無視した結果である。

ということで、下地が乾いたので仕上げの塗りを実験してみた。下地は予想通りの強度であった。米粉のおかげか?


物置にあった漬物バケツで混ぜる
消石灰の粉末を水と撹拌し、ホイップクリーム程度の軟らかさにする。これをローラー刷毛で塗って行く。

農業用噴霧器とバケツと塗りかけの壁
下地の漆喰地は十分乾燥しているので、霧吹き等で水をかけて湿らせる。霧吹きが無かったので、農業用噴霧器(農薬散布用)で行う。中央の手押しポンプで空気を入れるとすごい圧力で噴霧することが出来る。圧力調整用の安全弁付き。壁が相手だと、霧吹きじゃ無くてこれを使わないと話にならなかった。

説明を追加

勢いだけで始めてしまった作業だが、私が壁の仕上げ塗りの方法を知っている訳は無く、これも思い付きだけで塗り始めたのである。ところが、写真左半分の仕上り具合は想像以上に良くできた。こんな塗り方の壁を見たことがある気がする。と自画自賛していると右側のような仕上りになってしまい、先程のはただの偶然であることに気が付いた。

気を取り直して、残りの壁を塗った。


Aの部分は、8月に塗ったモルタル漆喰(セメントと消石灰の混合)であり、ややセメント色がかっている。BとEの部分は今回から塗っている米漆喰の水を適量にして塗ったもの。Fは水の量を増やし、ドロドロ(塗ることの出来る限界の軟らかさ)の状態で塗ったもの。Cは何も塗装していないOSB板。DはEの部分にFと同じものを重ね塗り実験をしたところ。

他の面は、消石灰に米粉を加えたもの、撥水材を加えたものなどを塗り分けて実験を行う予定。

2011年10月2日

壁塗り

この一ヵ月の間に色々なことがあり、リフォームを一時中断。その代わり、今後の作業のために各種実験中。
計画では、家の最終仕上げである外壁および内壁は土壁にしようと考えている。日本の伝統技法の砂壁や漆喰、竹小舞を用いた土壁では無く、フレスコ画が書かれている壁の下地のような感じである。この手法で築かれた壁は、まるで鍾乳洞の壁面の雰囲気がある(はず)。家にそんなものを求める事の是非はとりあえず不問として先へ進む。

その方法とは、Ca(OH)2を主成分にした壁材を塗って、CaCO3に変化させて強度を保つ作戦である。

言い替えれば、消石灰を壁に塗り、時間が経過すれば空気中の二酸化炭素で硬化し頑丈な壁となるということ。

伝統的な漆喰も同じ原理なんだけど、作り方を見ているととてもじゃないけどマネできない。スサだとか海藻糊だとか面倒なものばかり必要で、おまけに寝かせる時間などの一筋縄では行かない要素が多分にある。

そこで、長年溜め込んだ不必要な知識の宝庫から関係のありそうなネタを拾い出し、新しい方法を試みることにした。

漆喰の主原料は消石灰、農家が畑に撒くのも消石灰、しかしその値段には大きな開きがある。どうせ中身は同じようなものだし、60%以上の純度であれば問題無いので迷わず農業用を購入。

このまま塗っても硬化し難いので色々工夫をこらすことにした。まずは歴史に学ぶことから始める。原理的に私のしたいことに近く、頑丈で、実績があり、特殊な工法では無く、その量(数、箇所)が多い。これらを全て満たすものは万里の長城である。

と言うことで、アメリカの化学学会(Division of the American Chemical Society)から関連のありそうな論文(http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/ar9001944)を拝借した。

これらを全てまとめて実行したのが下記である。

川底の土の山(奥)とふるい分けられた残骸(手前)
先日入手した44トンの土から細かい砂と粘土をその他からふるい分ける。


道具はこれだけである。そう、コメリで買った980円のフルイ。これにスコップ一杯づつの土砂をすくってふるい分けると言う原始的な方法で行う。まるで罰ゲームのような苛酷な試練であるが、いざやってみると意外に面白い。一心不乱で1時間、一輪車にいっぱいの粘土質を含む砂ができあがった。



これに消石灰と論文からパクッて来た秘密の材料、川の粘土&砂を混ぜる。消石灰は先に述べたように農業用。純度は70%ということであるが、残りの30%の正体が不明なので大丈夫だろうかという一抹の不安があったが、この袋に書かれているおっさんの顔を見ると、細かいことは考えても仕方が無いと納得させられた。

秘密の材料は、近所のスーパーで特売で298円の上新粉である。そう、米の粉。これが何の役に立つかというと、こいつはアミロペクチンという物質を含んでおり、これが壁の補強材として働くのである。だが、この論文を書いた博士も、スーパーの特売の上新粉だと結論付けられてさぞかし残念な思いで一杯であろう。彼には内緒にしておこう。


これらを、トロ船と呼ばれるプラスティックの箱の中へ入れて混ぜるのである。


消石灰、上新粉を混ぜる。博士の論文によると、混合比率は1%が最も効率的であるということなのでそうする。左に見えるのは、解体作業で出た天井の切れ端と198円で買った鏝。


これらを、トロ船と呼ばれるプラスティックの箱の中へ入れて混ぜるのである。色々なことを人力でこなしている私であるが、撹拌作業だけは絶対にしたくないので、撹拌機を買った。

砂と粘土、消石灰との混合比率は秘密である。本人が覚えていないからである。

で、OSB板にトリカルネットを張って、その上に塗る作業を行った。


夕日に照らされて、美しい色に仕上った。結局、2m×3mと2m×2.7mの壁を4面塗ることが出来た。
消石灰20Kg(600円)、上新粉255g(298円)、粘土&砂(無料)、トリカルネット910mm×24m(2600円)で完成した。

仕上げはまた後日。

2011年9月6日

時々、まとめ(1)

コメントが投稿できない、プロフィールも書かれていない、(有意な)固有名詞が登場しない、連絡先も無い不親切極まり無いこのブログは、元来、仲間内の連絡用に開設したものでした。なので、背景は全く書かれていないし、何の前ぶれも無く状況が変わるのはある意味当然のことでした。しかしながら、不特定の方が読まれているようなので、時々「まとめ」と称して補足を書こうと思います。蛇足かも知れませんが。
東京や大阪でサラリーマンをしていた私は、新しい住環境を求めて2004年頃から毎年欠かさず3週間程度の夏休みを取って妻と共に北海道中を走り回りながら土地探しを行って来た背景があります。もちろん、それ以前から探していましたが具体的に行動を起こしたのが2004年以降ということです。

これまで世界中の色々な土地、住環境を見て来た私は一般的な「住宅」というものにあまり興味を持たず、かと言って奇を衒った○×デザイナーハウスや近未来型住宅、エコなんとか住宅にも興味はありません。高い/安い、大きい/小さいという尺度では無く、「住む」と「生きる」という言葉にが隔たり無い、その土地と自分自身をしなやかに結ぶ空間のようなものが「家」だと考えています。具体的に何かビジョンがある訳でも無く、素晴らしい感性を持っている訳でもないので常に手探りの状態ではあるのですが、朧ろげながら「これかな?」という例にはいくつか出会ったことがあります。

1980年代にはスペイン、フランス、オランダ、ベルギー、スイス、オーストリアなどの田舎や山岳地帯を中心に、90年代にはアメリカおよびアメリカが内包する異文化(北欧移民、アーミッシュ、ユニタリアンなど)、アメリカ建築(住んでいた近所にフランクロイド・ライトのタリアセンがあった)、90年代後半から2000年代には中央アジア、スラブ文化などに接し、それぞれの自然との共存、自然界の模写、模倣を見て来ました。中でも石灰岩の小山をくり抜いただけの洞窟住居、グエル公園、カサミラ、レギスタン広場などには住居というものへの考え方に大きな影響を与えられたと感じています。

もちろん、私は建築家でもなければ芸術や歴史に詳しい訳でも無く、ビッグネームを盲信しているわけでもありません。ただ、これらの出会った建造物にとても心を惹かれ、そして自分の住居もこれと同じ方向を目指したものであればどんなに素敵だろうと思っているだけです。

それに近い既存の住居が無かったこと、なんとなく自分の手で作ってみたかったこと、漠然と興味があった事などからセルフビルドに走っている訳です。ですから、厳密なセルフビルドである必要も無く、フルスクラッチであろうがリフォームであろうが、どこかからのコピーであっても構いません。気が変わって、どこかの建築士が設計した家でも構わないのかも知れません。これまで見て来た住居に通ずる何かを持った家であれば何でも良いのだと思います。

結局、何のまとめにもなっていないけど、まあいいや。

2011年9月5日

心機一転

ここシ・アン・ルルの気候は亜寒帯である。冬になると氷点下20数度になる。そして冬の期間が長い。そんな事は十分承知だと頭の中では理解しているつもりだけど、現実には自分の立てるスケジュール、段取り、思惑、希望、予定、そのどれもここの気候を正しく反映したものではない。
デスクワーク(仕事)や旅行(遊び)なら夏も冬も雨も雪も霧も槍も関係無い。暑くても寒くても、好きな時に好きなように好きなことを好きなだけしていれば良い。しかし、自然を相手にするもの/せざるを得ないものはなかなかそうは行かない。

今、私がいい加減な思い付きだけで行っているセルフビルドでさえ、この気候に大きく左右されるのである。そう、冬はコンクリートも打てない、土壁も塗れない、地下70cmに至るまで凍結するので地面を掘ったり埋めたりが一切出来なくなるのである。庭に置いてある砂利や川土砂も完全に凍結してしまうので、使うどころか運ぶことさえかなわないのである。雪がなくてもこの調子。雪が降れば、そもそも何がどこにあるのかさえ分からない。全ての作業を止めざるを得ないのである。

1年もあれば何とかなるだろう、と計画を立てても実際に作業できる期間はその半分あるか無いかである。そしてその事実に気が付くのは何故か実際に作業を始めて随分経ってからなのである。そして今は9月初旬。つまり今年の作業可能期間の大半は過ぎ去ってしまったということだ。

毎日25℃を越える暑さでビールがうまいが、来月下旬には氷点下に突入する。残りの作業の多さと自分の技量の無さ、計画の無謀さ、希望的観測、まるで8月31日に膨大な量の夏休みの宿題を前に放心状態の小学生と同じである。茫然自失。6年間、もれなく毎年8月31日を泣いて過ごした私には学習能力というものが欠如しているのであろう、数十年経った今でも同じことをしている。

「人間、何歳になってもやることは同じだな」と笑っている場合では無い、かと言って状況が変わる訳でもない。しかし、一番の問題は私の心が折れそうになっていることである。

ということで、心の拠り所である182Km先の某原野に住む師匠に会いに行って来ました。

たっぷりお話をして、とっても気が楽になり、さっぱりした気分になって、やっぱり来て良かったと、どっぷり日が暮れるまでお邪魔して来ました。いつもいつもありがとうございます。

今日からすっきり心機一転、作業を続けます!


と思ったけど、台風通過中なので明後日から。ははは。

2011年9月3日

過ぎ去りし夏

あまりの暑さに身体もまいったようで、殆ど何も進捗が無いまま夏が過ぎ去ってしまった。焦る気持と裏腹に、夏らしいイベントが盛り沢山なここシ・アンルルであった。

スズメバチ
 今年の夏はスズメバチを始め、各種の蜂が多い年であった。スズメバチが飛んで来ると、解体作業も草刈りも何も出来ないまま時間だけが過ぎて行く。スズメバチがいなくなると、今度は虻やブヨが刺しに来る。やはり何も作業が捗らない。



先日、川底から採取した砂礫をふるいにかけて粘土や砂、その他に分けて行った。44トンもの土砂を980円の「ふるい」を使って手作業で分けて行くのは無謀と言わざるを得ない。まるでプールの水をスプーンで汲み出すようなものだ。修行にも近い作業であったが、人間やれば何とかなるもので、それなりにふるい分けられた。びっくりである。

まずは練習を兼ねて、解体中の壁に塗ってみた。粘土質が良質のものであったのか、特にひび割れもせずに壁を形成した。

壁の下地だと信じてたトリカルネットは別用途の建材であった。まあ、いいか。

これに気を良くした私は、作業小屋にネットを張って漆喰モドキと混ぜて塗ってみた。

強度比較のため、左半分だけ塗った。1.8X2.4m


2週間経過したが、こちらもそれなりに壁になっている。Ca(OH)2と川底の粘土、砂の混合物であり、本物の漆喰と比べると、スサなどのつなぎが無い状態である。それでもそれなりの強度と耐水性があるのにはちょっと驚いた。

大して作業も進まないのに、夏のイベントが目白押しであったので、焦る気持と裏腹にせっせと参加していた。

至近距離から見る花火は意外と迫力がある

バルーングローという、熱気球の夜景。大変美しい!

熱気球って、ガスバーナーで空気を温めて飛ぶんだけど、バーナーだけあって夜間は大変綺麗である。暗闇で見る熱気球って想像すらしたことが無いんだけど、びっくりするくらい綺麗だ!

昼間に見ると普通の熱気球だ

バルーンフェスティバルの最後に餅撒きがあった。撒いているのは町長。
 取った餅には当たりが入っていたので、賞品の「じゃがいも詰め放題」をもらって夏が終った。


気が付けばもう9月、もはや焦っても仕方が無いという程、セルフビルドハウス計画は滅茶苦茶になってしまった。途中何度も心が折れそうになったけど、結局は自分のために作っている家であり焦る必要も無いはず。そうやって何度も自分自身に言い聞かせながら今日まで来た。


…。

明日からまた心機一転、がんばろうー!へへへ!

今日、200Km離れた所から秘密兵器を入手。運んでくれた緑色服の運転手さん、ありがとうございます。

じゃーん、New Holland!